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SNSでも落語でも、からむことが重要

からむことが大事である。よっぱらいのことではない。

先日、SNS初心者ばかりが集まったオンライン対話会に参加した。ぼくはFacebookをやっているが、身内感の強い使い方をしている。

Twitterはやっていたり、やっていなかったり、やっているときのコンセプトがコロコロ変わっているので何者なのかよくわらないアカウントとなっている。

noteには約1年毎日アップしているので、ここらでnoteとSNSを連携させたいと思い、それにはTwitterがよいのではないかと考えた。

そこで先に書いたSNS初心者の対話会に参加したのである。基本的なことがわからないと言われる方や、どんなことをつぶやくのがよいかがわかないという方や、どうやって自分のビジネスにつなげていけばよいのかがわからない、といった面々であった。ぼくもそのうちの一人である。

参加者の中には、やりこんでいる方もいて、僕たちにアドバイスという施しをしてくださった。印象に残っているのは、【からむ】ことであった。決してよっぱらいにではない。

「いいね」や「リツイート」、「コメント」などを積極的におこなうことで、存在の認知が深まってくる。深まるのは、人だけではなく、Twitterのシステムも含まれるのであるそうだ。

これは、落語でも同じことがいえると思う。ぼくの知人は寄席に行くと、噺家さんに話しかける(もちろん高座中には話かけない)寄席に行くたびに噺家さんに挨拶するものだから、そのうち親しくなってくる。そうなると、寄席で彼を見かけた噺家さんのほうから声がかかるのである。

噺家さん以外でも常連のお客さんとも顔なじみになり、落語界隈においては、深い認知を得た人物となっているのである。

認知を得るということは、自分から積極的に【からむ】ことであり、SNSであってもリアルであっても全く同じ構図なんだなと思った。

そういった意味では、ぼくは自分の投稿はするが、あまりコメント入れたりしていない。逆だった。たとえ投稿をしていなくとも、コメントいれたり、からむことで認知されていくのであることを、知人の落語との関わり方で教わった。

からむことが大事である。ただし、よっぱらいのことではない。

おおいにからもうと思う。

もし刺さる根多でしたら、木戸銭歓迎です。寄席代にして、さらなる刺さる根多を仕入れてきます。