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【集合住宅】建築作品実例集 一級建築士試験対策

一級建築士試験の学科Ⅰ計画で問われる、集合住宅に関する建築事例を写真と過去問付きで分かりやすくまとめました。
一部順番を入替えていますが、ほぼ年代順での記載になります。
過去問の出題年と問題番号は、特記無い限り基本的には一級の計画のものになります。
また、誤りの選択枝については、正となるよう改変してある為、ここに記載の過去問の解答はすべて正となります。



集合住宅


同潤会江戸川アパート(同潤会)1934年


引用:https://blog.goo.ne.jp/asabata/e/57f3e2450a7a119e9fd35aad12c69628

(R2年 No.12)
同潤会江戸川アパート(東京都、1934年)は、社交室、共同浴場、食堂、洗濯場等の付帯施設を有する集合住宅として計画された。

(H24年 No.2)
同潤会江戸川アパートは、関東大震災後の住宅難に対処するために設立された同潤会による鉄筋コンクリート造の都市型アパートである。

建設当時、戸数、規模、設備などの面で、国内有数の建物であり、「東洋一」と謳われた。


公営住宅標準設計51C型(東京大学吉武研究室+旧日本住宅公団)1951年


引用:コンパクト建築設計資料集成<住居>、日本建築学会編、丸善

(R1年 No.13改)
公営住宅標準設計51C型(1951年)は、公営住宅の標準設計の一つで、食事室と台所を一体(ダイニングキッチン)とし、食事室と寝室を分離した食寝分離の計画である。


晴海高層アパート(前川國男+旧日本住宅公団)1958年


引用:1975『現代集合住宅』ロジャー・シャーウッド編a+u 
引用:http://zeitgeist.jp/wp-content/uploads/R00502215.jpg

(H24年 No.2)
日本住宅公団の晴海高層アパートは、2戸×3層の6住戸を1単位とし、3層ごとに共用廊下を設け、そこから上下階の住戸に階段でアクセスするスキップアクセス形式を採用した都市型高層賃貸集合住宅である。

晴海(はるみ)


ひばりが丘団地 1959年


引用:https://www.ur-net.go.jp/rd/rn1/stock/index.html

(H24年 No.11)
ひばりが丘団地(東京都東久留米市)は、解体せずに再生・活用する技術的手法を検証するため、解体予定の住棟を用いてストック再生実証試験が行われた団地である。


草加松原団地 1962年


引用:https://www.city.soka.saitama.jp/60th/li/020/PAGE000000000000058356.html

(H24年 No.2)
日本住宅公団の草加松原団地は、高度成長期に建設された中層集合住宅を中心とする郊外型大規模住宅団地である。

草加松原(そうかまつばら)。当時は東洋一のマンモス団地といわれた。


泉北ニュータウン 1967年


引用:https://ene.osakagas.co.jp/product/dhc/area/know_detail02.html
引用:https://www.athome.co.jp/hometrip/4005/

(H29年 No.13)
泉北ニュータウン(大阪府)は、空き住戸を活用したサポート付き共同住宅や戸建て住宅を活用した多世代型シェアハウス等の試みが行われている、大規模なニュータウンである。

読みは、泉北(せんぼく)。同エリア内には、坂倉建築研究所らによる「堺市立ビッグバン」がある。


代官山ヒルサイドテラス(槇文彦)1969-1998年


引用:https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/89/Hillside_Terrace_A_B_2010.jpg

(R3年 No.14)
代官山ヒルサイドテラス(東京都)は、建築群が内包する広場路地等を主要素として外部空間を形成し、周囲の純和式建築物や庭園とゲートによってつながるように計画された。

(H23年 No.11)
代官山ヒルサイドテラス(東京都渋谷区)は、住宅、商業施設、オフィス、レストラン等の機能が複合した建築群で構成された都市型集合住宅で、長い年月をかけてまちなみをつくり出している。


桜台コートビレッジ(内井昭蔵)1969年


引用:https://shako.sk.tsukuba.ac.jp/~shun/FH62033/lesson03/image03_001_orig.jpg

(H26年 No.12)
桜台コートビレッジ(神奈川県横浜市)は、西向きの急斜面に対して住戸の軸を45度に振り、雁行した平面によりバルコニーや開口部に変化を与え、プライバシーの確保を図った。

雁行(がんこう)とは、雁が飛んでいくときの列の形に似て、住戸がはすかいに続いている形式のものをいう。


広島基町団地(大高正人)1978年


引用:https://arch-hiroshima.info/arch/hiroshima/m_apartment.html

(H24年 No.2改)
広島市の基町団地は、戦災者用応急住宅であった木造老朽住宅地区再開発を目的として建設された、高層高密度団地である。

(H13年 No.9改)
基町団地(広島市)は、木造老朽住宅地区再開発事業として計画され、屋上階に共用広場をもつ高層高密度の集合住宅である。

(H3年 No.25)
広島市の基町団地は、戦災者用応急住宅地等の再開発を目的として建設された、高層高密度団地である。

基町(もとまち)。


芦屋浜高層住宅(アステム企業連合)1979年


引用:https://www2.panasonic.biz/jp/solution/report/archi/vol27/adr27_21_22.pdf
引用:https://book.gakugei-pub.co.jp/wp/wp-content/uploads/6b1b9fde9095373f0fce5e1840845c1e-scaled.jpg

(H13年 No.9)
芦屋浜高層住宅(兵庫県芦屋市)は、5層ごとに共用の憩いの場等である空中庭園をもつ、工業化工法による集合住宅である。

芦屋浜(あしやはま)


茨城県営六番池アパート(現代計画研究所)1976年


引用:https://gkk-tokyo.com/project/667/

(H28年 No.13改)
茨城県営六番池アパート(茨城県水戸市)は、七つの住棟により囲まれた二つの中庭をもち、屋根葺材には地元で焼かれた瓦を使用する等、周辺との融和に配慮された地上3階建ての低層集合住宅である。

六番池(ろくばんいけ)


ライブタウン浜田山 (現代都市建築設計事務所)1977年


引用:https://kenchikukeikaku2009.up.seesaa.net/image/00028-thumb-400x300-2842.jpg

(H14年 No.10)
ライブタウン浜田山(東京都杉並区、1977年)は、1階のフラット住戸に設けられた専用庭と2~3階のメゾネット住戸への専用の屋外階段が、路地的なスペースに面して設けられた集合住宅である。


タウンハウス諏訪(日本住宅公団、山設計工房、みのべ建築設計事務所)1979年


引用:https://www.jcarb.com/Portfolio00003237.html
引用:https://note.com/ura410/n/n8d1202cde71c?sub_rt=share_pw

(H13年 No.9)
タウンハウス諏訪(東京都多摩市)は、複数住棟の共用の庭をもち、また、各戸の専用庭及び住棟の雁行配置により住戸の独立性を高めた集合住宅である。

諏訪(すわ)


六甲の集合住宅Ⅰ・Ⅱ期(安藤忠雄)1983, 1993年


引用:https://kobecco.hpg.co.jp/45354/

(H14年 No.10)
六甲の集合住宅(神戸市、1983年)は、住戸の一部を斜面沿ってセットバックさせることにより、建築物を急斜面地形になじませるように配置している。

(H18年 No.24)
「六甲の集合住宅Ⅰ、Ⅱ期」(神戸市)は、緑豊かな急斜面沿った規則的な格子状の空間構成の中にテラスや中庭的空間を配して、自然や眺望を活かした住戸を創出している。


ユーコート(京の家創り会)1985年


引用:http://www.kyoto-archi.co.jp/works/198505.html

(H6年 No.9)
ユーコート(京都市)には、住戸と住戸とのコミュニケーションを考慮した「つづきバルコニー」が設けられている。

(H13年 No.9)
ユーコート(京都市)は、住棟に囲まれた敷地中央のまとまった共用緑地や広場からアクセスする多様な住戸を、居住者が設計に参加するコーポラティブ方式により建設した集合住宅である。


プロムナード多摩中央(坂倉建築研究所)1987


引用:多摩ニュータウン団地図鑑

(H19年 No.10)
プロムナード多摩中央(東京都多摩市)は、街区のほぼ中央にある歩行者専用道に面した接地階の住戸に、居住者が趣味や創造活動のアトリエ、教室等に利用することを想定した「フリースペース」と称する一室を設けることによって、沿道の賑わいや親しみのある景観形成を意図している。

(H26年 No.13)
ストリート型住宅は、集合住宅の接地階部分において、居住者が日常生活の延長として、街並みの形成に参画できるような配慮を行うことによって、街路の活性化を意図した集合住宅の住戸形式をいう。


ベルコリーヌ南大沢(マスター・アーキテクト内井昭蔵)1988年


引用:https://www.doboku-watching.com/index.php?kijiId=327

(H7年 No.9)
ベルコリーヌ南大沢(東京都八王子市)は、マスター・アーキテクト方式による一体感のある景観をもつ集合住宅地である。

マスターアーキテクト:デザインコードやガイドライン等のルールを基本事項として設定し、敷地全体のデザインを規定、調整する者。

引用:Wikipedia


ネクサスワールド香椎(レム・コールハース他 磯崎新コーディネート)1991年


引用:https://www.goodrooms.jp/journal/?p=6643

(H24年 No.11)
ネクサスワールド香椎(福岡市)は、国内外の6名の建築家それぞれ住棟競作した集合住宅団地である。

(H27年 No.12)
ネクサスワールドのレム棟・コールハース棟(福岡市)は、各戸に採光通風を確保するためのプライベートな中庭が設けられた接地型の集合住宅である。

読みは、香椎(かしい)。6棟それぞれ特徴が異なるため、写真はレム・コールハース棟を抜粋。他棟に関しては、引用リンク参照。


再春館製薬女子寮(妹島和世)1991年


引用:https://www.pref.kumamoto.jp/uploaded/attachment/186179.pdf

(H26年 No.12改)
再春館製薬女子寮(熊本市)は、80人が集まって生活することに重点を置き、居住者全員で使用するリビングスペースや浴場等の共用空間の充実を図った。


熊本県営保田窪第一団地(山本理顕)1991年


引用:https://www.riken-yamamoto.co.jp/index.html?page=ry_proj_detail&id=41&lng=_Jp

(H30年 No.13改)
熊本県営保田窪第一団地(熊本市)は、三つの住棟、集会室及び中央広場で構成され、中央広場については、住戸又は集会室を介してアクセスする居住者専用のものである。

保田窪(ほたくぼ)


Mポート(もやい住宅設計者集団)1992年


引用:https://iida-archi.blogspot.com/2017/02/m-port-ps.html

(H26年 No.12)
Mポート(熊本県熊本市)は、居住者の参加によって各住戸の設計が行われたコーポラティブハウスであり、居住者の交流等を意図して共用空間を配置した。

コーポラティブハウス:入居希望者が集まり組合を結成し、その組合が事業主となって、土地取得から設計者や建設業者の手配まで、建設行為の全てを行う集合住宅のことである。

引用:Wikipedia


コモンシティ星田(坂本一成)1992年


引用:https://x.gd/VSlLX

(H28年 No.13)
コモンシティ星田A2(大阪府交野市)(かたのし)は、敷地内の緩斜面を活かした緑道の配置や、塀・門を極力設けない外構計画等により、連続した開放的な外部空間を創り出した戸建ての住宅団地である。


NEXT21(大阪ガス NEXT21 建設委員会)1993年


引用:https://ikenchiku.jp/ikefes2023/133/

(H13年 No.9)
NEXT21(大阪市天王寺区)は、今後の都市型集合住宅のあり方を考える一つのモデルとして、環境との共生、省エネルギーや環境負荷の低減、スケルトン・インフィル等の試みを行っている実験集合住宅である。

(H16年 No.9)
NEXT21(大阪市)は、スケルトンインフィルとが明確に分離された構法により、戸境壁、外壁、開口部等の位置の変更を可能としている。

(H28年 No.13)
NEXT21(大阪府大阪市)は、二段階供給方式(スケルトン・インフィル分離方式)と環境共生をテーマにし、住戸の外壁等の規格化・部品化による可変性の確保や屋上植栽等が試みられた集合住宅である。


用賀Aフラット(早川邦彦)1993年


引用:https://x.gd/jtITb

(H27年 No.12)
用賀Aフラット(世田谷区)は、道路に対して視覚的に開放されつつ、ガラススクリーンで隔てられた中庭をもつ、アーティストデザイナーの入居を想定した賃貸集合住宅である。


茨城県営松代団地(大野秀敏+三上建築事務所+アプル総合計画事務所)1993年


引用:https://ameblo.jp/yt-1028/entry-10509387632.html

(H19年 No.10)
茨城県営松代団地(つくば市)は、中庭を囲む6階建ての4棟の住棟を、4階にある「上の道」と称する回廊でつないだ集合住宅であり、「上の道」は、プレイロットや植栽等のある街路状の空間として機能させることを意図している。

プレイロット:幼児対象の公園のこと。


熊本県営竜蛇平団地(元倉眞琴)1994年


引用:https://www.pinterest.jp/pin/324611085646274206/

(H30年 No.13)
熊本県営竜蛇平団地(熊本市)は、中庭や共用部に面して住戸ごと土間テラス等を設け、居住者同士が互いの生活を感じながら居住することができるように計画されている。

竜蛇平(りゅうじゃびら)


幕張ベイタウンパティオス4番街(松永安光+坂本一成)1995年


引用:https://zukan.exblog.jp/4785916/

(H28年 No.13)
幕張ベイタウンパティオス4番街(千葉県千葉市)は、壁面線の位置・高さ、壁面率等についての「都市デザインガイドライン」に沿って設計された集合住宅であり、街区型の形式に特徴がある。


グループハウス尼崎(小林正美)1995年頃


引用:https://f-gakkai.net/wp-content/uploads/2014/06/10-1-4.pdf

グループハウス尼崎(兵庫県)は、阪神淡路大震災復興事業として作られた高齢者が集まって生活する新しい居住形態の施設で、入居者は被災者及び高齢者に限られる。

(R3年No.13)で誤りの枝として出題。


インナートリッププラザ神山町(守屋弓男)1996年


引用:https://www.yuuki-home.co.jp/rent/5371

(H16年 No.9改)
インナートリッププラザ神山町(東京都渋谷区)は、各階に多様な世帯構成を想定した各種の住戸を配置し、相互扶助的共生を意図したコレクティブハウスである。

コレクティブハウス:共同の食事室や調理室等が設けられた、複数の家族が共同で生活する集合住宅であり、高齢者用の住宅としても用いられている。


真野ふれあい住宅(神戸市住宅局、SVU建築設計事務所)1997年


引用:http://kenchikukeikaku2009.seesaa.net/article/121688365.html

(H30年 No.13)
真野ふれあい住宅(神戸市)は、阪神・淡路大震災被災者を対象に建築されたコレクティブハウジングであり、共同の食堂、台所等を設けて、居住者が生活の一部を共同で行うことが可能となっている。

真野(まの)。


世田谷区深沢住宅(世田谷区・市浦ハウジング&プランニング・岩村アトリエ共同企業体)1997年


引用:http://www.ichiura.co.jp/projects/1122/

(H30年 No.13)
世田谷区深沢環境共生住宅(世田谷区)は、木造平家建ての住宅団地の建替え事業により建築された公営の住宅であり、高齢者在宅サービスセンターを併設した、シルバーハウジング・プロジェクトを含むものである。

(H19年 No.10)
世田谷区深沢環境共生住宅(東京都世田谷区)は、木造平家建ての住宅団地の建替え計画により建設され、高木の保存、井戸の活用、優良土壌の再利用、古材の使用等、既存の環境の継承を意図している。

(H16年 No.9)
世田谷区深沢環境共生住宅(東京都世田谷区)は、木造平家建の住宅団地の建替え計画により建設され、「地域に開いた環境共生」と「高齢者等への対応」とを意図した集合住宅である。

(H10年 No.25)
世田谷区深沢住宅(1997年)は、環境共生をテーマとした公営住宅であり、自然環境との共生のほかに、人と人の共生を促す計画(高齢者用住戸をつなぐ空中路地など)がなされている。


中新田町営並柳HOPE住宅(針生承一建築研究所)


引用:https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/tedukuri/pdf/Part4_h1/4-64.pdf

(H18年 No.24)
「中新田町営並柳HOPE住宅」(宮城県)は、北からの強風地吹雪を防ぐ屋敷林瓦屋根漆喰壁による景観によって周辺の風景との調和を図り、地場産材の活用等による地域の活性化を意図した戸建て住宅団地である。

中新田町営並柳(なかにいだちょうえい なみやなぎ)


岐阜県営住宅ハイタウン北方-南ブロック(高橋昌子、クリスティン・ホーリィ、エリザベス・ディラー、妹島和世)1997-1999年


引用:https://papicocafe.blog.jp/8802602.html

(H27年 No.12)
岐阜県営住宅ハイタウン北方-南ブロック(北方町)は、昭和40年代に建設された公営住宅の建替えに当たって、21世紀に向けた居住様式を提案することを目標として設計された集合住宅団地である。

読みは、北方(きたがた)。写真は高橋昌子のS-1棟。棟によって建築家が異なる為、他の棟は全く違った外観となっている。(他棟は引用リンクを参照)。


東雲キャナルコート(山本理顕、伊東豊雄ほか)2003年


引用:https://www.riken-yamamoto.co.jp/index.html?page=ry_proj_detail&id=66&lng=_Jp

(H27年 No.12改)
東雲キャナルコート(江東区)は、6街区分割された敷地に、それぞれ別の建築士事務所が設計を行った高層集合住宅団地である。

(H19年 No.10)
東雲キャナルコート1街区(東京都江東区)は、高層板状住棟による高密度賃貸集合住宅であり、住戸には、仕事場等として使用できる開放的な「f-ルーム(ホワイエルーム)」を設け、中廊下コモンテラスと連続させている。

(H16年 No.9)
東雲キャナルコート1・2街区(東京都江東区)は、中廊下形式を採用し、中廊下への通風や採光を確保するための大きなテラスを住棟各所にもつ高層板状住棟により構成した高密度賃貸集合住宅である。

読みは、東雲(しののめ)。写真は山本理顕による1街区。


かんかん森(事業主体:(株)生活科学運営)2003年


引用:https://chc.or.jp/chcproject/kankan.html

(H29年 No.13)
かんかん森(東京都)は、各住戸の独立性を保ちつつ、居住者が共同で使用することができる居間や台所等を設置して、コモンミールや掃除等、生活の一部を共同化している、コレクティブハウスである。


釜石・平田地区仮設住宅団地(東大 西出・大月研+岩手県立大学 狩野研)2011年


引用:https://arch.t.u-tokyo.ac.jp/activity/post/

(R3年 No.13改)
釜石・平田地区仮設住宅団地(岩手県)は、東日本大震災後に被災者を対象に建設された、高齢者向け住戸と一般向け住戸で構成され、サポート拠点(サポートセンター)を併設した災害公営住宅である。

(R2年 No.12)
釜石・平田地区仮設住宅団地(岩手県、2011年)は、東日本大震災の復興支援の一環として建設されたコミュニティケア型仮設住宅団地であり、診療所付きのサポートセンター仮設店舗が計画された。


SHARE yaraicho(篠原聡子+内村綾乃)2012年


引用:https://www.s-d-s.net/works/81

(H29年 No.13)
SHARE yaraicho(東京都)は、道路に面する部分は巨大な半透明のテント膜で覆われ、内部は吹抜け空間を介して個室7室とコモンスペースが計画された、シェアハウスである。


陸前高田のみんなの家(伊藤豊雄、乾久美子、平田晃久、藤本壮介)2012年


引用:https://www.inuiuni.com/projects/482

(R3年 No.13)
陸前高田のみんなの家(岩手県)は、東日本大震災の津波で立ち枯れたスギの丸太を用い、被災した人々の集いの場としてつくられた集会場である。


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