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間と行間

3年前、文章講座に通っていた。悪文を直すためだ。
文章には型がある。コラム、エッセイ、小説とそれぞれ型が違っている。
そんなことも全く知らないで文章を書いていた。


ここでは文章の型のことは語らない。そもそもうまく説明できない。
ただ、文章と落語には共通している型というか法則があるようだ。
驚いた。話し言葉と書き言葉は違うものだと思い込んでいたからだ。
共通しているそれは「間」であった。文章の世界では「行間」と呼ばれている。


「行間」は特に小説に必要な技術とされ「行間」がないと小説とはいえないようだ。落語も同じだと思った。
「間」はお客さんの頭の中の物語を紡ぐ大切な時間であると僕は認識している。

物語の邪魔をしてはいけないという意識を持って「間」を使う。
しかし、「間」の使いどころをあやまることしばしば。邪魔ばかりしてしまう。

置くべきところに置かず、
詰めるところを詰めず、
待つところを待てず、、、

どうやら文章も同じなようであった。なぜか、ホッとしていた。
文章と落語の共通点に胸が躍った感覚は今でも鮮明に覚えている。
今日語ったことは誰にも言っていない。

もし刺さる根多でしたら、木戸銭歓迎です。寄席代にして、さらなる刺さる根多を仕入れてきます。