初めての他社訪問

私が初めて他社訪問をしたのは、入社して一月ほど経った頃だ。もちろん一人ではなく、上司と一緒にだ。

一人ではないという安堵感はあったものの、その緊張感たるや、山のごとしである。それまでレジを打ったり「こんにちわー」と言うだけの仕事しかしたことがなかった私にとって、勤務時間中に会社の外に出るというのは新鮮だった。こうやってただ駅に向かって道を歩いているだけでも、賃金が発生しているのだと思うと、不思議な気持ちであった。

訪問先に着くと、上司が受付を済ませてくれ、クライアントが出てくるのをロビーで待った。そこここで、テレビでよく見るサラリーマン同士のやり取りがリアルに繰り広げられていて、これまた新鮮だった。この歯車の中に自分も取り込まれているのだと思うと、現実離れした感覚を覚えた。

クライアントが現れ、私の緊張はピークに達する。引きつった顔で微笑みながら言う「はじめまして」。会議室まで案内してもらうためクライアントに上司と一緒に後ろをついていくのだが、歩き方を忘れてしまったように足取りはたどたどしい。

会議室に到着し、私は部下として紹介され、名刺交換をした。相手の名刺に何が書いてあるかなど目には入らず、ただただちょっと良い紙を上手く交換し合うことに全神経を集中した。

出発前に、私は筆記用具と名刺だけとりあえず持っていくように指示されていた。その為、鞄の中はスッカスカである。そして、会議中は、きっと何言ってるかチンプンカンプンだろうが、ひたすら出てくる言葉を片っ端からノートにメモれと言われた。

私は必死にメモった。生まれてこの方、こんなに自分の手首が速く動くとは思わなかったというぐらいメモった。メモりつつ、話が分かったふりをして、二人が笑いあってるときは自分もよく分からないが「ははは」と合いの手を入れた。お前が「ははは」だよと自問したい。

あまりに乱暴に速記に勤しんでいた為、私のボールペンは早々に壊れ、インクはまだたくさんあるはずなのに字がでなくなった。私は予備のペンを持ってくるほどできた人間ではなかったので、出ないペンでノートに無理やり書き綴った。

訪問が終わり、帰社後、つい今やってきた打ち合わせの会議録をつくれと言われた。出来不出来は問わないとのことだったので、私は自分のノートの解読に取り掛かった。

どこのスパイの暗号だと心の中で愚痴りながら無理やり会議録にまとめていくうちに、ペンのインクがでなくなったあたりにきて、うっすらノートに刻まれた凹凸だけのページが現れた。どうしたものかと途方に暮れた私は、備品の鉛筆を手に取り、薄く鉛筆でノートをさささーとなぞりはじめた。あら不思議、文字が浮かび上がってくる。私は小学生時代を思い出した。そして浮かび上がってきた文字はさらに解読不可能なレベルだった。

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