初めての遠出他社訪問にて

私は朝早くから特急電車に乗り、単身長野へと向かった。一人で他社訪問しなくてはならないという緊張感、不安はあるものの、旅気分である。

車窓から見える景色を写真に撮り、妻に送ったりした。乗車前に売店で買ったタマゴサンドウィッチを開閉式のテーブルに上に乗せ、これも写真に収めた。

駅に到着し、よさげな店で昼食を済ます。完全に旅気分である。このまま温泉でも行ってしまおうかと思うが、さすがにそれは気が咎めるし、そこまでの所業をなせるほど私は豪放磊落ではない。

渋々タクシーを拾い、スマホ画面でグーグルマップを見せ、クライアント先へと向かってもらう。

「この辺は自然が多いですね」

「東京の人?お仕事?」

「はい、そうなんです」

「こんな山ん中まで大変だね」

「いやあ、天気が良くて見晴らしがよくていいですね」

タクシー運転手相手だとなぜか私は饒舌になれる。束の間のネアカを演じた後、寂れた国道を抜け、林の中を車は駆け抜け、ある工場に到着した。

「辺鄙なところまでありがとうございました」

「帰りもタクシーでしょ。終わったらこの番号に掛けて呼びな」

そう言ってタクシー運転手はタクシー会社の電話番号が書かれた名刺大の紙を渡してくれた。

タクシーから降り、周りを見渡す。

何もない。

大きな平屋の工場が3棟ほどあるのみで、周囲は畑やら空き地やら、死体が一体や二体埋まってそうな茂みが広がるのみ。人の姿も見当たらず、晴天の下、スーツ姿の冴えない顔をした男が一人いるのみ。誰かが見てたら、明らかに通報されるだろう不振ぶりだった。

私は約束の時間より30分ほど早く着いてしまったため、工場の前で立って時間を潰した。工場の敷地内には人がいるようだったので、怪しまれても困ると思い、なるべく死角になるところに佇み、ただ景色を眺めて時間を潰した。

時間になり、私は敷地内に入り、事務棟っぽいところに入った。無人の受付に電話が一台置いてあり、訪問先の番号を押して下さいと書いてあった。特に何も事前に聞いていなかった私は、代表番号をプッシュした。そうすると間もなく中年女性っぽい人の声が聞こえた。私の心臓は高鳴りをあげていた。

「はい、なんでしょう?」

「東京から来ました、〇〇の〇〇です」

「はい(いぶかしげ)」

「13時に〇〇様とお約束頂いていまして」

「そうなんですね、お待ち下さい」

保留の音楽が流れ、まもなく電話に中年女性が戻ってきた。

「お待たせしました」

「はい」

「〇〇なんですが、今朝方に急遽東京の方に出張になりまして、今おりません」

「えっ」

「ですから、申し訳ないんですが」

「そ、そうなんですか」

しばし沈黙が流れるが、このまま立ち去っては何のためにここまで来たのか意味がないと思い立ち、私は食い下がる。

「実は、〇〇の件でちょっとお話をお伺いにきただけでして、どなたか分かる方でお手すきのかたいらっしゃいませんか」

「あいにくみんな出払っていまして」

「東京から来たんですけど・・・(同情を誘おうと必死)」

「すみませーん、みんな忙しいようで~」

「・・・そうですか、分かりました」

私はその場を後にし、敷地内から出て、少し離れて、上司に電話した。

「すみません、〇〇です」

「どうだ、うまくいってるか」

「実は、相手が急遽出張とかで、いないです」

「・・・・・・」

「何か私に今ここでできることはあるでしょうか」

「そうなってしまってはどうしようもない。そこでできることは何もない。今日はそのまま帰宅しろ」

「・・・はい、わかりました」

私は電話を切り、しばし茫然とし、それから何だか薄ら笑いが抑えられなくなってしまった。

もらったタクシーの番号が書かれた紙のことも忘れ、好天の林道をとぼとぼと歩いて駅まで帰ったのだった。

社会人一年目の私は、ことビジネスの世界に関しては、情も何も関係ない世界が広がっているのだな、と痛感した。損得がすべての世界。利のないものは受け入れられない世界。

しかし、私に損得をひっくり返すだけの人間性があればまた結果は違ったのだろう。私は心底自己嫌悪に陥りながら、特急電車の窓から延々と流れていく夕焼けに染まった田畑を眺めていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?