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美しくないと説得力がないのか

実家を出るまで、家庭内で「太っている」と言われる場面が多かった
特別太っていたわけでもなく、人生で一番太っていた時は今より2キロだけ体重が重かった
それでも痩せ型家系の我が家の中では太っていた方だったので、「太っている」と言われていた(自分より太っている人に「太っている」と言われていたので、ただただストレス発散のために言われていたのだと思う)
ただ生活しているだけでも、暇さえあれば太っているだの足が太いだの言われて過ごしてきたので、私がいくら成績が良くても、何を発言するにも痩せていて美しくないと説得力がないんだと思って生きてきた

中学生の時に卓球をやっていて、卓球は好きだけどユニフォームのズボンの丈がものすごく短くて、足が太いから着るのが嫌だった
今思えば中学生特有の太さだったと思うし、心のどこかで「私が太っていても、人に体型のことを言われることはおかしいのではないか」とも思っていたから、痩せようとする努力をしなかったのもまた自分であった

実家を離れてからは、太っていると誰からも言われることがなかったが、すれ違いざまに他人に「ブス」って言われることはある
ただやはり言われる側に非はなく、人の容姿について文句を言うことは間違いだと言うことは大人になるにつれて確信へと変わった

今は自分の顔が表紙の本を何冊も出しているから、私が「若いこと」や「女性性」を武器にしているとディスりを含めた発言を投げかけられることもあるが、そもそもそれらを武器にしたとしてもしていなかったとしても、他人に文句を言われる必要など全くないのだ
見た目も中身も含めて私
だから、自分の顔を表紙にすることに全く抵抗がなかったのだが、文句を言いたいなら私の本を買ってほしいと思った

やはり、他人に自分の容姿について文句を言われる必要はなく、私は自分の身体がどうあるべきかは自分が決める「My body My choice.」の精神こそが正しいと思う


最近、肥満落下系堕天使アイドルがキャッチフレーズの「びっくえんじぇる」というアイドルのファンになった
彼女たちは(私のかつてのコンプレックスだった)「太っている」と自称しているのに、美しいと思う理由は、全員自分に自信を持っていてかっこいいからだ
「痩せているから美しいのではなく、個人のアイデンティティに自信を持ち、それを生かしているから美しい」のだ


もうパリコレに痩せすぎているモデルは参加できないように、時代はとっくに「細身第一主義」ではなく「多様性」の時代だ
痩せていることを美しさの一つとして解釈することは個人の自由だし、痩せていることで自分の安定が保てるのであれば、行きすぎなければ悪いことではない
(だから、痩せている細身第一主義の人に体型についての言葉をかけることは、心配の気持ちが含まれていても、逆に本人を苦しませることになるかもしれないから難しいところではある)


「美意識が人を殺す」という言葉があるように、かつての自分が自分に課していた「美しくないと説得力がない」というある種の強迫観念は一歩間違えたら死へと繋がる
しかし「My body My choice」の精神で、自分の思う美しさを追求していくことは正しいと思っている
私の美しさは私が決めるからだ


美しさは1パターンではないし、今の自分の良さと10年後の自分の良さは違うしどちらも素晴らしいと思う
何歳になっても堂々と生きて、自分の美しさを自分で認めて生きていきたいね

#フェミニズム #フェミニスト #mybodymychoice #コンプレックス

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