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【ネタバレあり】ピアノコンペ経験者からみた 映画『蜜蜂と遠雷』

今日は映画評を書きます。評と言うか、解説と解釈を書いていきます。
コンクールを通して4人のピアニストが自分の殻を破ったり、成長したりなどする映画『蜜蜂と遠雷』。小学生時代をピアノコンペに注ぎ込んだ私の視点で語ります。原作は未読です。

以下、ネタバレを含むので、これから観るという方はそっとこのページを閉じてください(笑)

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細部まで再現されていた

舞台袖での待ち時間、いろいろな書き込みがされた譜面を見直しながら膝の上で指を動かしたり、他の子を観察してみたり。
あの妙な緊張感が、すごく忠実に再現されていたなーと思いました。

松岡茉優ちゃん演じる栄伝亜夜が演奏前に手袋をしていたのも、コンペ経験者は「あるあるー!」と思ったのではないでしょうか。
あの、ノースリーブのドレスに手袋のミスマッチ感。手が冷えると動きが悪くなるので、季節にかかわらず手袋をして温めているのですが、ああいった細かいところが作り込まれてるのは嬉しかったです。

てぶくろ

あのコンクール自体は2週間ほど?でしたが、夏と冬では会場の人の服の厚みで音変わるんだよなぁとか、オケは音の時差があるんだよなぁとか、ホールの反響具合によってペダリング変えたりしたなぁとか、やたらと細かいことを思い出しました。音楽って結構繊細なんですね。

時折、肘はもう少し柔らかく使ったほうが…などと思ってしまいましたが、演技もおおむねリアルでした。てかこの映画、音楽の知識がない人が見ても分かるんだろうか………。

クラシックの楽譜は指示書である

個人的に一番共感できたのは、森崎ウィン演じるマサルでした。音楽の本質というと、自分のセンスにしたがってインスピレーションで演奏するイメージがあると思うのですが、クラシック音楽はちょっと違うんですよね。

ピアノ(弱く)って書いてあるけどフォルテ(強く)で弾いちゃお!なんてことは言語道断なわけで。楽譜通りに当時の演奏を「再現」することが求められるので、マサルが「自由に弾かず、完璧に弾くことをやってきた」というのにはそういった背景があるかと思います。
そして、弾き方にもきちんとセオリーがあります。作曲された時代や、細かく言えば作曲者ごとに弾き方を変えなければなりません。
なので、コンペではその辺りの理解や解釈を測るためにも、古い曲から最近の曲まで、幅広い時代の曲が課題曲になります。

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たとえば、バッハの時代にはピアノはまだなく、チェンバロが使われていました。そのため、(私の場合ですが)ペダルを使用せず、強弱などの表現は華美にしません。バッハの奏法を語るとキリがないので止めておきますが、自由度が低くやたら気をつける事柄が多くて、例に漏れなく嫌いな作曲家でした(笑)
一方、私が好きなメンデルスゾーンやショパンは19世紀のロマン派。華麗でかっこいいんですよね。割と弾きたいように弾ける、一般的なピアノのイメージを成しているはこの辺りでしょうか。

プロコフィエフ

劇中の本選で使われていたプロコフィエフもロマン派ですが、もう少し後の時代になります。亜夜とマサルが階段でなぜプロコフィエフを選んだのか話していた場面で、プロコフィエフの「酷評されたバレエ音楽」というのが出てきましたが、かの有名な『ロメオとジュリエット』のことですね。

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プロコフィエフは、今で言う椎名林檎のような感じでしょうか(笑)不協和音が多様されているのが特徴で、転調や緩急があるテンポなんかもかなり独特で斬新です。劇中使われてた曲もまじでカッコイイ!

天才と凡人、優勝したのは

明らかに天才と凡人を対比させた構図になっていて。個人的な見解ですが、亜夜ちゃんと塵くんは天才型、明石とマサルは努力型だと思いました。
マサルも天才みたいな扱いでしたけど、必死に亜夜ちゃんの背中を追い続けて、カデンツァも真面目に作って練習して、ありゃ努力型でしょうよと思うわけです。

ちなみにマサルが使用していた電子譜面、たまたま見たことがあって、GVIDO DMS-W1(2画面電子ペーパー端末)だと思うのですが、なんと18万円もします。お坊っちゃんなんですかね、譜めくりが楽そうなので私も欲しいです。

エンディングでいきなり順位がパッと表示されて終わったこの作品。いまいち、なぜマサルが優勝したのか、モヤッた方もいるかもしれません。
個人的には、亜夜ちゃんは呪縛から解放されたことで、塵くんは先生に言われた通り亜夜ちゃんという天才を見つけたことで、話が完結しているというか、解決しているように思います。まさに、ここから伸びようというところです。
マサルは悩みながらも、コンクールとしては正しく努力してきた感じがあります。もちろん、亜夜ちゃんのアシストあってのことですが(笑)

蜜蜂はどこへいったのか

劇中では塵くんのインタビューで「父が養蜂家で」という部分でしか触れられていない「蜜蜂」。きっと原作を読めばその辺はもう少し深く書かれていることと思いますが、映画を見たところの「蜜蜂」の意味をいろいろと考えました。

みつばち

ひとつは、それぞれが他人からインスピレーションを受けて成長していく様が、まるで蜜蜂が花を転々として花粉を運び、成長するようだということです。
もうひとつは、「世界の音」としての蜜蜂です。蜜蜂のブーンという羽音は自分からかなり近いところでしか聞けないと思うのですが、遠雷は海の向こうですよね。そういった、世界の奥行きを示しているのかなとも、直感的には思いました。

謎と言えば、亜夜ちゃんがなぜピアノの世界に戻ってきたのかも謎でした。原作を読めば分かるのでしょうか?映画を見たところでは、やはり天才だったからとしか解釈のしようがないかと思いました。

曲で分かる、人となり

本当ならば、それぞれのカデンツァの解釈や、課題曲の選曲について分析していけば、もっとその人の人となりというものが分かるかと思います。
が、長くなってしまいましたし、それはDVDが出てからの楽しみにしようと思います(笑)
PTNAのホームページがなかなかおもしろいなと思いましたので、ぜひご覧ください。

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