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“コンテンポラリーダンサー×生姜農家”として日高村へ。ダンスは自分の中にあるものをシェアするツール。

浅沼圭/Kei Asanuma


ダンサー、振付家。
東京出身。これまで森山開次、串田和美、広崎うらん、矢内原美邦、谷賢一など、ダンス・演劇・サーカスの演出家作品に出演、国内外のツアーに参加。
2010年まで新体操の選手として、数ある賞を受賞し、日本代表にも選出される、北京オリンピック強化選手。引退後はコンテンポラリーダンスに魅了され単身渡英、ダンサーへ転身。現在は舞台・映画・CM・MV、アーティストとのセッションの出演を中心に振付、ステージングでも活躍。ダンサーという枠を超え、身体表現を軸に様々なフィールドで活動をし、また自身の創作活動もしている。
2022年11月日高村のアーティスト・イン・レジデンス(注)に奥澤秀人さんを誘い参加。壬生農園にて2週間“ダンサー×生姜農家”として活動した。
(注)アーティスト・イン・レジデンスとは
アーティスト・イン・レジデンス(Artuist in Residence、以下、AIR)とは、国内外からアーティストを一定期間招へいして、滞在中の活動を支援する事業をいう。日本においては1990年代前半からAIRへの関心が高まり、主に地方自治体が担い手となって取り組むケースが増えてきている。

Q:日高村に来たきっかけは何ですか?
A:去年日高村にAIRで来ていた久保田さんの Instagram。

去年の11月くらいに、ダンサーの久保田舞ちゃんが毎日毎日生姜を収穫している様子をInstagramのストーリーに載せていたんです。とても気になる活動だったので「今、どこで何してんの?(笑)」ってツッコんだのがきっかけですね。「今、高知県の日高村ってところでAIRをしてるんです。圭さん似合いますよ、来年応募してみてください~」って言われて、去年から目を向けていました。
ちょうどこれから個人的な活動に時間を作っていきたいなと思っていたこともあり、地方のアーティストストレジデンスに興味を持っていたんです。
また、これは別の個人的な好奇心ですがダンサーの田中泯さんの暮らし方、田舎で畑をしながら、体つくりをしながら生活を体験してみたかったのもあり、このレジデンスがバッチリハマりまして、応募させてもらいました。
久保田舞さんの活動はこちらから>

Q:今回はシルクドソレイユの元団員の奥澤さんを誘って日高村のAIRに参加されたのは、なぜですか?
A:秀(奥澤秀人)さんと身体遊び・リサーチをしたかったからです。

秀さんと初めて出会ったのは、2022年の8月。福島県いわき市にあるハワイアンズセンターの夏のイベントでサーカスショーがあり、振付を担当しました。そこでパフォーマーとして参加していたのが秀さんでした。
そのショーで感じたことがこれまでの仕事とは違い、初めて出会う身体性の方々にとても刺激を受け、こういう人たちと身体遊び・リサーチをしてみたいと感じました。
秀さんは元々、社会人まで体操選手だったのでアスリート経験の共通点があったのと、個人的にシルクドソレイユでの14年間、毎日ショーと旅の日々を送ってきた精神性に興味があったんです。
そう思っていた頃にちょうど、​日高村​AIRの選考結果が出て、参加することが決まりました。
そこで、秀さん誘って、農家体験や生活、練習する時間を共有できたら面白いかもと思ったんです。
ダメ元で日高村AIR担当の斉藤さんに「日高村にもう1人追加可能だったりしますか~?」と聞いてみたら、「ああ良いですよ〜」ってお返事が返ってきて。
「あれ、思ったよりフランク!神(涙)」ということで、さっそく秀さんを誘ってみたら、こちらも「良いよ〜」ってフランクで(笑)一緒に参加するというまさかの展開になりました。
奥澤秀人さんの記事はこちらから>

Q:日高村ではどのような生活をしていましたか?
A:毎日、生姜のお手伝いとダンスの練習。

元々このAIR日高村はアウトプットを必要としないAIRだったので、平日8:00~17:00の土日休みで生姜のお手伝いをするという提案をいただいたんですが、奥澤さんも一緒に参加しているので、身体遊び・リサーチ(練習)する時間を確保したいなと。相談をして、お手伝いは午前中だけの日を何日かつくっていただきました。
練習場所は、能津小学校の体育館を使わせていただくことに。


せっかくの機会なので練習時は近隣の方が自由に見学できるよう体育館を開放していました。下校中の子どもたちや、小学校の先生方、壬生農園の方々、話を聞いて来た方などが見学、またシルホイールや、ストラップを体験したりなど、興味を持ってくれていました。
運動場で子どもと一緒に鉄棒をした日もありました(笑)秀さんが子どもたちに逆上がりを教えてあげたり、私はキャッチボール一緒にしたり。
あと、私が秀人さんに毎日ダンスを教えていましたね。

【午前中だけ生姜お手伝いの日の1日】
7:00 起床
7:30 家を出て車で畑まで移動
8:00 生姜の手伝い開始
12:00 生姜の手伝い終了
12:30生姜を収穫する畑に近いところでランチ(自由軒、くれない、マンマ亭など)
14:00 帰宅
15:00小学校の体育館で練習
20:00 帰宅 夜ご飯を食べて、寝る準備
23:30 就寝

【1日生姜お手伝いの日の1日】
7:00 起床
7:30 家を出て車で畑まで移動
8:00 生姜の手伝い開始
17:00 生姜の手伝い終了
17:30 帰宅
18:30小学校の体育館で練習
20:30 帰宅 夜ご飯を食べて、寝る準備
23:30 就寝


Q:日高村の印象はいかがですか?
A:自然のエネルギーの大きさを感じました。

来る前からいろんな方に『仁淀川はきれいだよ〜』とお勧めされていたので何となくイメージはあったんですが、実際に見たら透き通るエメラルドグリーンで、本当にこんな川があるんだと驚愕。ずっと見ていられる美しさでした。そして、空気の透明感が透き通っていて、大自然のエネルギーをたくさんいただきました。


これだけ毎日生姜を収穫して、練習しての日々で相当疲弊するのではないかと初日は心配していましたが、思っていた感じの疲労感はなく自然のエネルギーの大きさを感じました。こんなに毎日、土を触るのは人生で初めてだったのでアーシングできたのか、帰ってから身体が強くなった感覚がありました(笑)

Q:ワークショップを行ったり、パフォーマンスの披露も行ってくださいました。2週間でここまで村民の中に入り、活動を勢力的に行った原動力を教えてください。
A:「こんな生き方をしている人もいるんだよ」という選択肢や材料の一つとして、また知ってもらったり、またわくわく体験を。

私の母は佐賀県出身で、子どもの時、野原に囲まれた環境で育ち、新しいものや本物、最先端のものに触れる機会はなく、そういう面白そうなものに対する好奇心はきっと強くあったんだろうなと思います。母は、東京で結婚し、東京で子供を育て、小さい頃はいろんな楽しそうなところに連れて行ってくれる人でした。
その中の一つで、4歳くらいの時に、シルクドソレイユ、アレグリアに連れて行ってもらったことがあります。
また、母は新体操の先生だったので、私が0歳児からぐねぐねと遊ばれて育ち体が柔らかく(笑)自分以外に柔らかい人を見る機会は初めてだったので、似た身体性を持った人がいることを知り、わくわくした記憶があります。
私、整ったところに、水滴を垂らすような行為が好きなんですよね(笑)
わくわくすることって生きていく上で必要なエネルギーの一つで、何か生まれる瞬間でもある。私が子どもの時に経験した「世界が広がった瞬間のあのわくわく」を、今の子どもたちにも知ってほしいんです。そのために、私ができることは献身的にやろうと思っていました。
そして、伝承していきたいんです。
私たちのような職業は特に人口が少ないので、この出会いは最初で最後かもしれないという思いも常にあるので。


このAIRで体育館を使わせていただいた能津小学校の校長先生は、奥澤さんの大学の大先輩だったんです。そして私含め3人とも体育大出身(驚)
大変なサーカスの吊りセッティングや、近隣の方に向けたワークショップを提案させていただいたら、柔軟に対応してくださいました。ご理解していただいた校長先生には、本当に感謝しています。


Q:圭さんが新体操をやめてコンテンポラリーダンスを始めたきっかけを教えてください。
A:バットジェバダンスカンパニーのショーをみて。

20何年間続けてきた身体性を今後活かせる道はないか?
また、全く別の世界でまた自分を試してみたいという好奇心で新体操現役選手引退後、
様々なダンスを探していた時期があります。(今も新たに探していますが)
これまでアスリートの世界、新体操一色の人生でしたし、周りにいまの世界につながる芸術関係・ダンス関係者に詳しい人が全くいなかったので、相談できる人がおらず。また自分だけの情報収集には限度があり、進む道はとても困難でした。ストリートダンス、ジャズダンス、ヒップホップといろいろやってみた時期もありますが…どれもこれもピンとこず…
その中で思い出したことが、新体操をやっていた大学生時代19、20歳の時にそれぞれヘルニアと両足疲労骨折の選手生命を絶たれる怪我をし、少しリハビリしていた時期のこと。
長年音楽を作ってくださっていた先生が「こういう世界もあるよ、見てみて、圭ちゃん似合うと思う」と、シルヴィギエム、Pinaバウシュなどのコンテンポラリーダンスのvideoを貸してくださいました。
新体操しか知らない20歳の私には「なんだこれは…⁉️」と、謎に包まれたのを覚えています(笑)
いろいろやってみていた時期に、そういえばそういう世界があったと思い出し、調べ始めました。
コンテンポラリーダンスはヨーロッパらしいぞということがわかったので「とりあえず見てみる!体験しに行くぞ!」とのことで、英国へ行くことにしました。若さゆえにできることですね…(笑)
イギリスで様々なコンテンポラリーダンスの公演を観て、ルールのない世界、表現や身体性の幅の広さに大困惑しました。その中でコンテンポラリーダンスのカンパニー「バットシェバ舞踏団」の公演を初めて観た時に、そのエネルギーに衝撃を受けました。

(イスラエルのバットシェバカンパニーのテラスにて、その時メンバーに入ってた柿崎麻莉子さん(右)と圭さん(左))
土臭いダンスに、一人ひとりの体にパッションが宿っていて、演者の身体性も高い。
コンテンポラリーダンスの世界、面白いかも!と感じた瞬間でしたね。
まずは学費が優しいドイツの公立のダンス学校の資金を貯めようと思い、一時帰国しました。
その時期にちょうどコンテンポラリーダンスの舞台オーディションがあったので、受けてみたら受かったんです。その舞台が森山開次さん(※)との出会いで、本格的にコンテンポラリーダンスの世界に入るきっかけになりました。
初めてコンテンポラリーダンスの動画見せてもらった20歳の時には、数年後自分が始めるなんて全く思っていなかったです(笑)
(※)「星の王子さま -サン=テグジュペリからの手紙-」に出演
演出・振付・出演:森山開次
【2023年1月-2月】「星の王子さま -サン=テグジュペリからの手紙-」について詳しくはこちら>

Q:新体操からコンテンポラリーダンスへ転換して大変だったことはありますか?
A:“新体操をしていた自分”の表現ではなくて、自分の底の底にあるナチュラルなものを表現したい。それなのに節々に新体操が出てきちゃう。

バットシェバカンパニーの舞台を見た衝撃と「この表現をしたい!」という理想はあるのに、それと自分が踊っている姿のギャップが大きかったことですね。
新体操とコンテンポラリーダンスは身体の使い方が何もかも違うんです。
例えば、新体操では膝や肘が常にぴーんと伸びているのが良しとされている。そういう「高得点を取るためのルール」みたいなものがたくさんあるんです。


でもコンテンポラリーダンスにはルールなんて無くて自由。ルールさえも自分で創るもの。
新体操から離れると決めたからには、“新体操をしていた自分”の表現ではなくて自分の底の底にあるナチュラルなものを表現したい。それなのに自分に新体操が染み付いていて、節々に出てきちゃうんです。自分が踊っている映像を見ても、頭の中の理想と全然違って「私がやりたい表現はこんなんじゃない!」という葛藤がずっとありました。
だから「新体操なんかやってなきゃよかった」って思っていた時期もあったんです。
こんなにも新体操が染み付いた身体に悩むこともなかったし、なんならもっと早く海外に出てコンテンポラリーダンスを学べたのにって。
そんな時期にある人から言われて、今でも覚えているのが「両方本気だから、葛藤するんだよ」という言葉。私の中に変なプライドがあって「新体操は本気じゃなかった」って思い込んでたんです。けど、新体操も本気でしてたし、今、コンテンポラリーダンスを本気でやっている。
だから、こんなにも葛藤して悩むのか。そう思えた時に「新体操なんかやってなきゃよかった」って、過去にずっと追われている感覚が少し楽になりました。

Q:自分の表現したい理想と現実のギャップへの葛藤からはどのように抜け出しましたか?
A:「新体操とは違う世界にいったね。表現者になったね」という言葉。とは言っても、今もまだ模索中。

葛藤しながら、自分の体と向き合って模索し続けていました。それは新体操時代からずっと、やってきたことなので慣れているんです。
私は身長が小さいし、身体が柔らかすぎるという新体操の世界では珍しいタイプで、全体の10%くらい。柔らかいのはいいじゃんと思われそうだけど、筋肉が付きにくくて、きれいな姿勢を保てないんです。周りに同じような悩みを抱えている人がおらず、1人で葛藤しながら自分なりの表現を模索し続けていました。コンテンポラリーダンスを始めてからも、それは同じでしたね。
その葛藤から抜け出す大きなきっかけになったのは、舞台を見にきてくれた人に言われた言葉。コンテンポラリーダンスを始めて5、6年たった頃、新体操の先生が舞台を観に来て「新体操とはちがう世界にいったね。表現者になったね。」と言ってくれたんです。
その時に「自分の表現が変わってたんだな」と初めて気が付くことができました。
とは言っても、今もまだ模索中!
新体操は表現をするためのツールとして使いこなせるようになった感覚はあったけど、コンテンポラリーダンスはまだ最大限に使いこなせていない感じがあるんですよね。新体操歴は14年、ダンス歴は8年。きっと新体操歴を超えるまでは、この葛藤からは完全に抜け出せないんじゃないかな(笑)

Q:今後、日高村とどのように関わっていきたいですか?
A:表現するってこんなにも楽しいんだって、伝えていきたい。

住む場所、年齢、性別、環境、それぞれ違う人たちが経験したことを身体を通して、こう感じたってシェアすることって、とても多様に満ち溢れている。知らなかったことを知れたり、共感したり、豊かになると思っていて、そんなツールとしてダンスを楽しめたらいいなって思います。
振り付けを覚えて、揃えて、みんなの前でかっこよく踊る。それだけがダンスだと思ってしまうと、遠い存在になるけど、自分の中にあるものとしてのダンスに触れて知ってもらえたら、より身近で自分の体に愛着が湧くと思うんです。私自身もダンスを通して教えてもらいました。
まだまだ私も発見ばかり。

私からすると生姜を引っこ抜く時の格好も、コンテナに詰めていく動きも、全部ダンスをしているようなもんなので、みんな既に踊っているなと。農家作業を通して、面白く皆さんの仕草を観察させていただきました。


また、土日に急遽開催したダンス教室に大人の方も参加されていてスッキリした面持ちで、「とっても楽しかったです」と言って帰られた方が何人もいました。その瞬間身体で表現していくってすごい事だなと改めて思いました。


【浅沼圭さん出演情報】
●2023.4.16
【toconoma 15th ANNIV. TOUR TOCONOVA】

EXTRA
VENUE/LIQUIDROOM
GUEST/持田香織・柳下"DAYO"武史 (SPECIAL OTHERS)・サイトウ"JxJx"ジュン(YOUR SONG IS GOOD)・DAISUKE (JABBERLOOP)・MAKOTO (JABBERLOOP)・浅沼 圭・KT Chang(Elephant Gym)・丸易玄(griffo)
●2023.6.16~18
【第142回定期演奏会 井上道義 最後の火の鳥】

●2023.10.27~29
フィアース5 世田谷パブリックシアター

◆フランス現代サーカス界を牽引するラファエル・ボワテル演出
次世代を担う若きサーカスアーティストによる日仏コラボレーション
世田谷アートタウン2023関連企画
フランス×日本 現代サーカス交流プロジェクト
『フィアース5』
世田谷パブリックシアター
【構成・演出】ラファエル・ボワテル
【照明・セットデザイン・技術監督】トリスタン・ボドワン
【リハーサルアシスタント】吉田亜希
【出演】浅沼圭 長谷川愛実 目黒陽介 吉川健斗/山本浩伸 安本亜佐美 ほか


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