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「誰かに必要とされたい」と思わなくていい理由

私はどっちかって言うと「誰も必要としない」の方が大きいんだけどこういう気持ちもあるので考えてみた。
必要とされたい気持ちは、過剰過ぎるのが良くないのであって、誰にでもあるもの。適正であれば、自分より他者を優先する優しさに繋がる思考だ。強すぎると、自分を必要とする人に依存して搾り取られたり、必要以上に自分を抑えて、自己肯定感を減らす結果になってしまう。

「誰かに必要とされたい」は、
「誰かに必要とされる自分に価値を感じている」ということで、裏を返せば
「誰かに必要とされない自分には、価値がない」ということだ。

自分で自分を必要としてるし、基本的には、誰彼構わず必要とはされたいと思わないが、自分が好きな人、自分にとって大切な人には必要とされたい。と思うくらいがちょうどいい。
(ただ、私の場合、彼だけに必要とされたいという思いが強すぎるので、そこはまた別の記事で解説します。)

「必要」を他者に求めすぎている

1番自分を必要としてるのは、自分だ。自分がいなければ、ご飯も食べられないしトイレにもいけないし、一人で着替えられない。(ニュアンス伝わるかな)自分が自分を必要としている以上に、必要とされなくていいし、「大切な人だけに必要とされたい」のではなく、自分を含めて、自分を必要としてくれる人を大切にする。

そもそも、存在してるだけで、必要とされてる

「誰からも必要とされてない」と思うのは、あなたが「行為」のレベルで、見ているから。他者が「何をしたか」でなく、存在しているだけで役に立っている。生きているだけで、周りの心を支えている。「私は、生きているだけで、誰かの心を支える存在だ。」と自分の事を存在のレベルで受け入れる。存在していること自体に感謝する。

自分がそれを知らない(特定の相手だけに必要とされたいと視野を狭めている)だけで、あなたが生きてるって事実が誰かの支えになってる。薄い繋がりでも、自分が死んでしまえば、ちょっとずつ人に悲しさを与えることになる。

嫌いな人にまで必要とされなくていい

誰からも必要とされたいということは、自分が嫌いなタイプの人からも必要とされたいということでもある。そうなると自分が嫌いなタイプの人にまで気遣いや時間を使わなきゃいけなくなってしまう。無理して付き合ってまで、「誰からも必要とされたい」を守る必要なんてないのです。

適正に持って行くためにすべきこと

自分が自分を必要としている、という感覚を身につける

自分の心の声を聴いて、自分の声を満たすような行動をとることで、孤独を恐れず一人でもリラックスできるような自分を作っていく。自分の心の声を聴いて、自分の要望を聴いてあげられる自分の存在に気づく。まずは自分一人でも幸せになる。

他者もまた、存在レベルで役に立つ事を意識する

自分が存在してるだけで、誰かの役に立っているなら、他者もまた存在してるだけで役に立つ存在だ。自分の心を支えてくれている人達を思い出して、「存在レベルで感謝」して、自分もまた相手にそう思われてるんだろうなと思いを巡らしてみると、凄く安息感で満たされるような気分になってくるのでそれに浸ってみる。「皆がいるから大丈夫」「私もそうやって誰かの支えになっている」と思えてくると、すこし器が大きくなる感じがする。

逆の立場になってみる

「必要とされる」の言葉の通り、受け身の姿勢なので、ボランティアに行ってみたり、自分を「必要とする人」の所へいって、与える側になってみるのも気分転換にはよかった。必要とされたい人の気持ちが分かって少し抑えられるようになる。(他のと比べると効果薄い)

自分「が」必要とする人の事を想像する

普段お世話になってる私の場合、仲の良いカイロプラクティックの先生の事や、カウンセラーの先生などの事を考えて、私が必要とする人はどんな人なのかという視点で考えてみると、必要とされたいと思ってる相手を自分が必要としているのか。という見方が段々と出来るようになってくる。(相手との価値観などにも敏感になってくるので、一番やった方が良い)

良いように使われてる気がするとか、やな感じがするとかだったら一旦距離をおくのも手

自分の自尊心大事にしてくれる人かっていうのを冷静に見極める。自分を大切にしてくれる人を大切にすればいい。

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