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知らなきゃハドソン~札幌に一大ゲームメーカーがあった時代~(7)全国キャラバン&高橋名人の躍進

※2019年11月24日に書いた記事に
 加筆修正をしたものです。

ハドソンが‘85年から実施した
「ハドソン全国キャラバン」は
その名の通り、
全国を巡業するゲーム大会でした。

毎年、1本のハドソンの
公式ソフトが決められ、
全国のプレイヤーたちが
その腕を競い合いました。

このイベントはその後
‘97年まで続くことになります。

‘85年キャラバン公式ソフト
『スターフォース』
‘86年キャラバン公式ソフト
『スターソルジャー』
‘87年キャラバン公式ソフト
『ヘクター’87』
‘88年キャラバン公式ソフト
『パワーリーグ』
‘89年キャラバン公式ソフト
『ガンヘッド』
‘90年キャラバン公式ソフト
『スーパースターソルジャー』

一方、‘85年の9月には任天堂から
『スーパーマリオブラザーズ』が発売され、
最終的には681万本を売り上げる
大ヒットを記録しました。

この頃からファミコンは
本体も品切れになるほど、
ブームは社会現象となっていきます。

『スーパーマリオブラザーズ』('85)

このファミコンブームの
一翼を担う存在として、
高橋名人はテレビやラジオなどの
メディアにも進出しました。

‘85年、テレビ東京系列で
放送されていた朝の情報番組
『おはようスタジオ』の

ゲーム紹介コーナーへの
レギュラー出演を皮切りに、

翌年の‘86年にはラジオ番組
『全国こども電話相談室』の
準レギュラーにも
抜擢されることになります。

‘86年の春には歌手として
レコードデビュー、

デビュー曲『RUNNER』も収録されたベスト盤

秋にはテレビ東京系列で
『高橋名人の面白ランド』という

ゴールデンタイムの
冠番組も放送を開始します。
(‘86.10~’87.9)

その他にも‘86年には
『コロコロコミック』にて

高橋名人を主人公にした
『ファミコンランナー高橋名人物語』が
連載を開始。

『ファミコンランナー高橋名人物語』
('86~'88)

同じく高橋名人を主人公にした
ゲーム『高橋名人の冒険島』も発売。

『高橋名人の冒険島』('86)

アニメ『Bugってハニー』も放送されました。

『Bugってハニー』
(‘86.10~’87.9)

そして、極めつけは、
『GAME KING 高橋名人 VS 毛利名人
 激突!大決戦』(‘86)
という映画まで制作されました。

(ハドソンの『スターソルジャー』を
 アニメ映画化した
 『RUNNING BOY スター・ソルジャーの秘密』
 と同時上映。
 この作品の主題歌で高橋名人は歌手デビュー)

『GAME KING 高橋名人VS毛利名人
激突!大決戦』('86)

‘85年の春のイベントで高橋名人が
子どもたちの前に登場してから1年という
ごく短い期間の間に高橋名人は、
メディアに引っ張りだこの
スターへと転身しました。

かくして高橋名人は、ファミコンとともに
ゲームメーカー・ハドソンの名を
世に知らしめる存在になったのです。


【参考文献】
ITmedia ビジネスオンライン「“高橋名人”という社会現象」
https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/0903/12/news087.html
『別冊宝島セレクション 僕たちの好きなTVゲーム 80年代懐かしゲーム編』‘05/宝島社

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