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聴き手のイマジネーション

落語は聴き手のものだと思う。

話し手の話芸ではない。

聴き手の聴芸だ。

聴いた噺を頭の中のイマジネーションを駆使して物語として捉えるのだ。

ウケても話し手の手柄ではない。聴き手のイマジネーションの賜物なのである。

なので、ウケなくても話し手は責を負わない。

先に言い訳をしてみた。

11月21日(日)リアライズ文華落語発表会に出ます。

第七回リアライズ落語塾発表会


もし刺さる根多でしたら、木戸銭歓迎です。寄席代にして、さらなる刺さる根多を仕入れてきます。