見出し画像

もう一度はじめる。

特に他意はなくブログを分けた。
店舗のほうのブログも店主の雑記とはして自由に書いているが(全然更新していないけど)
自由に書きます、店舗のことはインスタをご参照くださいと書いてはいるし
そもそも別にどなたも見ていないというのはわかっていても、やはり屋号でたどり着いた先があのブログだった場合を考えると
何となくチラチラとあんなことを書いてはいけないのでは、こんなことを書いてはいけないのではが過る。

まぁ好き勝手書ける場所があるほうが気兼ねがなくて良い。


「書いて整理したいんだけど、こりゃ店のブログには書けないもんなぁ」のきっかけは、入院時に一番親交が深かった、そして退院後も連絡を取り合っていたSさんの訃報だ。
年中涙腺が緩みっぱなしで、悲しくても楽しくても感動しても過呼吸を起こしそうになるくらいに泣く嘘みたいに涙もろい私だが
月のはじめ頃に訃報を聞いてから、まだ一度も涙がでていない。

昨日主治医にもそのことを話すと、まだ信じていないんじゃないかと。
信じることができないから、悲しむことができないんじゃないかと言われた。
確かにそうかもしれない。でもどうなのだろう?
また縁起でもない噂を、と思いながらも葬祭場に電話をかけて確認をしたし
最後に送ったラインも既読はついていない。
おまけにラインの使用機種を変更する際のデータ引継ぎに失敗して
彼女とのやり取りはすっかり消えてしまった。
どうやら彼女は死んでしまったらしい、そういう情報だけが
脳みそのところにポツンと置かれている、そんな感じ。


これは自分の頭や心に浮かんだり思ったりしたことを書き留めておかなくては
なんとなく強くそう思った。
いつか彼女の死というものを、認めざるを得ない日がくるだろう。
主治医に言われた「いつかは悲しんであげないといけないよ」というような趣旨の言葉がふんわり心に残っている。
悲しむことが弔うことになるのかはわからないけれど
好きな人との別れが悲しくないはずもない。
主治医の言う通り、いつかは別れを認めて、悲しみを受け入れなければならないのだ。

生きていけば必ず大切な人の死と向き合う日が来るだろう。
養老先生の著書の中で
「死とは何か、親しい人の死でありそれは二人称の死である。
人が死を感じ、死が人を真に動かすのはその場合だけだ」
というような文章があって、すごく心に残っている。
自分は彼女の死に何を想い、どう生きるのだろう。

今はただ、日常のささいなしあわせを味わうときに
たとえば新玉ねぎを二つにきって、その真白のうつくしさと漂う春の香りを思う存分吸ったあと
季節が巡るたびに律儀に花芽をつけるたくさんの植物たちにキュンと胸をときめかせたあと
彼女はもうこうやって新しい季節を感じることはないということか、
ちょっとそれはあんまりにも急ぎ過ぎたのではないだろうか、とぼんやり思うだけである。

――――――――――


という文章を書いていた。
ずいぶん投げやりに終わっているように思えるけれど、そういえばこれは何かのブログに投稿したんだっけ?
年に何回か「そうだ!ブログ的なものを書こう!」と思い立つのだけど、きれいな三日坊主になっているうちの一つだった気がする。
このインターネットの海に、私の三日坊主の産物がいくつ漂っているのだろう。
大体年明け、とか新年度、そう思い立つ。
そう、今年もやっぱり1月の初めに使いかけみたいなアカウントを掘り起こして、ポチポチとキーボードをたたいている。
果たして今年はいつまで続くだろうか。


さて、上の文章ファイルの保存の日時はパソコン上では2020年の1月20日となっているけれど、彼女が亡くなったのは2019年の3月と記憶しているので、多分何かで上書きしたのであろう。
折に触れて彼女の死についてぼんやり考えたり、趣味が悪いことだが彼女や彼女の元の旦那さんのフェイスブックを覗いてみたりするのだけど
どういうわけか最近では自分の中の時系列もばらばらになってしまっている。ひょっとしてどこかで普通にご存命なのでは?と勘違いしたりもする。


彼女と出会ったアルコール依存症の専門病院に入院したのが2018年の5月11日、退院したのが9月の末。彼女が亡くなったのはやっぱり2019年の3月だ。
わたしは今年のお正月は飲まない三度目のお正月であった。


前に書いた文章の中ではやばいくらい涙もろい、みたいなことを書いているけれど
そういえば彼女の死でなかなか涙が出ないなぁ、となった以後そんなに涙もろいとは言えなくなったように思う。
涙が出ることは相変わらずあるけれど、前のようにやたらめったら涙が出る、というよりは
ある程度頭の中で整理がついたあとに、感想としてぽたぽたと泣く、という感じ。
昔がギャーギャーと泣くみっともないタイプだったので、これに関しては若干大人になった気もする。もうとっくに35歳だけど。


年末に冷蔵庫の中身をみていて、退院時に処方されたシアナマイドが2021年の2月までの賞味期限であることに気が付いた。
入院時の外泊の際に飲まされたのと、退院してから2回か3回ほど、飲酒欲求が強くてノンアルコールビールをチロチロ飲んだときに念のため飲んだきりで
以後は冷蔵庫の守り神的な存在となっていた。
入院前後や退院直後は「お酒とわたしの問題」だったのが、徐々に「わたしの生き方について」に変わったおかげで
退院してから2年半ほど、一口たりともお酒を飲まずに暮らしている。
おかげ様でロッテのチョコパイから漂うアルコール臭にも「こいつはやべぇ」と瞬時に遠ざけるくらいの気持ちで暮らせている。危険物感。
パートナーは相変わらずお酒をたしなむので、家には常になにかしらのお酒が常備してあるし彼のお酒を準備するのはわたしの仕事のひとつだが
とにかく「これを飲んだら死ぬ」というのを意識しすぎて飲みたいとはかけらも思わなくなった。かといってそれは別にストレスとかそんなことは一切ない。「あらやだ危ない、こっちこないでちょうだい!」くらいの気持ちで
、とくに過剰に思うことがない。

飲んでいる人はみんな楽しそうだなぁ、という感情は最初のうちはあったが
素面のままでいるおかげで普段は見れないような人の言動を忘れることなく観察ができるし、醜態をさらすこともない、という安心感が強い。
そう、醜態。
飲んでいるときはあまり感じなかったけれど、酔っぱらってはめをはずしている姿は決して気持ちが良いものでも格好の良いものでもないのだ。
これは私が年齢を重ねたからかもしれない。
お酒の席だから許される、という風潮も素面で眺めている分には「ああ・・・」という気持ちになることも多く
とりあえずはこれからの人生、ソーバーを歩んでいる限りはこのような心配はしなくて済むのだな、ほっとしている。


とはいえ、とはいえだ。
とにかく肝に銘じないといけないのは、今日一日飲まなかった、ということであって
アルコール依存症が決して治らないということ。
退院してからずっとそれをもごもごと唱え続け、なんとかここまでやってきた。
これからもずっともごもご唱え続けるし、多分相変わらずわたしはアルコール依存症であるということを自己紹介の一番上に持ってき続けるだろう。
パートナーにそれを言うとネガティブな印象を抱くらしくて(いつかまた飲むぞに聞こえるようだ)言わないようにしているのだけど
確かにアルコール依存症独特の価値観だよなぁとも思う。
でもやっぱり自分がアルコール依存症である、と認めて、飲まないアルコール依存症として生きていけるんだと知ったときから間違いなく人生がもう一度はじまったんだよな。


二月に入る前に久しぶりに主治医に会いに行こうと思う。
コロナの兼ね合いもあって丸っと一年行っていない。
おニューのシアナマイドをもらって、またお守りにしよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?