したたかに生きるということのネガティブな側面について
1週間がはやいなあ。
最近はメンタルがあまりよくなかったのと、GWもバタバタしていてなかなか更新できず。
つい先日メンタルがボロボロの状態から立て直してきたと思ったら、
今日ある人に『印象操作してしたたかに生きてていいですね』と言われた。
最近、私のメンタルが病んでいたのもその自分のしたたかさや仮面みたいなものに嫌気がさしていたからで、病み上がりの私の心に深く刺さった。
その人のことを尊敬していたので、なおさら。
私は昔から人の顔色を伺い、人に媚びて生きてきた。自分があまり上手く生きていけないタイプだとわかっていたので、自信がない分強い人の前でヘラヘラ笑って自分が生きやすいようにしてきた。
いわゆる、八方美人てやつだ。
その結果、誰かが誰かの悪口を言ってたらそうだよねえ、嫌だよねえと賛同?(自分としては相手に寄り添っているつもりだった)し、自分はその悪口を言われている人を嫌いではないのでその人といる時は普通に仲良くしていた。
でもたまにやっぱりこの人のこういうところが良くないなと思った時に小さく抗ってみたりしたが、将来起こるやりづらさを思えばすぐに撤回してしまう。
そのことに関して まただ、自分のことしか考えず、気持ち悪い。と何度思ったことか。なのにずっと変われない自分へどんどん嫌な気持ちになっていく。
私だけ、なにも変わっていない。
そんな私のことを『したたか』というのは当たり前のことだと思った。と同時に、少し傷つき、少し泣いた。
もう、自分の嫌いな自分でいるのは疲れたなあ
本来したたかさって「粘り強い/しっかりとしている」みたいなポジティブな意味なはずなのに、自分の自己評価も相まって「あざとい」「ずる賢い」というようなネガティブな意味に聴こえてしまうのもあるだろう。
私にとっては、自分を守るための『したたかさ』が、自分や相手の不快の感情に繋がっていたらそれはネガティブな意味になってしまうなと感じていて。
態度をコロコロと変えて、周囲の人に不愉快だと感じられたり、自分自身も本当の自分の気持ちにうっすらと気づいている/なによりも大切にしたいひとがいるのに、損得勘定で動くことに嫌気が差すことでネガティブな「したたかさ」が生まれてしまうと。
環境を変えなきゃ、きっと私は弱いままで本来の『したたかさ』には辿り着けず、変わらないのだと思う。
自分が好きでいられる前向きな『したたかさ』を持てるようにもう少し未来のことを考えていこう。
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