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理解されない自分だけの楽しみ、人はそれを「幸せ」と呼ぶ

成長した私には、いろんなことが
できるようになり、

「これができたら幸せなのに...」

小さな頃に思い描いた夢の、
ほとんどすべてを叶えることができました。

嫌いだったピーマンが
食べられるようになり、

免許をとって、車を運転しています。

いつでも食べたいおやつを買うことができ、

何時まで起きていても
怒られることはありません。


それで思うのですが、今でも
決して少なくない数の人が語る

「これができたら幸せなのに...」
「○○さえあれば幸せなのに...」

これら言葉のほとんどは
"勘違い"からきているようなのです。

それを証拠に、
あれもダメ!これもダメ!と
大人に言われていたあの頃、

できないことを数えて不幸を
嘆いていた子ども時代の私には、
いくつもの楽しみがありました。

それは、

ビニール袋いっぱいに集めた
おたまじゃくしを愛でる喜びや、

たまにケーキを食べるときの高揚感。

真っ暗な押し入れに入って
鬼からかくれるときのドキドキや、

公園の土を掘って財宝を探すことへの
あくなき情熱。


日常が制限だらけでお金もなく、
また、何もできなかった頃の私は、

それでも間違いなく
"自分だけの楽しみ"を持っていました。

人はそれを
"幸せ"と呼ぶのだと、知らなかっただけ。


大人になった今、もしも
まだ幸せになれない人がいるのなら、

知らず知らずのうちに
幸せに何かの条件づけをして
いるのかもしれません。

"みんなが欲しがるもの"や
"人からほめられるもの"ではなく、

誰も見向きもしないもの、
理解を示さないところにだって
きっとそれは見つかるのに。


「人の目を気にすると幸せは遠ざかる」


今日の空でした。



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