「自分」との戦い

 ある日、友人に古典の良さを説いていた時のこと。
このシチュエーションにツッコミたいのは山々だが今回はスルーしていただこう。
すると友人は
「どうせなら、古典で点を取る方法を教えてくれ」と。
私は古典が好きなのだ。
それに、定期テストや模試でも古典は他の教科と比べれば点は取れている。
ただ、胸を張って得意とは言えないが。

ここでは、点を取る方法を教えてくれと頼まれたということだけ頭に入れて置いてくれれば十分だ。

この時は、気が向いたら教えると、何とも曖昧で生意気な返事をした。
とは言っても、私にも責任感はあるから、自分がどんな古典の勉強をしていたかを考えてみた。
しかし、いくら考えても特別なことなんてしていなかった。
確かに、授業(高一の時)では教えられていない情報を手に入れてはいた。
例を挙げるとすれば、主語の読み取りだ。
この記事では本題から逸れてしまうため詳しい事は省かせて頂く。

主語の読み取りは古典において大切な点ではある。それもそのはず、古典では主語は省略されていることが多い。
そのうえ、読解においても主語の捉え方が違えば大きな影響を受けてしまいかねない。

しかし、前述したように、特別なことはしていない。
むしろ、当たり前の事の積み重ねをしていたし、それは今でも変わらない。
古語を覚え、助動詞を覚え、助動詞・助詞の意味の識別などの読解に影響する事柄を教わった通りに、文法書に載っている通りに覚え、実践で使い、自分のものにしてきた。
いわゆる、能動的学習というのだろうか。
何でも実践しなければ身につかない。
例を挙げるならば、数学がわかりやすいだろうか。
数学の問題を情報無しで解くよりも公式をある程度覚えてから解いた時のほうが解ける問題が多いと思う。
ただ、公式を覚えるだけでは十分とは言えない。解法を知らなければ、無用の長物にしかならない。
使ってみる→実践→慣れる→身につく
の流れが大切なのではないかと私は思う。
管見ゆえ、間違っていることもあるので、そのようなことがあればご教示頂きたい。

話を大まかにまとめると、
努力の積み重ねが大切だという話。
とどのつまりは努力しかない。
これが私の答えだ。


○まとめ

詰まるところ、自分との闘いなのではないか。
もちろん、簡単になる方法を知るのを悪とは思っていないし、むしろ推奨する。
しかしながら、そこに行き着くまでにすべきことがあるのではないか。
怠惰な弱い自分に打ち勝ち、時には鞭打って歯を食い縛らねばならんのだ。
そのうえ、他人と切磋琢磨することも必要だと思う。
他人の力を借りるなと言っている訳では無い。むしろ、積極的に借りに行くべきだ。
そして、それを活用するためにも自分自身の努力が必要なのだ。

私はこの記事を書こうと思った際、あの名言が頭によぎった。

俺の敵はだいたい俺です 自分の”宇宙へ行きたい”っていう夢を さんざん邪魔して足を引っぱり続けたのは 結局、俺でした 他に敵はいません
 南波六太 『宇宙兄弟』より

それを生かすも殺すも自分自身なのである。

結局今回伝えたかった事は、自分の敵はだいたい自分(名言をリスペクト)だという事だ。


以上、拝読して頂き幸甚です。

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