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誰かの幸せを素直に喜べない人へ贈りたいギフト

先日、ネットでこんな悩みを目にしました。

「人の幸せを素直に喜べない自分が嫌いだ。」

その記事が目にとまったのはたぶん、過去の私に同じ経験があるから。自分がとても情けない生き物になったようなつらさを知っているからです。

そこで、解決策として『自分の中にある常識の疑い方』を2つご紹介したいと思います。

解決策①
相手がそれほど大切ではない"自分"に気づく。

最初に考えてほしいのがそもそも「相手の幸せを喜びたい」というその望みは、あなたの本心でしょうか?
実は「本心ではなかった」と、"薄情な自分"を受け入れるだけで、たちまち悩みは消えることがあります。

私たちが誰かの幸せに喜びを感じるとき、そこにあるなのは"打算"ではなく"感情"です。そして、感情は自然に湧き上がるものであって、コントロールするものではありません。

本来、幸せは喜ぼうとして喜ぶものではなく、気づけば一緒になって喜んでいたというような、自然な心の働きのことを指しています。
何かを喜べないと悩むとき、自分がとてもおかしなことをしていると、まずは気づきましょう。

「ただでさえ友だちが少ないのに、そんなことをすれば周りから誰もいなくなる...。」

もしかするとあなたは不安になるかもしれません。ですがここで一度、大切な人がゼロになったとしても悲しむことはありません。
むしろ、人生の中で本当に大切にしたい人との出会いはこれから先にあるのだと、楽しみにするぐらいでちょうど良いのだと思います。

薄情な自分を許せると、驚くほど楽に生きられるようになります。どうぞ堂々と笑って薄情者になってみてください。 

解決策②
祝ってあげたい、その相手を信頼する。

喜べない理由がお祝いにかかる出費にある場合、それは単に、慶弔のマナーや周りの意見に振り回されているだけということが考えられます。
その場合、見栄をはるのをやめることで悩みは消えます。

あなたがお祝いしてあげたいその人はあなたがお金に困っているとき、包んだご祝儀が少ないと腹を立てるような人なのでしょうか?
もしそうならば、解決策①をもう一度読んでみてください。

自分自身に置き換えてみるのも良いと思います。
あなたが何かを祝ってもらって嬉しかったとき、それはどうしてですか?

子どもの頃、私たちはみんなお金を持っていませんでした。だから、誰かのお誕生日には手紙や絵をかき、歌ってお祝いすることもありました。

それがいつしか、気持ちをお金という形で渡すことを覚えました。すると、それがあまりに便利だったので、自分の気持ちを伝える方法がほかにいくらでもあることを忘れてしまったようです。

笑顔もギフトです。
言葉もギフトです。
今は幸せなその人がこれから先、何かで困ったときに支えることだって、立派なギフトだと思います。

「人の幸せを素直に喜べない自分が嫌いだ。」

本心から喜んでもいないことを喜ぼうとしたり、
喜びたい自分におかしな制限をかけさえしなければ、はじめからそこに悩みはなかったと思えるのかもしれませんね。


今日の空でした。


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