見出し画像

反転授業入門と落語

「オンラインで学ぶ!反転授業入門」という講座を11月に学びはじめ12月に修了した。

反転授業とは学校教育で行われている授業方法のひとつである。10年ほど前からあったようだ。

コロナ禍でオンライン化が進んだことや、この1年で3つほどの資格を反転授業式で取得したこともあって、「反転授業入門」に興味をもった。

主催の田原真人氏が開催することも重なり、「反転授業入門」を受講することにしたのである。

「反転授業入門」ということもあって、参加メンバーは教育関係者が大半であった。ぼくは立ち位置はここの場において、すこし異質だったかもしれない。「落語推し」立ち位置であったから。

話は変わるが、ぼくには今年高校受験する息子がいる。学習方法が多様化し、なにがベストなのか判断がむつかしくなっているように思う。

ぼくが学生時の学習方法は通用しても、現在は通用するとは限らない、むしろ通用しない可能性が大きいようにも思えてしまう。ゆえに、息子の学習スタイルの肯定も否定もできないように思う。

ヒントがあればと反転授業入門に参加するも、ベストな選択とはなにかと、ますますわからなくなったというのがぼくの結論だ。

一方で「学習者による学習法」の確立が効果的な学習となるのではないかという考えが湧いてきた。

「学習者による学習法」とは落語の学びから着想した。

ぼくが主宰している落語塾では、噺を覚えて、稽古し、発表会に臨む、ということを行っている。

「噺を覚える」
「稽古する」
「発表する」

3つのフェーズで成り立っている。

「噺を覚える」はお気に入りの演者、噺の音源を観る(または聴く)こと、文字起こしして台本作成し、聴きこみと読みこみで噺を覚える。

「稽古する」は覚えた噺に仕草を加えて練習します。練習したことを文華師匠の指導を受ける。

「発表する」は一定期間の稽古からお客さんを前に発表する場を設けて落語発表会を行う。

この3つのフェーズが、「反転授業」そのものではないかと考えた。

噺を覚えるために、自分で教材を探す。文字起こしをし、持ち時間に合わせて台本を作る。

稽古するために、文華師匠から課題が出る。一人一人の課題は違う。自分で工夫して稽古したり、人に見てもらったりしながら課題解消に努める。そして次の稽古時に解消しているか観てもらい新たな課題をもらう。

発表するために、お客さんへの告知や会場設営などの準備、なにより発表できるレベルの練習を繰り返す。

これらは、やらされているのではなく、学習法を受講生が各々アレンジして行っている。

じつのところ、落語など古典芸能は「反転授業」で成り立っているのかもしれません。師匠の動きを観て、真似て、自分なりにアレンジして、お客さんにみてもらう。仲間と研究、切磋琢磨して、芸を昇華させる。

このようなことをずっと続けている、古典芸能の学習法が本来の学習で、教壇から一方通行の学習こそが「反転」なのかもしれない。

今回、反転授業入門に参加して、落語をはじめ古典芸能の奥深さに気づかされた。学習法の反転時期だからこそ、古典芸能から学ぶことが多いと感じている。

もし刺さる根多でしたら、木戸銭歓迎です。寄席代にして、さらなる刺さる根多を仕入れてきます。