「総合芸術」としてのEXILE TRIBE

▼人は自分が足を運んだライブやイベントを「最高だった」と思いたい。そして、人に「自分は最高の体験をした」と言いたい。そんな生き物だ。チケットが簡単に手に入らないアーティストや、世紀の一戦に自分の予定がばっちり合うなんてことは、しょっちゅうある訳じゃない。だから、どんな人もちょっとは、そう感じたことがあるだろう。

▼僕にとって、そんな感覚を久々に味わえたコンサートにめぐり会った。東京ドームで開催された「EXILE TRIBE」のライブだ。『EXILE TRIBE PERFECT YEAR LIVE TOUR TOWER OF WISH 2014 ~THE REVOLUTION~』と銘打たれたこのドームツアーは「EXILE一族、史上最大の祭り」がテーマ。TRIBE総勢290人のパフォーマーが躍動。41曲、約4時間半のステージで5万1000人を熱く熱く盛り上げた。

▼コンサートは、オープニングから最高潮だった。そして、疲れさせない4時間半だった。コンサートのセトリや内容はファンに任せたいが、とにかく巨大なセットと演出に驚かされたので、総合芸術としての凄さを、ディレクターとして書き留めておきたい。

▼高さ45メートルの「願いの塔」のLEDスクリーンに、映画の予告編のようなスケールある映像が映し出される。最新の3DCGは、PS4のゲームを思わせるような高解像度と臨場感。ドームの俯瞰をとらえたライブ映像には、ARが重なる。目の前の現実とLEDに映し出される創作の境目が曖昧になって不思議な気持ちになる。

▼巨大な塔には、7本の柱。ムービングライトを中心とした照明とスピーカーで音響面を支える役割果たすが、演出上は塔と呼応する関係性になっている。さらにそれを囲うように、外周250メートルの巨大な円形ステージが構成。その内周と外周には移動式の架け橋が設置。その下と周囲を観客が取り囲む配置となっており、すべての観客の思いが塔に集結するような空間になっている。

▼さらにアリーナ最外周には、トロッコが移動するスペースを確保。パフォーマーが乗れば、1階席と目線が重なる。その意味で考えると、高さ45メートルの塔に設置されたLEDは、東京ドームの2階席・3階席に対応。センターステージがアリーナ内周、250メートルの円形ステージはアリーナ外周に対応していると考えられる。つまり、どの席に座ってもパフォーマーを「最前列」で見られるような配慮が施されている。

▼思えば、こうした演出はジャニーズのコンサートを中心に見られる取り組みだ。客席からステージがどうしても遠くなってしまう、かつ音響が反射してしまい、音が反響してしまうドームならではの演出とも言えるかもしれない。

▼通常のコンサートでありがちな最前列だけが盛り上がり、最後列は巨大モニターだけを見るしか選択肢が無いコンサートとは違い、どの客席からも平等にステージの距離があるセンター円形ステージは、その形状からリーダーシップのあり方とどうしてもリンクしてしまう。

▼前者がピラミッド状の奉仕型とするならば、後者は中央に向かって観客それぞれが力を注ごうとする集約型であり、フォロワーシップのような意味合いすら感じさせる。

▼そんなことからも「ステージ360度」「全フロアレベル最前列」という対応は、観客の不平等感を極力無くす努力であり、客席から動けない観客に対して、パフォーマー自ら客席近くまで動くことで、極上のホスピタリティ感を演出できるというCDが売れない「21世紀」型のライブの特徴であると同時に、エンタテイメントの世界も一見、社会とは隔絶したようでありながら、いやいや、社会や時代の流れと切っても切り離せない関係にあるのだと改めて実感させられる。

▼EXILE人気は、何によって支えられているか。その回答を確かめるべく開演1時間前に東京ドームに足を運んだ。事前の仮説にあった、家族や仲間、地縁を大切にする最近の10〜30代の地元族とその家族に支えられているという分析もあながち間違ってはいないと思う一方で、コンサートの演出を通して感じたのは、「テーマパーク」「運動会」「文化祭」の縦軸に「先輩・後輩関係」「夢を追う」「皆で作り上げる」といった横軸が加わり、まさに「学校生活」を体現させるところに、普遍的な人気を生む力があると感じた。

▼学校生活は、日本人の誰もほぼ同体験をするものであり、そこに最新の映像・音楽・ダンスを融合させることで、「日常」の地続きにある「非日常」の空間を立ち上げ、観客の気持ちを「ヤバく」させ「超感動」させているのだ。(そうでなければ、関口メンディーの短距離走とかは成立しないだろう)

▼最後に、この日5万1000人の観客と総勢290人のパフォーマーは、4時間半のライブを通じて「願いの塔」に何を託したのだろう。それは、きっと絶対的リーダーだった「HIRO」なき世界を自分たちで作り上げる自立という名の「自己革命」を誓うことであり、ツアーには参加していない「ATSUSHI」を迎える来年の新章に向けて「混じり気の無い本物」を受け継ぐという「24Karats」の精神の継承だったのかも知れない。その意味で「EXILE TRIBE」は、部活的であり、文化的体育会系とも言うべき集団なのだなと改めて実感させられたライブであった。

▼こうしたライブに「参戦」すると、つくづくパフォーマーと観客の関係性を維持するシステムとしての「ミランダ」と「クレデンダ」の存在の大きさを感じさせられるが、その話は後日にするとして、日本が生んだ当代最高峰のエンタテインメントを目の当たりにし、興奮覚めやらない週末になったことは疑いの無い事実であるということは、備忘録として書き留めておきたい。

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