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役に立たない文章の書き方

「人の役に立つ記事を書かねば」
と力んでしまうと、
文章が書けなくなってしまいます。

もちろん、役に立つ記事を
否定するわけではありません。

ビジネスでやっていることではないので、
私は「役に立たない記事」を書くことを
めざしています。

そして、その記事は、
本当に「役に立たない」のか、
ということについても考えてみます。

私自身、毎日のように
「役に立たない記事」を
書き続けています。

何よりも自分が楽しむために、
ここで文章を綴っているからです。

書いていて自分が楽しい記事でなければ、
毎日書くことはできません。

たとえ、誰かが楽しんでくれる
記事であっても、
自分が一番楽しくなければ、
文章を書きたいと思わないでしょう。

「役に立たない記事」を書くうえで、
意識していることがあります。

それは自分にとって、
負担のない程度の書き方にする、
ということです。

はっきり言って、
文字だけで何かを表現するのは、
ものすごく難易度の高いことです。

かの有名な文豪・谷崎潤一郎も
自身の文章観を述べた
著書の中で言っています。

「文章で全てのことを表現できる
と思い上がってはいけない」

谷崎潤一郎がおっしゃるとおりです。

言葉で表現できることには
限りがあります。

そこで、私はこれを
自分に都合のいいように解釈して、
「ほどよい加減」
を維持するように努めています。

例えば、1日にあった出来事について、
書きたいと思ったとしましょう。

真面目な人は、
1日にあったことを
頭から終わりまで、
丁寧に書かなければいけない、
と必死に書いてしまいます。

もちろん、それで自分が楽しければ、
何もいうことはないんですが、
私なんかは、ものぐさな性格なので、
そんなことをしたら、
億劫になって文章が
仕上げられない気がするんですよね。

なので、私は自分が積極的に書きたい
と思うところだけを書くようにして、
ある程度、省略して文章を書きます。

説明が長くなると、
書く方も読む方も
つらいと思うんですよね。

だから、書く人と読む人の
心地よさを考えて、
説明を間引いているのです。
(まぁ、結局は自分が
書くのがめんどうなだけなのだけど)

そうやって簡略化された文章は、
時にコミュニケーションを生みます。

完璧すぎない文章は、
コメント欄で質問されたり、
といったコミュニケーションも生むんです。

せっかくnoteで、
記事を公開しているなら、
コミュニケーションを生む記事を書けた方が、
楽しいし、意義があると思いませんか。

時には誤解を生むこともあるでしょう。

しかし、人を傷つける内容でない限り、
なんの問題もないと思います。

どんなに親切丁寧に
言葉を尽くしてみても、
それを読むか読まないかは、
読者しだいですし、
多少なりとも誤解はあるものです。

冒頭の「役に立たない記事」は、
本当に役に立たないのか、
という問題について、
私なりの考えを述べさせてもらいます。

この世にまったく
誰の役にも立たない記事はない、
というのが私の考えです。

noteでは、なんらかの知恵とか、
見るからに有益な情報を
提供されている方も多いですが、
その記事にしても、
本当に役立つ情報かどうかを決めるのは、
読者の方です。

書き手が決めることではないと思います。

一方、noteでは日々の出来事や
自分の思うことをエッセイのように、
綴っている方も多いです。

こういう記事を書いている方は
「個人的なことなので価値がない」
と謙遜される方が多いような気がします。

しかし、これも前者と同じで、
役立つかどうかは、
書き手が決めることではなくて、
読者が決めることだと思います。

書かれているのが個人的なことであっても、
共感できる読者がいたり、
楽しんでくれる読者がきっといます。

「楽しませるだけ」では、
価値がないと思う方もいるかもしれませんが、
一瞬でも人を楽しませることができるなんて、
すごいことだと思いませんか。

たとえ、暇つぶしに読まれたとしてもです。

人の本当の気持ちは、
お金では買えません。

「お金を払うので、
私の記事を楽しんでください」
と言ったところで、
本当に楽しめるかどうかは、
やはり読者の気持ちしだいですよね。

だから、私はこの世に
「役に立たない記事」はないと思うんです。

たとえ、自分ではつまらない文
と思っていても、
あなたが毎日投稿してくれるだけで、
それを励みにしている人もいるかもしれません。

この理論は、文章だけでなく、
人自体にも言えることです。

役に立たない人なんて、
一人もいません。

あなたという人がいてくれるだけで、
嬉しいという人もいるのではないでしょうか。

遠く離れていて、
直接的なつながりはなくても、
そう思ってくれている人は、
自分が思うより多くいるはずです。

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