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【華々しい成果を挙げても満足しない心の正体とは?】無明の闇との関係


最近、お会いした億超えの起業家の方のFacebook投稿で、

「最近、起業家として私はどうなりたいんだろう?
とよく考えていた。
有名になりたいわけでもナンバーワンになりたいわけでもない。
たどり着いた答えは
【悟りを開きたい】だった。笑」

と言う投稿がありました。

意外でした。

その方は、我がビジネスセミナーを受けていた時に隣の席でご一緒した女性起業家です。

収益率の高い事業で
億越えの事業をしておられる方でした。

お会いした時は、
あまりそのようなことは
考えてこなかったという趣旨のことを
言われていたように記憶しています。

幼い時は
一部屋に家族何人もが
寝ていたような家で
育ったそうです。

しかし今や
ご自身でセミナー講師をしたり
物販で大きく売り上げて
仕事を楽しみながら
世界各地を飛び回っておられます。

ところで、

一般に何かを追っかけている間は、

楽しかったたり或いは必死だったり、

「起業家として私はどうなりたいんだろう?」とかを考えることは
あまり無いようです。

《「なぜやるか? 」
「自分は人生において本当は何をしたいか?」の問題》

しかし、

「自分の力で仕事も順調になって仕組み作りもできて余裕ができたが、本当は何をしたいかが分からなくなった。」 

ということが
共通しているかのように
訪れるようです。

そう!

「私たちの本心」が求めるものを
俯瞰して行くと

実はお金は「手段」また
ビジネスは「手段」であって

本質的に求めているものは、

つまり
手段の先の「目的」は、

抽象的な表現になりますが、

それらを手段を通して得られる
『満足感あ・安心感』
です。

得ようとしている手段が
人それぞれ違うだけです。

さらに抽象度を上げると

目的「満足感・安心感」は

つまり『幸福感』です。

しかし、幸福感と言っても
私たちがイメージしている
いわゆる人それぞれの
「生き甲斐的な幸福感」には

2つの落とし穴があるのです。

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《お金・財産・地位・名誉・結婚・家族・友人・健康は手段であって、

目的は「安心感満足感(幸福感)」を得たい》

確かに
お金や地位や名誉で得られる幸せがあります。

それらを手段とした幸せは大切です。

ないと生きてゆけないからです。

しかしそれらで得られる幸せは、欠点があります。

⑴欲にはキリがないから
→ここで満足したと言うことがなく

⑵一旦手に入れると
→いつ崩れるかもしれないと言う
不安がつきまとう。

つまり、
「安心感・満足感」を求めながら、
必ず、
「不安感と不満感」がつきまとう
と言う矛盾があるわけです。

実際に
いわゆる世間で言われる幸福を
手に入れてしまった後、

それらだけでは、
永続的な安心満足(真の幸福感)は
得られない

と言うことに
気づいてしまうわけです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

今一度、

「何故あなたはそれをしているのか?」

「なぜ求めているか?」を

心の底に問いかけてみては
いかがでしょうか?

【編集後書】

これだけいろんなものを手に入れても満足できない。

それは、心が暗いから。

その心の闇を『無明の闇』と言います。

ところで、

私たちは「煩悩具足」。

煩悩、つまり欲や怒りや妬み嫉みなどで出来上がった存在です。

食欲や睡眠欲も煩悩です。

食欲や睡眠欲がなくなってしまうと
生きて行けません。

なので煩悩の塊が私たちです。

そして、

欲にはキリがないので
ここで満足したと言うこともありません。

また、

「諸行無常」
つまり、全てのものは変わり通しです。

苦労して得た
お金・財産・地位・名誉・結婚・家族・友人・健康も
続かない。

いつか崩れ、失う時が
必ずあります。

そう、「必ず」です。

遅くとも「人生の終末」には。

いろんなものを手に入れても満足できない

それは、心が暗いからだと
ブッダは明示しています。

その心の闇を
『無明の闇』と言います。

その闇の心が破られて
生きている今

・変わらない安心(明るい心)
・変わらない満足(楽しい心)

の身となることがある。

それが、究極の人生の目的、

『信楽(しんぎょう)(大無量寿経)

とだとブッダは明らかにしています。

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