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知らなきゃハドソン~札幌に一大ゲームメーカーがあった時代~(8)アニメゲーム屋としてのハドソン

※2019年12月1日に書いた記事に
 加筆修正をしたものです。

前回までは高橋名人の大躍進について
紹介してきました。

ですが、「ハドソン=高橋名人」の
図式はあったにしても、

ハドソンは高橋名人という
スター社員の力一つで
支えられていたわけではありません。

‘84年のファミコンへの参入以来、
PC・アーケードの名作を高い技術力で移植、
高橋名人なるスター社員のマルチな活躍、

この二つによって
徐々に人気を獲得したハドソンですが、
同時期に忘れてはならない流れが
もう一つあります。

それがテレビアニメをゲーム化した作品です。

ハドソンがはじめてテレビアニメを
ゲーム化したのは、

‘86年の3月に発売した
『忍者ハットリくん
 忍者は修行でござるの巻』
です。

『忍者ハットリくん
忍者は修行でござるの巻』('86)

また、同年の12月には『ドラえもん』
はじめてゲームソフトとして
発売しています。

『ドラえもん』('86)

「たった二つではないか」
と思われるかもしれません。

しかし、ハドソンから発売された
ファミコンソフトで
100万本以上売り上げた作品は、
4本あるのですが、

その内の二つが
この『忍者ハットリくん』と
『ドラえもん』でした。

(他の二つは『ロードランナー』と
 『高橋名人の冒険島』)

ちなみに『忍者ハットリくん』が
150万本、
『ドラえもん』が
115万本を売り上げました。

同時期に発売された
『スーパーマリオブラザーズ2』の
265万本は別格として、

『ドラゴンクエスト』が
150万本ですから、
(同年5月発売)

『忍者ハットリくん』は
『ドラクエ』と同じくらいヒットした
と言っていいでしょう。

(当時の『ドラクエ』が
 今ほどの認知度ではなかったとはいえ)

『ドラゴンクエスト』('86)

実際、当時はファミコンのある家に行くと、
『忍者ハットリくん』か
『ドラえもん』のどちらかのソフトは
必ず見かけたものです。

当時の感覚から言えば、
100万本以上売り上げるというのは
そういう感じだったんですね。

確かに原作に人気があると、
オリジナルのゲームよりも
認知度は高いですし、

ソフトが売れやすくなるのは
間違いありません。

しかし、必ずしも売れるとは
限りませんし、
当時のアニメ系のゲームは
その多くをバンダイが手掛けていましたが、

どちらかというとゲームとしての
完成度が低いものが多かったのです。

ですが、『忍者ハットリくん』
『ドラえもん』は
グラフィックや音楽も
再現度が高かったですし、

ゲームとしての完成度も
優れていた記憶があります。

それは他社から発売された
当時のアニメ原作のゲームと
比べてみると、
一目瞭然ではないでしょうか。

同時期に他社から発売されていた
アニメ原作のファミコンソフト(一部)

『キン肉マン マッスルタッグマッチ』
バンダイ ‘85.11.8(105万本のヒット)
『超時空要塞マクロス』バンダイ
(開発:ナムコ)‘85.12.10
『オバケのQ太郎 ワンワンパニック』
バンダイ ‘85.12.16
『ゲゲゲの鬼太郎 妖怪大魔境』
バンダイ ‘86.4.17(125万本のヒット)
『六三四の剣 ただいま修行中』
タイトー ‘86.8.8
『北斗の拳』
東映動画 ‘86.8.10
『機動戦士Zガンダム HOT SCRAMBLE』
バンダイ ‘86.8.28
『うる星やつら ラムのウェディングベル』
ジャレコ ‘86.10.23
『ドラゴンボール 神龍の謎』
バンダイ ‘86.11.27 (125万本のヒット)
『トランスフォーマー コンボイの謎』
タカラ ‘86.12.5

上記の一覧からもわかるように、
当時のテレビアニメの
ゲームソフトの多くは
バンダイから発売されていました。

これはもともと玩具メーカーだった
バンダイがアニメの放送枠の
スポンサーになり、

そのアニメに関連した
おもちゃやゲームを

スポンサーであるバンダイが手掛ける
という自然な流れに沿ったものだった
と考えられます。

一方、『忍者ハットリくん』
『ドラえもん』は、
ハドソンがスポンサー企業の一つとして
参加していたのもあって、

これらのゲームソフトを
手掛けることになったんですよね。

『忍者ハットリくん』『ドラえもん』は
ともに小学館の雑誌で連載され、
テレビ朝日系列でアニメ化された
という共通点もありますね。

(特にハドソンは
 『コロコロコミック』を通じて
 小学館との繋がりが強かった)

『忍者ハットリくん』
『ドラえもん』のゲーム化を通じて、
ハドソンは、アニメをゲーム化する
ノウハウを得ただけではなく、

テレビ番組のスポンサーとして参加し、
メディアミックスの
ノウハウを得るきっかけに
なったのではないかと考えられます。


もちろん、
このメディアミックス路線には
今回紹介した『忍者ハットリくん』
『ドラえもん』だけではなく、

高橋名人のマルチな活動も
後押ししていたことが伺えますね。
(高橋名人はマンガ、テレビ、レコード、
 果ては映画にまで進出した)

テレビ番組のスポンサーとしての
ゲーム化、
高橋名人のマルチな活動、

この二つを起点に
その後のハドソンは
さらに独自の発展を
遂げることになっていきます。


【参考文献】
ITmedia ビジネスオンライン「“高橋名人”という社会現象」
https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/0903/12/news087.html
『別冊宝島セレクション 僕たちの好きなTVゲーム 80年代懐かしゲーム編』‘05/宝島社

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