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プロレスとAKBグループは似ている!?

こんなタイトルだとプロレス、AKBグループどちらのファンからも怒られそうですが…

ここ最近プロレスの良さを熱く語るとAKBグループのオタから「結構似てるよ、うちも」というような言葉を頂くことがあり、書いてみました。

もちろん見た目は違いますが、何が似ているのでしょうか?

目次
1.試合やライブは作品の一部にすぎない
2.エースやセンターになるだけが全てじゃない
3.エース、センターとしての重み
4.ライバル同士の熱い友情

1.試合やライブは作品の一部にすぎない

プロレスならば試合、AKBグループであればライブは大きな魅力です。

しかし、ファンはそこだけに惹きつけられるわけではありません。

新日本プロレスのメイ社長は
「試合は映画で言うと、最後の殺陣のシーン、そこだけでももちろん面白いが、そこに至るまでのストーリーを知らないと85%くらいは魅力は下がるのでは?」
と某イベントで語っていました。

そしてこのことはプロレスだけでなく、AKBグループもライブの良さだけでなく、そこに至るまでのストーリーや人間ドラマを通して見ることで何倍もその魅力が見えるそうです(まさにそうだと思います

2.エースやセンターになるだけが全てじゃない

プロレスラーであればやはりその団体の中での権威あるベルトを巻くことを目指して練習や試合を頑張ります。

そしてAKBグループであればセンターを目指して努力すると思います。

しかし、全員がセンターやエースになれるわけではありません。そして全員がセンターやエースではグループや団体としても機能しなくなってしまいます。

アイドルやプロレスラーは、夢を追うパフォーマーである一方で、組織の一員です。

なので、センターやエースにならなかったメンバーも、その個性を活かしたり、場合によっては運営側の意図を汲みとる形で、組織の中での役目を果たすことが重要になります。

ヒールキャラ、お笑い担当、汚れ役、天然キャラ、下ネタ担当などその役目を時には自分の意思に反してでも全うする姿にファンが惹かれることもあり、そしてその役目をコツコツ行うことでセンターやエースになる場合もあるところに醍醐味があります。

この組織の一員としての自分と夢を追うパフォーマーとしての自分の葛藤という見所も両者の共通点です。

3.エース、センターとしての重み

上ではエースやセンターになることが全てじゃないと書きましたが、逆に言うとエースやセンターになれた場合は、なれなかった全てのメンバーの想いを背負って立つことになります。

新日本プロレスの棚橋選手は、プロレスのイメージを明るくし、女性ファンを増やすために、団体の顔として、SNSやブログで積極的に発信し、テレビにも積極的に出演しました。そして、靭帯がなくなるような大怪我をしても、エースがリングにいないとファンが悲しむと、欠場せずにリングに立ち続けました。

AKBグループでいえば、例えばNMBの絶対エースである山本彩さんは、NMBのプレゼンスを上げるために、自分が出過ぎることへの疑問や葛藤を乗り越えて、グループの顔としてテレビ出演の際などは、「借りた猫」にならないようにアピールされていたそうです。

4.ライバル同士の熱い友情

同じグループ、団体のメンバーといえど、センターやエースの座を争うライバルでもあります。

特にそれがトップクラス同士となるとメディアや外部の人は、2人の争いを駆り立てるように取り上げます。

そんなライバル同士が、時に見せる友情はファンの感動を呼びます。

「(AKBを)ここまで連れてきてくれてありがとう」

これは熾烈なセンター争いを行っていた大島優子さんから卒業する前田敦子さんへの有名な贈る言葉です。ライバルだからこそ相手の実力をよく理解しており、とても重みがある言葉だと思います。

近似した名場面は、新日本プロレスでもありました。

「10年間、新日本プロレスを守ってくれてありがとう」

こちらも看板レスラーの座をめぐって熾烈な争いを行ったほぼ同期入門の柴田勝頼選手が、棚橋弘至選手に送った言葉です。

新日本プロレス/プロレス全体に希望が持てずに総合格闘技の道へ行き、そして総合格闘技も行き詰まってしまい、新日本プロレスに戻ってきた柴田勝頼選手が、ずっと新日本プロレスのリングでプロレスを続けていた同期に抱いたリスペクトがこのような言葉となって発露しました。


ここまでもし読み切って頂いたAKBグループファンの方はぜひ一度プロレスのご鑑賞をお願い致します。



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