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とちのきおく#1 日野編

ジム・ジャームッシュの映画「パターソン」を観たことから

自分の土地の記憶について書いてみたくなったシリーズです。

生まれたところは東京都日野市です。
たしか5歳くらいまでしかいなかったので、
記憶はおぼろげだったり、写真で思い出したりしたものが多いです。

住んでた家はマンションのような団地のような、
入口が暗かったようなところで、
ベランダから目の前は道路で、よくある緑のフェンスで仕切られていた。
母がベランダにパンジーをたくさん植えていた。

一番古い記憶はもう幼稚園に入ってからのような気がする。
写真を見て思い出した家の記憶だが、
溢れかえるような夕日の中絵を描いてて、運動会?教室?の絵で
肌色の丸で人面を大量生産している途中で描くのがめんどくさくなってしまって、肌色の丸のまま描くのをやめた気がする。
大きいことをやろうと見切り発車ではじめて途中で止める性格はいまだに健在。

あ、そうだ、家の前は坂だった。
大雪が降った日があった。

父と家の前を雪かきしていて、私は遊んでいただけだが、
そりがうちになくて、プラスチックの赤いスコップに私が乗って後ろから父に押してもらって遊んだ。
スコップだからうまく滑らなくて、
急いでホームセンターで、赤いソリを買ってきたけれど
もう雪がやんでいて「やんじゃったね〜」でそりはそのときの1、2回しか使わなかった。

それ以降、こんなに大雪が降ったことはまだない。

夜中、ママチャリの後ろに乗せられ、父にどこかに連れて行かれていた気がする。怖い話ではないけど、どこに連れて行かれてたか記憶がない。
一番古い夜の記憶。

写真で記録することって大事なんだな。と思った。
今の私が記憶しているのも、母が写真が好きでその写真がたくさんのこっていたからだ。
アルバムで何度も振り返ることで、何度も思い出している気がする。
記録してないことってほんとうに何にも覚えてないんだな。

幼稚園の記憶だけれど、
大雨で外が暗くて、部屋のほうがボワンと明るい日。
イレギュラーな日だったのか、園児は少なくて、
先生が3人くらいに絵本の読み聞かせをしていた。
私はなんとなく気乗りがしなくて、一人でだいすきな「動物がめいっぱい口を開いてる絵本」を読んでいた。
先生にこっちにきなさい的なことで怒られたが、なぜか意地はってそっちに行かなかった。
そしたら先生が私の腕を引いた、たぶんそんなに痛くなかったけど、大げさに痛がって、保健室に行って湿布貼ったり、親が呼び出されたりしておおごとになってしまった。
その時先生が親に謝っていて、大人が、申し訳なさそうにしている顔を初めて見た。ちょっとやってしまった。と思った。

幼稚園は黄色い靴箱が好きだった。


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