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個別最適な学びと協働的な学びについて③

現在の教育活動では,一斉授業が主流となっているが昔の教育活動ではどのような形態だったのだろうか。

江戸時代


寺子屋など近代以前の教育機関では,大勢の子供が居合わせても,学習は個別的に進められ,教材も一人ひとり違っていた。師匠がその子の実態に合わせて教材を各自のペースで自習していて,それを一人ひとり順番に師匠が呼んでは,少しの時間,個別に指導するのが基本だった。

明治時代


明治期になると近代国民国家を早期に樹立し,富国強兵・殖産興業を推し進めるには,新しい時代が求める知識や行動様式を国民全員に急ぎ身につける必要があった。個別での指導は子供の学習効率は高いが,一人の教師が面倒を見られる人数にはおのずと限界がある。そこで採用されたのが学級集団を相手にした一斉指導だった。

これらのことから,一斉指導が絶対的に正しいということはいえない。日本の軍事的理由から一斉指導となったという背景を本書で知ることで,一斉指導に対して懐疑的な視点をもつことができた。私は,授業実践をしていて,理解できている子供だけではなく,理解している子供を置き去りにしている一斉指導に不満を感じている。発表はなんのためにするのか。なぜクラス全体で共有するのか。なぜ研究授業では,ペア・グループ活動ばかりなのか。学び合うことが目的で学習内容を理解するという目的を達成することができていない。

子供はそれぞれの習熟に合わせてスモールステップで学習をし,理解の壁にぶつかった時,友達や周りに意見を求める。これが自然な思考な流れだ。教師は,教団で教鞭を振るうのではなく,学習環境の整備に特化するだけで子供たちは意欲的に学び出す。なぜなら,子供たちは有用な学び手なのだから。

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