とおくへいきたい

朝起きて仕事に行けそうと思い準備進めるもののなかなか手が動かず。着替えて、朝ごはん代わりの珈琲を入れて薬飲んでまで進めたのに化粧の段になって完全に手が止まる。腰は相変わらず痛い、なんなら首も。仕事に行きたいと思っていた心が徐々にしぼんでいった。遅刻にするかとも考えたが完全に気持ちが低下して結局休んだ。

11時半に起きてから昨日買ったかぼちゃを餡子にあえて冬至かぼちゃもどきを作る。でもかぼちゃが望んでたほくほく感がないし、味もあまりわからずがっかり。食べ終えてから何の気なしに本棚を眺めて随分長いこと読み途中のままにしていた一冊を手に取った。

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ジュンパ・ラヒリ著 中嶋浩郎訳 新潮クレスト・ブックスより刊行「わたしのいるところ」。48編で綴られた掌編小説。登場人物に名前はなく、住んでいる場所の国名さえ存在しない作品。何気ない日常を切り取った体裁で編まれた小説。なんなら日記のようなこの作品は帯にもある通り「孤独」に寄り添った、というかふと隣を見た時に「孤独」がそっと存在してくれているような作品。そこかしこに漂う静謐な哀愁。シュールレアリスムを感じる。昨日、感じた「家族」を眺める一個人の「私」のような。

なぜこの作品を手に取ったかというと村田沙耶香が王様のブランチで紹介していたのがきっかけだった。静かな孤独に寄り添いながら生きていく、孤独について随分と学ばされた一冊だった。上質な孤独とはこういう非日常性を孕んでいるのかもしれない。…なんか自分で書いててよくわからなくなってきた。でも、一人ぽつんと膝を抱えて座っているところを暖かく肌触りの良い毛布で包んでもらったような、優しさも感じてとても肌馴染みの良い作品だった。何も内容を知らず、作者も知らず、単純に好きな作家が推してて、おまけに「新潮クレスト・ブックスだ!」と飛びついた安直な読者でしたが少し長い時間をかけてまったりと読むことが出来て良かったと思える一冊でした。

読み終えてから少し昼寝。起きたらお腹空いてたからミニトマトを食べたけど食欲おさまらず、西友で販売している「タンパク質サラダ」を買ってたのを思い出して夕飯として味噌汁と一緒にご飯にした。(お米はなし)無駄な抵抗とわかりながら体重増加を止めるためだ。夜間にお腹空きそうだけど…。

ごちゃごちゃに雑然としている自室でぼーっとしていると無性にどこか遠くへ行きたくなる。自分のことなど誰も知らない場所へ。どこに行ったって自分を知ってる人なんて本当に一握りしかいないくせに、どうしてこんなに一人になりたいんだろう。以前、同じことを言ってみたら「消えたい願望に近い」と言う人がいた。本当、その通りだなとも思った。やっぱり自分はどこか消えたい願望が心の奥底に根深く存在しているようだ。どうしたらこの感覚がなくなるんだろう。それともこの感覚と共に生きていくしかないんだろうか。それはあまりにもしんどい。もっと楽に、力を抜いて生きたい。「死にたい」に抗ってるから「死にたい」じゃなくて「消えたい」・「遠くへ行きたい」という感情が生まれてくるんだろうか。代替品のように。いらないんだけどなぁ、そもそもその感情自体。

この後、彼氏が自室にやってくるというので欠勤人間として大人しく過ごしてようと思います。原神のデイリーだけやってしまおうか。明日は呪術廻戦の映画を観に行く予定。仕事の予定なのでレイトショーで。仕事に行けるかはまた明日の自分になってみないとわからない。呪術映画は観に行くけど←

そんな感じでなんとなく今日も一日、過ごして生きましたとさ。

おしまい。

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