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弱いから泣き弱いから戦う。追い詰められた人間は大事な人間を壊すこともある

今日は少し遠出しなくてはならない。
遠方の友人に会いに行くのだ。
感染予防をしっかりしなければ。
一人ではなく数人の仲間と行く。最初は一人で1時間ほど電車。その後は車に乗り合わせる。

とりあえずあと1時間で家を出る。パートナーの動物のごはんと水も既に用意した。
入浴は済ませたし、持っていくものは少ない。
段取りや計画的なことが苦手なので、この間から時間なるときにメイクの練習をしていた。短い時間で準備ができる訓練である。
その甲斐があったのかどうかはわからないが、メイクをしなければいけないことに数日前よりは恐怖心を感じないで済んでいる。

問題は体力とパニック。
今日は長い時間電車に乗るのが少し辛いかもしれない。
電車の中でアニメを見るか
…。充電が心もとない。
ノートを持参してとりとめなく文章を書くか。

次から次に本当に小さなことで私はイライラビクビクとしている。

そういえば最近自宅でやっている仕事で依頼があった。 
フリーランスと言えば聞こえは良いかもしれないが、知らない人間と接することが怖い自分にとってはたった1人で自宅で他人と関わって仕事をしていくのは勇気の要ることだ。荷が重い。

幸い、依頼をくれた方はとても良い方で、気さくで明るく、わかりやすい説明をしてくれたため、私もリラックスして仕事ができた。
今後何かあったときには継続して依頼してくれるそうだ。
こんなこともあるのかと嬉しい気持ちになった。
もっとも、今まで病気にかまけて仕事らしいことができていなかったので、オンライン上とは言え3時間ちかく他者と仕事をするのはとても疲れてしまった。

しかし労働でお金を得るのことは、結果的に自尊心の持つ自己治癒能力を強くする効果がある気がする。
人から信頼を得るのは難しい。
人を信頼することも難しい。
失敗したり傷つくこともある。
だからこそ信頼しあって得るものは大きい。
失敗や傷は何よりも怖いのだが、私には少なくとも家族と仲間がいる。
気兼ねなく笑い合える人がそばにいる。
そういう支えがあるから、今回仕事がうまくいったのだろう。

主治医から仕事を禁止されているので、こういった活動も最小限にしておかなくてはいけない。
何より体調整えて体力をつけたい。
今食欲がどんどん減っていっている。
先日までは過食傾向だったが、拒食に入ったようだ。
いつも1年の間に体重が10キロ位変動してしまい、これも体が弱る大きな原因となっているだろう。

少し歩いただけで息切れがしてしまうこともある。
電車の中で立ち上がれなくなってしまうこともある。
しかしそれはただの現象だ。ただの現実だ。そのままにしておけばきっと一生そのままのことだ。
あらがってみれば何かが変わるかもしれない。たいして変わらないかもしれない。
何もやらなければ何も始まらない。

時々死にたくなる。
病気の症状が強く出ている時によくそうなってしまうのはわかっている。
その時の自分は本当に死にたいと思っているのではなく、あまりにもきついので消えたくなると言ったほうが正しい。しかしこれも本当にそう心から思っているのではないと私は思いたい。
意識が遠のくような感覚が起こり、自分を殺してしまうような行動に恐怖を感じない瞬間がある。今夜は危ないなと言う明確な意識がある。実行してしまいそうなのだ。

だが私は出来る限りあらがってみたい。
今は海の底に沈んでいるみたいな気分だ。
何を見ても心がなかなか動かない。
中学生以来久しぶりにアニメをまとめてみているが、これは死への衝動から気をそらすための方法の1つである。

私は死にたいと思う気持ちが弱さだとは思えない。何度か危ない場面があった。よくわからないままに眠るように自分を傷つけて下手をしたら命を失っていたかもしれない時もあった。
そういう時私は冷静な判断はできていない。
高熱でうなされているような状態だ。
私は本当にそう思ってもいないのに死んだりはしたくない。

とても不安だ。ただ隣の県に友人に会いに行くだけだ。体力がもつのか。また明日から倒れるのではないのか。
今はそこそこ元気なのに、明日の自分に自信が持てない。

だけど私は行動していきたい。
私が生きるのが辛い原因は、私が望んでいないのに死にたくなったり、体が動かなくなったりするからだ。
けれどもしこれがずっと続くのであれば、それと一緒に生きていく覚悟を持たなくてはならない。
生きるのが辛いまま生きるのである。
生きているのが辛いと思う事は全く悪いことではないと思いたい。
私のことを大切に思ってくれている人たちにわざわざそんな事は言わない。その人たちとは無関係なことなのだ。私が時に命を絶ちたくなったり我慢ができないほどパニックになってしまったり生きるのが辛いと思う事は、私が向き合い私が覚悟して抱えて生きていかなければいけないことだ。

死にたい、苦しい、生きるのが辛い、それを大事な人たちに言うとどうなるだろう。
心から悲しませてしまうだろう。
私の父は激こうすると殴る。
いちど死にたい気持ちを告白したら、顔の形が変形するほど父に殴られた。
こちらの気持ちを考えろと言われた。
父の反応はさすがにやり過ぎだと思うが、言う相手を間違えたのだ。
父の考え方や行動は利己的かもしれない。苦しんでいる人間をボコボコに殴ったり蹴ったりすることがその人を救うことになるのかということは、彼は全く考えていなかったんだろう。

しかし私は学んだことがある。
父は弱いのだ。
私とは違う意味で弱いのだ。
死にたいと言う自分の子供を止めるためにどうしていいかわからないほど狼狽してしまったんだ。
だから彼の行動は私を肉体的に傷つけることになってしまった。

私は自分だけが弱いと思い込んでいた。
そうではなかった。
みんな傷つくことがあるし、みんな怖いしみんな弱い。
私は父を恐怖に陥れて、父を窮地に立たせたのだ。
私は父の魂をえぐるほど傷つけた。父はその弱さをかばおうとして私を力いっぱいに殴った。
彼は次の日私を殴ったことをあまり覚えていなかった。
母が警察を呼ぼうとしたにもかかわらずである。
私は二度と辛いと言うことを父には言わない。それを言うには父の心は傷つきやすいのである。

もうすぐ出かけなければ。
空がとても高く晴れている。
うんざりするほど青い。

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