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ikoeは水性木版画も作っています

ikoeは元鍋島緞通(だんつう)の織り師が、鍋島緞通の技術を使ってより日常を彩れるものが作れないかという発想で緞通アクセサリーなるものを作っています。

しかし、ikoeのモノづくりのベースになったものの1つとしてひたすら石膏デッサンをしたり、静物デッサンをしたり、油絵を描いたりした高校、浪人時代の"絵描き"時代があると思っています。

デッサンは上手な方ではありませんでしたが、反骨精神と思春期特有の"何か"に対する不満は人一倍あった気がします。下記18歳の自画像。めっちゃ鏡を睨みながら描いた記憶があります。我ながら、なんといいますか、、、単純に、恥ずかしい、、、、。

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そんなこんなで、東京芸大に3回落ちて、女子美術大学洋画科に入学(結果的に女子美はめちゃ良い大学だったので結果オーライ)。学部2年の時にコース分けがあって私は版画コースを選びました。理由としては何点かあって、直接技法である"絵"を描くのに精神的に疲れたことと、直接技法である"絵"そのものを批評されることに自身が適応しなかったから、(この2つを説明するために、上の自画像が分かりやすいかな、と思って載せましたが役にたったかな?) そして何より”技術”を身につけているスペシャリストに直接”技術”を学べるのが版画コースだと考えたからです。

大学卒業後、フリーランスで作家活動をしようなんて気はさらさら無く、職探しを始めた時に頭に浮かんだのが”職人の仕事”でした。そもそも、浪人時代、"自己表現"にメンタル的に大きく疲れて灰色の状態でふらっと立ち寄った本屋に置かれた雑誌に特集された有名洋菓子店オーボンヴュータンのオーナーパティシエ、河田勝彦さんの記事を読んだときは心が救われたような気になって灰色からオフホワイトくらいに回復した記憶があります。版画コースの授業の中でも紙漉きの職人や彫刻刀の研師、ブラシの職人の仕事を見る機会をもらう中で、モノと対話するように仕事をする職人に興味を持つようになりました。卒業後、地元に戻り職を探す中で出会ったのが鍋島緞通だったのでした。

なので、活動としては水性木版画の方が長いのでした〜。途中不気味な絵を見せてしまってすいませんでした!最後まで読んでくださってありがとうございます!今後のikoeの活動にご期待くださいませ〜!


岩永 英子
1986年佐賀生まれ
女子美術大学在学中に、職人の仕事に惹かれ、洋画から版画に転向。同大学(絵画学科洋画専攻版画コース)を卒業後、佐賀市の鍋島緞通の工房に織り師として約6年間勤務。2018年夏、自身のブランド<ikoe>として木版画、緞通の技術を用いたアクセサリー類の制作、ワークショップを中心に活動中。   https://www.instagram.com/ikoe_/

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手織りじゅうたんである鍋島緞通(なべしまだんつう)の技術を使ったファブリックアクセサリーと浮世絵の技法に近い水性木版画を制作しています。どちらも「モノと 対話するようなもの作り」を大切にしています。▶日々の活動記録http://www.instagram.com/ikoe_/