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複雑化と単純化

このお盆休み中は、YouTubeで歴史の動画を聴いていた。コテンラジオをずっと聴きつづけた。

今は第一次世界大戦で戦争前のフェーズを聴いている。戦争が起こる背景がもう複雑すぎる。少なくとも誰も戦争をしたい思っていなかった。が、結果として戦死者2,000万を出す戦争となってしまった。

歴史はとても複雑だなと思った。さまざまな要因がミルフィーユ状に重なっていて、想いが捻じれて、ミスコミュニケーションが起こり、いつしか引き返すことができないフェーズに入ってしまう。

今の時代からは要因が見えるかもしれない。当時に人たちは、限られた情報や状況下で判断に迫られることを思うと、判断のむつかしさを考えさせらてしまう。

物事は単純ではない。普段の生活や仕事においては簡単にフレーム化して考えようとしてしまうが、実はそんな単純な思考では、物事は解決しないように、第一次大戦の前の世界情勢をみて、そう思った。

複雑に考えすぎるのも、問題はあるが、単純化すると重要なことを見逃してしまいそうだ。

落語においても、人間関係模様が噺のはしばしに見えると、噺に深みがでてくるように思う。登場人物がイキイキとした動きが目の前に見えてくる。

描写が見えるような表現を噺し手がおこなうことにより、聴き手の目の前には動きのある物語にみえてくる。

描写を浮かべてもらうために、さらっとした単純な表現ですましてしまわず、丁寧に表現する。複雑な模様を丁寧に表現することで動きが見え、面白い場面となってくるのが、うまい噺家さんたちの共通点である。

とはいえ、丁寧が過ぎると、聴き手の想像力を奪ってしまうようになることもあるようだ。単純な場合のほうが伝わりやすいこともある。

複雑化と単純化。どちらか一方だけではなく、使いわけられるようになれればなと、コテンラジオに耳をかたむけた。


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