なんで落語を始めたのだろう①
この週末から体調が悪い。なのでブログのネタがなかなか思いつかない。とにかくなんでもいいからと思い、ふとんの上でパソコンのキーボードをたたきはじめた。
そもそもなんで落語を始めたんだろうと、ふと考えた。きっかけははっきりしている。だけど、きっかけだけでは落語やろう!とはならない、と客観的にみても、そう思った。
じゃあ、なんでだろう。うーん。。
ひとつ思い浮かぶのは、表現したい自分がどこかに潜んでいたから、のような気がする。
ぼくは、小学生から高校生あたりまで、おもろいキャラで通っていた。このころは、ここ一番のおいしいところで笑いをもっていくことを常に狙っていたように思う。
たまに、スベることもあるのだけども。。たまに。
ウケたときの、頭のてっぺんからつま先まで貫かれるような気持ち良さが身体に沁みついているのだと思う。
またそれが当時の自分の生きる術にもなっていたのではないか。
それが、働くようになり、おもろいキャラが活躍できる場が極端に少なくなった。おもろいは生産性があがるリソースではないからだろう。僕の中にある真面目キャラが優先され、おもろいキャラが封印されてしまった。
仕事は営業なのだが、おもろいキャラを出し過ぎると、ええかげんにみられる要素があった。信用を第一に考えた。真面目キャラをベースに適度におもろいキャラを出すとうまくいった。比率でいうと真面目キャラ9:1おもろいキャラか。
真面目も自分らしくはあるとは思うが、学生時代からみるとらしくない自分だとうすうす感じていた。
感じていたタイミングで、落語をやるきっかけがやってきたのである。
(頭がぼーっとしながら書いてみたけど結構書けたな。続きは次回以降で)
もし刺さる根多でしたら、木戸銭歓迎です。寄席代にして、さらなる刺さる根多を仕入れてきます。