ただのご機嫌さんだった
先だって、リアル交流会に参加したことを書いた。
自己紹介のときに落語塾を主宰していることを話した。みなさん、興味深く聴いてくださっていた。
参加者メンバーのなかに、手相を観ることができる方がいらっしゃった。主催者の大学時代のときの恩師の方だった。参加メンバーは手相を観てもらおうと恩師の前に並んだ。ぼくも並んだ。やはりみんな自分のことに興味があるんだなと思った。
以前、観てもらったメンバーがいうには、かなりすごいとのことであった。ぼくはドキドキした。なにを言われるのだろうかと。
ぼくより先に並んで観てもらっている方たちからは、
「うぉー、まじかぁ」
「そんなん、わかるのか」
「あんときは、きつかったな~」
そんな感嘆な声が上がっていた。
一人20分くらい、ああだった、こうだったと恩師に観てもらいながら、話しをされていた。
ぼくの番がきた。ドキドキがMAX最高が最長だった。
恩師にみてもらった。
恩師「あなたは、いま、しあわせですね。そして、以前からもしあわせですね、これからはこのままでいいですね」
一瞬だった。ぼくは、過去の話をあれこれしたいなとワクワクしていた、「これまでも、これからも、このままそのまま」で終わってしまった。
要は、ぼくは、ただのご機嫌さんということのようであった。
少し拍子抜けした。しかし、会の主催の企業さんが持っている自律神経測定を測ったときも、常にご機嫌さんの状態であったことを思い出した。
ぼくがご機嫌さんであることを、数値で表されていることが手相でもって、ただのご機嫌さんであることが証明されたのだった。
これは落語に10年携わっていることからと言っても良いのではないかと思った。落語には自律神経を整えるうえ、長期間もの持続させる力があるのかもしれない、と思った。
もしくは、根っからのただのご機嫌さんなだけかもしれない。。
もし刺さる根多でしたら、木戸銭歓迎です。寄席代にして、さらなる刺さる根多を仕入れてきます。