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手続

またシリアス回でまじですまん😁‼️
ここしか書く場所が無いんやよ

ということで、そろそろネカマについてのハウトゥーを書きたかったのですが、残念。もっと書かなきゃいけないことがポンポン出てくるもので。いやー、何年間も研究したネットオカマの知恵を発表できなくて、本当に申し訳ない。みんな待ち望んでいただろうに。もう少しかかるから待ってな

それで何を書きたいかというと、昔話です。最近はレポートとかで400とか600とか短めで指定されることが増えてきたので、久しぶりにということで。二万字くらいかな?日記ですもの
妙に経験の記憶力だけ良いから一々細かいことも書けちゃうんですね。それに、七年や八年継続した物事であることを踏まえると、二万は軽い方かもしれない。人生の10%くらいは費やしたわけだし
毎回書いてるけど興味無い人はブラウザバックしてくださいね


いつも読んでいただいている方ばかりではないと思うので、簡単にバックグラウンドというか事件(刑事の方ではなく)の背景について説明しながらいきますね。
もうその話何回もしてるよおじいちゃん!という方は、大変申し訳ない。しつこいよね。


俺が9月辺りに出した記事、「おっぺけぺっぺーのぺーん」みたいなタイトルのやつ。あれは、鬱症状の最中に書いたものです。

これです

最中というよりは、ようやく自覚し始めたくらいの段階です。

ごめん、だから今回は鬱の話をするんです
たぶん後半に詳しく書くから重い話嫌いだったら読み進めるのやめてください
いずれ何処かしらに記述する必要のあったことだから、今やっちゃおうって魂胆なのよ


なぜ鬱になったのかというと、わかりません。具体的な発症時期もわからない。
精神疾患の中にある人間って、自分がどうしてそうなってるかハテナだったりするのです。客観的に何かを分析することは苦手じゃなくても、問題が主観に発生すると、こんなにも難しくなるのは盲点だった。

ただ、頑張って時間をかけて自己分析したところには、色々な原因があると思っていて。後で記述すると思います

ともかく、それから「卒業」というタイトルまでnoteの更新が無かったのはそのためです。長らく更新できなくてごめんねごめんね~~~~~~~~~~~~~~~~~~
受験勉強は関係ありません。結局一切やらなかったのと同じだから


まず自分を肯定できなくなったのはいつからか。
小中高の俺と切っても切り離せないのが吹奏楽だから、そこに絞ってお話します。そうじゃないと話しにくくて堪らない。もしかすると、面倒くさくて途中で執筆を諦めるかもしれない。親の話はもう飽きたし、これは別途で書く必要のあることだろうから


まず、吹奏楽に初めて触れたのが小学五年生です。
四年生から部活に入れと言われていたけど、やる気が起きなくて、説明会にも出なかった。入部届も貰わなかった。そのおかげで、同輩のみんなより一年遅いスタートを切ったわけです。
顧問の先生が厳しいと前から噂が立っていた(実際厳しかったが)から、余計に恐れていたし、ただサッカーとか陸上とか、そういうのにも向いていないなというのは薄々感じていて。
部活に入るのはやっぱりやめよう、友達と遊んでるだけで楽しいから……と考えていたら、親から無理矢理に体験入部させられたのがきっかけです。

初心者は初心者なりに足掻くわけです
でも熱意が足りなかった。息を吹き込めば音が出て、ピストンを押せば音が変わって、だから何?という感じ。元々そういう性質なのかもしれないけど、“打ち込む”がとことん苦手なんですね。「とにかくやれ」じゃ伝わらない。

ユーフォの先輩にとてつもなく上手い先輩がいたんです。部長もやっててね
ずば抜けた実力を持っていて、下手したら小中高含めた全盛の自分より、小学六年生の彼女の方がずっと巧みに楽器を吹けていたと思う。
とにかくミスしない。精密なロボットみたいだった。感情が無いという意味ではなく、お手本というか規範というか、そういう言葉を当て嵌めるのも失礼というか。ゲームでいう“オート操作”って感じだった。
でもその実力は、昼休みも使ってひたすら練習した賜物で、才能も確かにあるかもしれないけど、それだけ時間をかけたからこその音だったわけで。
是非いまの自分の感性であの音を聴きたい。顧問の先生と共に今も尊敬している恩師です。

もう一人、俺と同輩で、四年生からやってた子がいたんですけど
俺はとにかくその、同じパートの二人に追いつきたくて、肩を並べられる資格のある演奏技術が欲しくて、自分なりに吹奏楽と向き合う覚悟をしました。起源はそこです。

ただ、あの頃の自分には「わからないものをわかるようにする」を自主的に実行する頭が無かった。
できないと思ったら、できないままにするしかないから、吹き真似するとか、小さい音で誤魔化すとか、平気でやりました。
オーディションとか無かったから、それでも本番に乗せてもらえたんですね。厳しいけど、とても優しい人だったから。ちなみに合奏中に叱られることは多々あった
簡単にバレるから誤魔化すのは、やめようね!

それで、小学六年生、最上級生になって、全国大会の出場が決定したことを発表されます。当時の自分は視野が狭いから最初は「やった、嬉しい」しか考えてなかっただろうけど、周りの反応とか態度を見てると、ああ、このままじゃいけないな、と段々気づいてくる。

関東で吹奏楽やってた人ならわかると思うけど、千葉って強豪揃いなんですよ。酒井根とか。
HGSSでカントー行ったら虫取り少年や短パン小僧からジムリーダーまで軒並み馬鹿みたいにレベル高くてしんどいみたいな感じを想像してくれると良いと思います。
俺らはその化け物たちが集まる鬼みたいな大会で戦果を残すために、今の自分でも自信の無いようなキツキツの練習日程を組む必要がありました。


憧れだった先輩が卒業して、今度は自分が同じ学年になって、とんでもない大会が控えてるのに、パッとしないままでいいのか、とか多分思ってた気がする。
それから当然、練習量も劇的に増えたし、時間に物を言わせて“なるようになった”というのはそうかもしれないけど、その時には「できないまま放置する」というのは無くなってたように思います。できないのが「本気でマズイ」と思えるようになったのが恐らくここらへん。

結局、卒業まで頭角を現すまでには至らなかったけど、自分のやる音楽に自信がついてきたり、「このフレーズかっこいいな」とか「この音楽はこういうジャンルだから吹き方はこうかな」とか、脳みそ使えるようになったことは、かなり大きい。

中学に入ってからも吹奏楽を続ける決意をして、ほぼノータイムで入部届を出したわけです。今度は出遅れないように。
ただ、同じ楽器やれると思ってたら、違うパートに配属された。トロンボーンって何だ。腕必死に動かさなきゃいけなくて、大変そう。ユーフォができないなら辞めてやろうかな。そういう気持ちがあって顧問にわざわざ相談しに行ったら、「オーディションの時にユーフォの音が割れてたから」だって。それは個体が悪いだろうが、というのは後々思ったりしたけど。
小学生の時にホルンだった同輩と、元々トロンボーンだった同輩と、あとは俺の三人で何とか頑張ることになったと。

寄り道すると、最初だけ奢りみたいなのはあった。
その中学では、自分の通ってた小学校と、もう一つ近場にある小学校の二校から生徒が入ってくることが殆どで
俺らはもう全国行っとるんやからお前らには負けへんで、みたいな感情はあったけど、ここはすぐに打ち解けた。

ここでね、大きい声では言えないけれど、“いびられる”わけです。お気に入りなのか、それほど嫌いなのかはわからないけど、先輩の一人と顧問の一人が執拗に俺を「出来損ない」みたいに扱うわけです。三人の中で一番ダメな奴と。確かに楽器変わったから実質初心者だけど、そこまで言うことはないじゃないか、と。
もしかしたら俺がヘラヘラしてたからその態度がいけなかったのかもしれない。自分で「出来損ない」を作ってしまったかもしれない、最初に。
最終的にどっちも謝ってくれたのだけど、色々考えるとむしろ謝るのはこっちだったかも。ノリ的にいじっても良い奴と思ってたのに真剣な顔で拒否されたら怖いよな

ただ、その「一番ダメ」が嫌で仕方がないくらいには、音楽に対して強い思いみたいなのもあって。二三年やっただけで生意気ではあるけど。
“自分、今頑張ってるな”みたいな自覚は無かったけど、この時期は練習するほど実力が伸びた。
要は「キッチリしなきゃな」のタイミングがここ。
真面目に努力して改善を重ねる、そうすれば大体どうにかなるし、その分報われるみたいな。

で、ここから俺もよくわかってないというか、具体的に何が起こったか覚えてないんですけど。
同期の中で所々不仲になっちゃったんですね。
サックスはソロ争いだとか、パーカスの一人がバチクソ機嫌悪いとか、色々あって。
トロンボーンにもそれがあったというか。原因は俺かもしれない。嘘ついたりとか交際関係とか、道徳的な問題で幾つか思い当たる節があるから

先輩から副部長の座を託されて、今まで以上に頑張らなくちゃと気張ったりして、それが裏目に出たりもしました。部長ともう一人の副部長が勝手に教室の見回りに出かけたり、意図的にハブられてるような気がして嫌気が差したり。また“ダメな奴”のレッテルを貼られてるような気がして、とにかく何かしなきゃ、見捨てられたくない、って気持ちも強くて。
それで、自分も副部長に相応しい行いをしなきゃと思って、現地で本番前の移動を先導してたら、多動症みたいになっちゃって、ウロウロするとか。マジであの頃情けなかった。今も情けないけど。できれば考えたくない。

いつかの時に、部長が「ディズニーで演奏するためにオーディションを受けないか」と提案して、意見が対立したことも結構覚えてる。コンクールか何かの大事な本番が後に控えていたから、それに集中するからには今はオーディションなんか受ける暇は無いだろう、ということで。
それで、部長が反対派の一人に下校まで付き纏われてて困ってるって云うんです。陽気に振る舞うけど小学生の頃から見た目通り根は控えめな男だから、直接頼みこむことはないんだけど、俺はそれを「助けてくれ」ってお願いされたと受け取って、なんとか誘導して部長を守るんだけど、それが粘着してる子の反感を買って、殺害予告されたり。親がヤクザと関係あるから、あんな奴は土手に引き摺って一発だ、みたいな感じのことを、俺がいる前で直接、トロンボーンの同輩に言うんですよ。肝が冷えた。殺害予告と言うには軽すぎるだろうけど、地元に結構そういうクチが多いから本気かどうかわからない。中学も三軍の不良校みたいな感じだったし、生徒が酒かタバコか忘れたけど未成年でそういうのやってるとか割と聞いてたし


そんなこんなで中学後半に尽く失敗します。主に人間関係で。親友だった部長とも最終的に口を利かなくなりました、自分から。信用できなくなったみたいな理由で。縁切りのご利益で有名な神社にわざわざ足を運んじゃったりしてな
何かある度に人間関係をリセットしようとする癖は、多分ここからです。

きっと感情のコントロールができてなかった。怒りとか恨みみたいなものを、発散できる場所が家庭に無くて、誰にも相談できないから、自転車でわざと速度出して走って、その日は道路が雨で濡れていたから、車輪が滑って大胆にコケて、それで歯の神経を一つ取らなきゃいけなくなったり。塾に行く途中だったんですけどね。頭おかしいから血塗れのまま塾行った

「俺にはあらゆる問題を解決する力がある」と勘違いする自惚れと、誰かが困っているなら進んで寄り添えば救ってあげられるとする一方通行の正義感と、それ故に敵を作っても構わないと割り切ってしまった盲目と、それに全く見合わない半端な判断能力が、余計なことにまで足を突っ込む愚行に走らせたし、誰も自分のことを理解してくれないと思い込む傲慢に陥るのがここです。学級委員みたいな役職を小中のクラスで何度も担ってきたのもあって、要するに立場“だけ”エリートすぎて「自分が間違ってる」ことを認められない精神になっていた。だから一旦、殻に閉じこもって他人を感じなくて済むようにした。
また同じことが起きるのが嫌だから、それなら偉い立場になんかならなくていいし、端の席で冴えない人間として窓の外を眺めていればいい。空気になりたいなと。特に何かを背負うことなく、何に追われることもなく、そこにいるだけであって義務の欠片も持たない人間に。

「他人のために」でやらかしたから、今度は自分に物質的な利益が出ないと動かない(動けない)ようにしたんです。
そうすると、その「他人のために」の中に、自己犠牲と盲目な正義(盲目でないと正義なんかやってられないんだけど)だけではなくて、名誉が欲しいとか、貸しを作るとか、打算的な側面も見えてくる。
自分が打算でやっていたとは思えないというか、そこまで頭の回る人間ではなかったから、きっと後者の目的ではなかったんだけど
でも一旦そのヒーロー像を意識すると、一般人は尚更もう損得勘定無しでは動けなくなる
それ以降、利益を度外視した行動というのは中々取れなくなりました。今もそう
みんな通る道だとは思うんだけどね

これらをズルズル引き摺ったまま高校に進学します。

でも、部活も何もしないで……というのは、底知れぬ恐怖感がありました。そのままふわっと三年間が終わる気がした。さっき書いたこととは矛盾してるけど。
勉強だけしていればいいのか?せめて、名前も写真も残らなくていいから、どこかの団体に所属して何かしていた経歴だけ残せないか。手元が見えないから安心を求めるわけだ。
それで、自分には何ができるか考える。自分にできそうな活動はあるか、続けられそうな活動は何か。
考えた結果、吹奏楽しかなかった。それ以外に何も持ってなかったことに絶望した。しかも自慢できるほどの大した実力も持ってない。
前から気になっていた剣道部の見学に行っても「ああこれは無理だ」、和太鼓部に至っては、「厳しいと聞くしやめておこう」と見学にすら行かなかった。もう新しいことを始める気力も残ってなかった。小学生時代の“キラキラ”があれば、もしかしたら別の部活をやっていたかもしれないが
そうして惰性で吹奏楽部に本入部した自分を内心激しく責めました。ああ何やってんだ、またやらかす気か、と。もっと別のことをやっていればよかった。逃げ道を確保しておけばこんなことにはならなかったはずなのに。

兎に角こうなったら、コミュニケーションに関しては消極的にしておこう、誰とも適度な距離感、それも呼ばれたら返事をするくらいで留めておこう。誰にも近づかれないようにしよう。俺はそこにいるだけでいいし、何の活躍をするわけでもない。もし争いが起きても、“我関せず”の態度で平然としていればいい。誰かを傷つけないために、なにより自分が傷つかないために。そういった目標みたいなものが支配していて。
卒業した時に「そういえばそんな人いたっけ?」と思われるくらいの影の薄さを目指しました。

そうやって中立でいるために意識していると、自然に顔が強ばるし、無口になります。
これが、みんなの言うように「最初は話しかけにくかった」理由かなと思います。

高校が中高一貫校だったから、歳は自分より下でも元々そこの部活にいるというのが成立するんです。同じパートにそういう子がいたので、最初敬語で接していました。自分より上手いと率直に思った。し、実力主義と権威主義の中に育ったというか、「経験の上で先輩が偉いし、実力のある人間が偉い」という価値観を基準にしていたから、まあ、ぽっと出の俺がタメ口利くのは違うやろ……という気持ちもあって。後々ガチでやめましょうと提案されたから、そうだね、よくよく考えたらちょっとあれかもね、ということで敬語はやめたけど、かれこれ三ヶ月くらいは同じ口調で続いてました。
それくらい方々に遠慮していたということ。

ユーフォに身長が合わなくなって、そのままだとマウスピースよりも口が上に来てしまうから、この時から楽器の下にスポンジみたいなのを敷くようになりました
今はもう失くしちゃいました、結構高かったのに

実力がめっきり伸びなくなるのがこの辺りです。
合奏中に顧問が改善点を指摘してくれないからではなくて、自分で何がいけないのかわかっていても、「うん、ダメだね、本番までにどうにかなるといいね」という他人事めいた感想が出るだけだったことに核があると思う。根本が小学生に戻っちゃったんだよね
確かに、実力の観点で“できないこと”というのは高校生になると殆ど無くなって、むしろ“どんな表現をするか”に集中できるんですよ。だから、自分が望めばどこまでも突き詰めることは可能ではある。だけれども、それを拒否すれば、逆に伸び代もクソもないわけだ。ロボットとも違う、予め記録されたような音源みたいになるだけで。
興味が無くなったというか、先程記述したように、「できるだけはやるけど、それ以上はやらない。なぜなら目立たないために全部程々で構わないと思っていたから」という説明ができるはず。20%吉良吉影みたいな感じ。それはもう吉良吉影ではないのだけど

入ったばかりの頃は手加減していたというか、出せるだけを出していなかったんです。
アニメシリーズ序盤のピカチュウみたいな感じです。この競技は全部一人で持っていっちゃったら面白くない。し、“パッとしない奴”の称号は最初にヘマするともう取れないから。及第点の吹き方もわかっていたし
要するに油断の上での作戦ですよね。別に手加減しなくたって目立つほどの能力は持っていないのに、思い上がっているわけ
真面目な考えは気に入らないけどこれは大変な失礼をしたなと、今ではね

ただそれも長くは続かなかった。
部員と話すようになったんですね。序盤は主に男子なんだけど。
話しかけてきたら、対応しないと失礼だから……と始まって、段々、楽しくなって、自分から話題を振ったりしてしまう。
会話を楽しんでいる自分の裏で、もう一人そっくりな影が、「やってしまったな」「もう取り返しがつかないぞ」って耳に囁いてくるんです、散々。
帰りに反省して苦しくなって、次はもっと冷静にしていよう、もっと淡々としていようと決めて、たまに失敗して、また反省する。そういう繰り返しがあって、楽器の音に感情がこもるようになってくる。上述したように隣で同じ楽器を吹く後輩が上手くて、本気を出さないと示しがつかないなと考えたのもあるし。
それが一方では気持ちいいけれど、一方では苦しいんだ。

合宿とか本番とか、そういうイベントがあれよあれよと過ぎていって、気づけばみんなと話すようになっていて。
高一の夏には完全に部活動の一員として意識するようになって。
それ自体、受け入れられてるんだなと考えると嬉しくて、そこに居る時は、また例の「みんなのために頑張りたい」みたいな思考が出てきます。出過ぎたことを、あたかも自分の使命みたいに感じるわけ。



家に帰って、部屋に戻ると、途端に、組織に貢献する真面目な男が、ナヨナヨした心許ない弱虫になって、後悔の念が押し寄せる。「信念を曲げる出来損ない」だとか、「学習しない馬鹿野郎」だとか、自分で自分を罵倒しないではいられない。 

この癖、どうにもならないんです。自責しすぎて何もかも諦めそうになり、本来成せたものも成らない、みたいなの。
これを書いている今、かなりマシにはなったけれど、やっぱり全部消して無かったことにしようかなとか、未だに考えてしまいます。だからこれが投稿されたら、一つ乗り越えたということになる。あー、面倒くさくなってきた。もう書きたくない。明日に持ち越します。


さて、それで一日置いてまた書き始めるわけですけれども、これにはどうしても、書き続けるよりも勇気が要る。一度やめたことをもう一度やりますというのは、それだけ疲労する。

無駄話はさておき、これまでの経緯を要約すると、
中学で後悔したのに、高校で同じ部活に入って、あれだけ自制したのに他人と仲良くなってしまった、ということです。
村上春樹の言葉を借りると、中学の“アタッチメント”の失敗を踏まえて、高校では“デタッチメント”に徹しようと策定した

まあこれが見事に失敗するんですけれども

先輩の引退時期が近づいてくると、今度は俺らの中から重要な役職を予め決定しておく必要があるんですね
吹奏楽部恒例

先輩が「この人が適任なんじゃないか」って票を集めたリストみたいなのを作ってくれて、一応参考程度に~~ってことだったんですが、副部長に俺が一票入ってた時、誇張でも何でもなく背筋が凍ったような感覚がしました。それは流石にマズイって。
あの時の自分とは違うとは考えつつ、しかし再三お話しているように、“少しのリスクも負いたくない”が根底にあるのが高校生の俺です。

幸い副部長はもっと票数入ってた人がいて、俺は早々候補から外れたんだけど
セクションリーダーってありますよね、金管と木管で分けるのが主流みたいだけど、要は主にセクション練習の時にリーダーやるというか、何?
簡単に書くと、金管で一番偉い人と木管で一番偉い人みたいな感じです。
あれに結構俺に票が入っていてですね
やんわり断ったんですけど、抵抗虚しく新体制から就くことになったわけだ

パートリーダーやるのは別に構わなかったというか、人数的な問題で必然的に俺しかいなかったんだけど
二度と重要な役職やるもんか、とずっと思っていたところがダメになったので、ベッドではうんともすんともつかないウダウダした声が出るわけです。
みんなが悪いということはちっともなくて、ここまで目立ってしまった俺が完全に悪くて


今度は「形式上は居るけど……」という状態を目指そうとしますが、上手くいかない。

最初の方こそ指導に優れた同期に任せきりだったりしましたが
どうせならみんなにとって価値のある合同練習をやりたいでしょう。
小中ではおふざけ無しでガチの練習ばっかりだった(それはそうだが)し、それを別に嫌っているわけではないけど、「一辺倒にそれでも良いのか?」という疑問もあって。
個人的にはユーモアのある練習にするのを目標に色々考えたりしました。

って、結局やるからには頑張ろうみたいになっとるやないかい、と。なんやねん。お前が掲げた信念みたいなのはどこにトコトコ行ってしまったんや
そうしているうちに、徐々に“活動の一員”というだけではなくて、“支える基盤”に身体が吸い込まれていくんです
昔からこういう馬鹿な悪役が童話に出てきたりしますよね。何か企みがあってそのために謀略するけど、良心で失敗するみたいな。なんだっけ……?って調べてみたら

きつねのおきゃくさまでした。なつかし~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


それはさておき、これがデタッチメントの失敗ですよね。
むしろこれまで以上に「全員で音楽を作っている」という意識があって
誰かしら欠けると本当にまずいんですよね、サウンドが全然別のものになっちゃう

ここら辺でもう諦めて、というか仕方ないと割り切って、決して暴走しないように必死に自分を押さえつけながら“繋がり”の中に身を投じます。
「なるようになる」が「本当の意味での“最大限”をやりたい」に移行したわけです。最終的にはできる限界よりもやったと思うけど

ここからまた伸びしろが出てきて
吹けば吹くほど上手くなっていきます
自分がどう吹きたくて、この楽曲の中でどうあるべきなのか照らし合わせて、試してみると、信じられないほど上手くいく
ガチっとハマった感じがするんです
それが面白くてたまらなくて
「まだまだ俺も高みを目指せるんだな」って感心した記憶もあります
講師の先生が来て指導してもらうと、今まで是としていた奏法が実は間違いというか、あんまり効率よくなかったり
見失ってたものを発見するどころか、あの時の恩師に一番近づいている気がして、練習が楽しかった
小さい枠組みの中の指導者になったことで、それまでより構築の中の動きというか、「機構」を感じられるようになって
ああ、この役職に指名してもらえてよかったなと感謝したり
“練習が楽しい”ってそれまで全然無かったんですよ
ずっと「やらなきゃ」だったから
一番純粋に吹奏楽をしていた

これが大体高一の終盤辺りのことです

四月になって、高校二年生になると、考え方が変わってきます
高三は受験があるから、この年度中に必ず引退が待っているし、実質的に人生で部活動ができる最後の年なんですよ
大学では音楽関係の集団活動はやらないつもりだったし、今もそのつもりだし
そうなるとコンクールも最後になるし

「このままでいいのか?」が襲ってくるんです

吹奏楽しか持たないまま終わっていいのか
他に可能性を見出さないまま盲目であっていいのか
最後までその属性に甘えていていいのか
未来を主体的に決定したことも無いまま、これまで流されて終わったことを認めていいのか
そもそも、こんなに楽しく音楽をやっていていいのか?
自分はあれほど悪いことをしたのに
最初はキッパリやらないつもりでいたのに
そう考えると急に縮こまるほど怖くなりました
戦争から逃げ出した亡命兵が終結後に豊かな家庭を持って、ふかふかの布団の中で殺した人間の顔と溢れる血潮が夢に出てくるみたいな
明確にこれ、という理由は当時見当たらなかったけれど、そうなるべき根拠はいくつもあった

だから美術部を兼部することに決めたし(結局全然行かなかったが)
顧問には早い段階から退部するつもりだという意向は伝えてました
そこである意味覚悟はできてたわけで

でも逆に、自ら終わりを設定したことで、残りの時間を意識して音楽できるので、今までにはない緊迫感と楽しさがありました
たぶん、それがないとあそこまでのモチベは出なかった。必要だった
余命わずかの患者さんが残りの人生悔いのないようにと思って色々好きなことやるのとたぶん一緒です
たぶんピリオドを設定したおかげで、一日一日を「何の変哲もない」から「特別な時間」にできたし
もしかしたら高校の吹奏楽部で過ごした時間は、アーサー王伝説でいうアヴァロンのように、最期の安楽の地として自分を迎え入れてくれたのではないかと、そういう感情にもなるわけです

野球応援でぶっ倒れたりしたのも良い思い出だけど割愛
まさかあそこまで暑さに弱くなっていたとは考えてもみなかった

これを初めて人に打ち明けたのは夏の合宿のタイミングで
夜は男子で固められて同じ部屋にぶちこまれるんですけど
そこで「俺もう辞めるつもりだから」みたいなこと後輩に言ったら少し泣かれたから流石に貰い泣きしそうになりました、泣いてないけど
これもかなり勇気出したんです
家族含めて人を信用することも難しいのに、ましてや信頼して本音を告白するなんてとてもできたものではないですよね
でもだからこそやろうと思ったんです
そうじゃないと誰のことも信じられないまま終わるし、これから先も同じようになってしまうと感じたから

高二の春から夏まで必死に練習したんですよ
寿命が迫ってるから尚更
ここが実力の全盛と記述してもいい
ただ、必死とは書いても、それは上手くなるためにというより、ひたすら快楽を享受するためだったかもしれない
どんな時より楽しくて、どんな時より上手くて最高のコンディションでした
もはや何でもできたね
「楽器と自分の身体が完全に一体化したような感じがする」って随分前に誰かが口にしていた気がするけど、ああ、こういうことなんだ、と今更になって実感して
楽器の気持ちというか
自分が何をしたくて、何が適切で、楽器がどう扱われたいと思っているのか
それぞれが全部、無意識なところで統一されて、一々理屈で考えなくても自然に求める音が出る
小学校の頃に「楽器は拡声器」だからと一時期しきりに言っていた先生がいたし
確かに考えてみれば拡声器以上でも以下でも無いし
物質的な意味では金属の集合体に過ぎないんだけど
これがどうしてこんなに神経が通っているような気分になるんだろうかと、“わからない”って“わかってる”ものを“わかろうと”してみたり

そうなると尚更、「これで完成なんだ」と思えてくる
本当に限界。良い意味で。「最終地点まで来られてよかったな」と。未知の路線の終点まで到達したら、知床の如き大自然が目の前に広がっていたような
大空に飛び立ち、狂詩的な祭典に身体を任せた後は、国家革命の一端を目撃し、母国に戻ってくれば男女の色恋沙汰に涙を流し、大海原から世界を一望したと思えば、大都会の風景をバスからしみじみ眺めて、その長旅のゴールとなったイマジナリー熊野は、俺を悟らせるには十分だった
これ以上は無いな、と納得したし、実際あとから試しても落ちていくだけだったし
自分のモチベーションと、元々の才能と、努力できる上限を加味した結果の「実力限界」というものがあると思ってるんですけど、疑うまでもなくそれだった

コンクール本番の舞台で出した最初のフォルテが鳴った時、身体が震えたというか
もちろん贅沢なホール使ってるからってのはあるんですけど、それにしたって綺麗すぎる、神が降りてきたような和音と音響だったもんで、「嘘だろ」と思って
この時点でなんとなく俯瞰なんですよね視点が
今まで呪縛のように銀銅銀銅みたいに続いてたのが、初めて足掻いた先の未来を作れるかもしれない
勿論どんな本番でも全力だったけど、いつも「まあこんなもんだろう」という諦観が舞台の前にあって
あの時はそれが姿を現さなかった
定められた車線がガコンと直前で変更されたというか、本来こうだと決められた結果が前提にあって、俺は生涯銀止まりって高次的な存在が予め設定していて、それを今なら抗えば変えられるかもしれなくて
現場入りしただけでは、「最期の仕事だ」とか「全力で楽しもう」という感覚だけだったけど、演奏が始まってから、「何かがおかしいな」と
これは全体の実力から考えて奇跡的とか偶然とか言いたいんじゃなくて、そうなるだけの実力が団体には確かにあるんだけど、本当にこの約七年間どこの演奏でも聴いたことがない音だったから驚いたんですよ

金だった時の溜息というかなんというか
「やっぱりか、何となく違ったもんな」という気持ちと、それを大幅に上回って「最後の最後にやっと届いたか」みたいな感情が強すぎて、後はひたすら感慨に浸ってました
ダメ金でも関係なかった


ただ、それが余計に、己の引き時だなと感じるに相応しい結果というか
この時のためにずっと吹奏楽をやってきたんだな(もうやり残したことは何も無い)と天啓を得たような気分になって

エンディングでクレジットを見る時のような感覚で文化祭の公演を終えると、速やかに退部しました


これで俺は吹奏楽部としての自分の首を自分で絞めることに無事成功したわけです
何となく引退に幕引きを任せたくなかったしね

これからは“誰でもない”を受け入れて生きていくということに、一抹の不安とワクワクを抱えながらね。
名乗るための肩書きを剥がして、「誰でもなくなった」人間への憧憬は正直あったかもしれない。桐生一馬みたいな
まあ美術部ではあるんですけどそっちは幽霊部員ということで^^

ただ嬉しいことに、誰でもない人間を必要としてくれる仲間ができて
ちょくちょく本番に呼んでくれたりしてありがたかった
だから実質退部したとは書いても本来の引退時期までそれなりに付き合いはあったんですけどね

“やめます”と言ったことをもう一度やるのは勇気が要るし、どっと疲れるんだけど、なにより楽しいんだよ
コンクール前のような音は出なくなっちゃったし、どんどん衰えていく一方なんだけど、それでも信じられる人達のために力になれるならそれだけで幸せだし
何度も立ち上がれたのは望んでくれる人がいたおかげです
友情を知った壊れかけのゴーレムみたいなこと書いてるな

もちろん毎回、死んだ人間を蘇生して仕事させるのか(あるいは“誰でもなくなった”男がその信念を曲げるのか)、葛藤します。そうするとお待ちかねとでも言うように影が出てきて、「お前にはその資格が無いぞ」と、「楽器を持っていい身分だと思っているのか」と、ヒソヒソ語りかけてくるわけです。
半ば反抗心を踏み台にして、「うるせえ、勝手だろう」と一蹴できれば二つ返事で出演を決定するわけですが
時々、「そうだよな」って納得しそうになります
そしたら、身体の操作権限が誰かに売られたようにぐったりして、何もできなくなる

それで、定期演奏会にもお呼ばれしていたというか、LINEグループの投票機能を使って、出るか出ないか、「もし良かったら~!」ってことだったので「是非~~」って感じだったんですけど

ここでコロナが流行し始めます。やっと最近の話になってきたにぇ

コロナのせいで2020年3月の定演できなくなったんですよ
それで学校も行けなくなって、オンラインで勉強進めることになって

ワタミに食事管理されながら、ずっと家に引きこもる生活になるわけです

ここらへんからですね俺の様子がおかしくなったのは

直接日光に当たらないから調子が狂ったのは絶対あると思うんだけど

高一の前半で囁いてきた影みたいなのが、また色を濃くするようになって、俺のことを追い詰めるんです
全力を出した反動かもしれない
これは多分、無理やりに克服したと“思い込んでいる”性質の塊が、「まだお前の中にいるぞ」と存在の表示をしているんだと思うんですよね
人を信じられないだとか、いつも何かに怒っているだとか、歪んでいる正義感とか

あとは、「誰でもない」を実践する上での苦悩というか
時計を構成している大事なパーツを取ったら秒針や分針や時針が動かなかったりしますよね
それに適応しきれていない所はあったと思います

あとは、家族のことを嫌でも考えなきゃいけなくなった
今まで朝から夕方まで学校にいたのに、それが全部家で過ごすことになって、つまり依存する環境が変わったわけです
俺は片親と昔から一切会話しないから、キッチンの出入りとか、風呂の入るタイミングとか、食事とか色々、避けるように考えなきゃいけなくなります。出来るだけ一緒にいたくないから。放っておいてほしいから。

段々影のようなものは実体を帯びてきて、ある時から腫瘍のように切っても離れ難いものになってきて
「どうせ俺はダメだ」に納得してしまうんです
三浦春馬が死んだり、木村花が死んだり
絶望的な社会情勢というか、お先真っ暗なニュースばかりで厭世的というのもそうだし
結構影響されやすいんですよねそういうのに
でも見ちゃう、情報は遅れるといけないから

自粛が明けて学校に行くと、思ったよりもみんなキラキラしていて
勉強もしっかりやってるみたいで
久しぶりの体育も楽しそうで

自分だけ取り残されたような感じがして
勉強も何もやっていないし、身体を動かすとすぐにヘトヘトになるし、この数ヶ月、みんなは小さな積み重ねをたくさんして立派に耐え凌いだのに、それに比べて俺は何だと、ナメクジでももっとマシな生活してるぞと
“ダメな奴”のレッテルを貼ってしまうわけです
ダメな奴って名前が付いたら本当にダメな奴になりますよね

その後も勉強に身が入らず、特に運動するでもなく、悪循環は続いていって、明日は図書館に行って自習しようと試み、結局準備すらせず、身体を動かそうと周辺を走っても、三日と続かず、休みの日は殆ど眠るようになって、目を閉じていれば唯一何もかも忘れられて
このまま寝ていて、気づいたら自分が死んでいないかなと、どこか違う場所に逃げられたらいいなと、考えてしまい

10月や11月辺りには精神科に通うようになりました
もうダメだと思って。担任に紹介してもらったんだけど
毎日飯を用意してもらって、毎日家に住まわせてもらって、それは親の金で成立しているのに、自分はその親のことが大嫌いで、その自分は本業の勉強を怠るし、今更今更が積み重なって何もできないニートになった
全部無かったことにしてほしいと考えて、“死ぬ”ということがどんなことか、先に何があるのか、特に何もしないせいで余りまくる時間で考えるようになりました
どうして人が病むかって、やっぱり時間に余裕がありすぎるとそうなりやすいんですよ
ゴミ溜まりみたいなクズとしか捉えられなくなって、ここで自分を全く肯定できなくなりました

学校を休みがちになった俺自身にびっくりしたんだよね
勿論調子が悪いっていうのは嘘じゃないんだけど、一時間半かけて行けないほどの腹痛腰痛頭痛とかそういうのではないし
今まで「連絡が面倒だから」でどうにか通ってただけなのかなとかね、一度慣れちゃうと何回も休んでしまう
これ気をつけた方がいいですよみなさん
下手したら単位取れなくなっちゃうからね

自殺のマニュアルとか、自殺にかかるコストが書いてある本を買ったりして
その二冊は報告も勧告も無しに母に捨てられたんですけど

あの時のように人を信じてみてもいいのかなと思って、母に死にたいと言うと、二度と言うなと激怒されて(それはそうだが)
精神科の先生ならわかってくれるだろうかと、親抜きで話をすると、「絶対に死なないとここで誓ってください」みたいなこと言われるし
こんなんだったらカウンセラーも同じだろうとタカをくくったというか、これ以上同じようなことを誰にも言われたくなくて、それ以降“死にたい”を自分の中に収納するようになりました
カウンセリングにも一々お金かかるんだから、俺の話を聞いてもらうのに親の金を使うくらいだったら自分で向き合うしかないなと
中等度うつ、とは診断書に記載されていても、もっと辛い人間もいるよな、そのくせ些細なことで……と考えてしまったり

死にたい時にかける電話番号みたいなのがあるんですよ、自殺対策で厚労省が幾つか提示してるんだけどね
その一つに帰り道電話かけて、ヘラヘラしながら「死にたいんですけど」って言ってみたり
とにかくそれくらいやさぐれていたのが高三の夏から冬にかけてくらいです、うん、殆どの期間だね

そのくせ、一歩踏み出す勇気が無くて、自分をわざわざ瀕死に追い込むほどの行動はできなくて
飛び込むとか、ODとか、リスカとか、そういうことはちっともできなかったんですよ
一度やってしまうともう戻れない気がして、いや、そうでもしないと死ぬなんて大それたことはできないんだけど、どうしても怖くてできなくて
“死にたい”が棚から出てきてこんにちはしても、ろくに挨拶もできずに、そうすると腫瘍が俺を「意気地無し」と束になって押しかかって責め立ててくる

冬になると父親が今更和解したいだとか言って、無理矢理自分の部屋のドアを開けて度々侵入してくるようになるし
過呼吸起こして、そこが一番死にそうだったかもしれません
一々椅子とか本の山とか棚とか貼り付けてバリケード作るわけにいかないから、ドアに強力なストッパーを付けてどうにか防ごうとするけど、どれも上手くいかなくて

こういう風に、本当は強くも何でもなくて、核はひたすら臆病でへっぴり腰の、どうしようもない人間なんですね

入試が始まると、決められた時間に決められた場所に行く必要があるから、少しはそういうものを忘れていられるんだけど
時期が来ても特に勉強して詰めたりもしないし
試験を受けるだけの存在になってました

これで全落ちしたら最後のチャンスで浪人決めて、そこでは今までの自分とは打って変わってテキパキ勉強するんだ、とか、できるかどうかもわからないものに自信を持ったりして
まあ結果的に大学には行けたんですけど

受験が全部終わった後に、とりあえずの未来は保証されたから、幾分か気は楽になったんですが
この先に向かう熱意みたいなのは持ってなくて

そんな中で、「定期演奏会やるからアンサンブルだけでも来ない?」とお誘いが来たんですね

髪染めてたし迷ったんだけど出ることにしました
何か変わるかなと期待する気持ちがあった
もう完全に“死んだ”個性を叩き起して、もう一度誰かを信じられるなら、みたいな。

実際楽器を持ってみると、すこぶる重くて、とても空中に維持できるものではなく
久々に吹くと、幸いにも息が通らないほどではなくて、むしろ歓迎してくれてるみたいに音色は良くて

でも全く感情を込められなくなってましたね
うつの影響なのか
置いておいたパンがいつの間にか虫に喰われていたような感じです、気づけば大切に取っておいたものが蝕まれきっていて
なんだろう、音色が良いのと聴き応えがあるかは全く別のカテゴリというか
今まで吹いた中でこれほどまで安っぽいソフトで打ち込んだだけの音源みたいなサウンドになったことは無かったからちょっとびっくりして
でも猶予期間の約一週間でどんどん調子が戻ってきて助かりました。それでも好調ではなかったけれど

練習しているうちに、俺はあのタイミングで自分の首を絞めたと思ったけど、殺せたわけではないんだなと考えました
心残りが無いというのは違ったのかもしれないと

今度こそ決着をつけようと、家からユーフォだけではなくトロンボーンを持ち出して、八年付き合ってもらったお礼をしようと思いました。
アンサンブルの曲がまず楽器を持ち替えするのに相性良かった


なんかね、“手続”をしているような
数日間ずっとそういう不思議な気分でした
これまでお世話になった人と楽器にお礼をするために自分の時間と労力を使う以外に、“これまで”を洗濯して、“これから”を選択するための一連の儀式のような。
それでいて清々しい気分だった
誘ってくれて本当にありがとうという思いです
この段階を踏まなければ前には進めなかった気がする
吹奏楽人生の最期の最期にやっと目線を上げて前を向けたことが幸せだった

いざ公演が始まると、まあ所々ミスしたり、指が追いつかなかったり
ブランク特有の弊害が起こるわけだけど、良い意味でも悪い意味でも特に気にならなくて
それより重要な“手続”をしている感覚だったから、そこで自分が楽器と、自分の音楽と向き合うことに意味があると思ったのかもしれない
これまで何度もホールの舞台に立ったことがあるけれど、照明の眩しさや暑さ、奥行きや幅、そういうものをはじめて、高揚で麻痺した情緒を通さずに、ありのまま目が捉えた

それで、練習の日から「これはまだ高三には聴かせられません」と後輩に言われていた曲があって、合奏で取り上げる際には追い出されていたりしたんですが
それを公演の時に初めて観客席で聴いたんですね

後ろのスクリーンで部活の思い出の写真が流れているし、最前列では一番話しかけてくれた後輩が真剣な顔で演奏しているし、横の席では同期が涙しているし、
でもみんなに見られるところで歪んだ顔を見せたくないから、裏でコッソリ柄にもなく大泣きしました。隠してごめんなさい。これで高校生のうちに泣いたのは三回目くらいですかね

シンエヴァの記事でも書いたんですけど、俺はずっと自分が「居ない方がいい存在」みたいに思っていて
家庭でも他の場所でも
自分のような人間をこれ以上増やしたくないから、後に続く子に何かを継承するとか引き継ぐというのも好きじゃないし
基本的に、自分に起きたことは自分で終わりにしたいんです
後から繰り返されるなんてあってはならないなと

よく「優しい先輩」とか「真面目な後輩」とか言ってもらえて、その都度うれしいなと、しみじみ受け取った言葉を反芻するのですが
これは本当は褒められたものではなくて
無関心だから、その人の責任を持つ気が無いから厳しくできないし、規則を破る前に「叱られる」「叱られると面倒くさい」があるから“良い子”にしているだけじゃないかって
少なくともこの身体は、外皮まみれだなと
己のことで精一杯なんですよね
だからわざわざ他人の「できない」を咎める余裕も無いし(求められたら助言はするけれども)
予測できる悪い結果が見えてしまったら最初からアクションを起こせないわけですよ


でも、これだけ感謝を形にしてもらって、ああ、俺も誰かしらの力にはなれたんだなと、何かしらの良い影響は与えられたのかなと思って
その瞬間に「あ、ここにいても良かったんだ」ってハッとして。
俺はそれに気づいて、漸く自身の最期を看取れたような気がします
同時に、「もっと在学中に話しておけばよかったな」とか、「どうして途中まで少しでも疑ってしまったんだろう」と棺桶の前で惜しむしかなかった
吹奏楽は好きでも吹奏楽“部”のことはずっと嫌いで、嫌でも傍にあって、傍にいなきゃ自分を保てないから余計に憎たらしくて
それでも辞めてからその価値を識れたのは不運と呼ぶべきか幸運と呼ぶべきか

自分を肯定することはまだ難しいけれども、自分の行いが良かったのか悪かったのか、判断することはもう一度できるようになった

想像の中では、自分と二台の楽器は今木陰の中で談笑していて
鋭くも緩やかな日光を遮る葉束に包まれていて、反射して熱を帯びることもなく
そこは誰もいない晴天の丘の上なんだけど、生暖かい風が吹くので、気が向けば一緒に外へ出て、名前も付けられていない花の上で踊ることもできて
俺たちはその半永久的な永遠を、泡立て器を経て完全に色を同じくした愛憎として享受しているということで
そこは“知床の如き大自然”を抜けた先にあったわけです
まあ本当の知床は寒くて堪らないんだろうけど

腫瘍は段々影に戻って、最近は後ろから姿を現すこともなくなって
というより、混ざった?
分離していたものが、攪拌されて攪拌されて、良いことも悪いことも一緒になると、表も裏も区別は無くなるわけです

そいつも恐らく満足したんじゃないのかなと思います
怒りとか恨みとか、後悔とか自責は、これからも俺の中に絶えず生まれてくるかもしれないし、再び勢いをつけて俺を蹴り上げることだってあるかもしれないが、それを「まあそういうこともあるよな」って受け入れてしまえば
要はそれが足りていなかったのかもしれない
俺は過去の自分を許せないというより、過去の自分を想起する自身を何より拒絶していたのかもしれない

最後の舞台で大きな気づきを与えてくれた大切な仲間に直接「ありがとう」を言える機会を待望して、今はコロナの収束を待ちます。このウイルスいつまで流行ってんだ図々しいな、あの小島よしおとエドはるみでさえ一発屋扱いなんだからもう少し弁えろカスが

これを書いている今その時も“手続”をしている感覚なんですよね
タイトルにもある通り
いつからか以前の行いを省みて白黒はっきりさせる(主に謝罪とか贖罪の意味で)癖が出てきてしまって
面倒なんだけど、これをやると後々スッキリするし、ずっと「やらなきゃ」って強迫観念を抱いているくらいなら済ませた方が楽なんだよね
立場はグレーが多いのに反省では白黒つけるのが皮肉に思えてどうも嫌いになれません

とりあえず文面では、この記事を以て最大限の感謝を伝えようかなと
ここまで読んでもらえないと伝わらないのは大失態なのだけど

あんまり長くなってもいけないのでここらへんで締めということで
もっと書きたいことあったはずなんだけど、忘れてしまったことを後から思い出せた方が例として少ないのでね
ここまでで18000字台らしいよ。もうすぐ19000字になります

もう集中力が切れたので誤字脱字を確認して修正する作業はしません。見つけたら笑って流してください。
アシさんをつけるか、パソコンで打ち込まない限りはミスも撲滅できないっすね

今度こそネカマのハウトゥーを……といいたいところなのですが、どうだろう。もう一つ書かなきゃいけないシリアスな事件がありまして、ちょっとわかりません。片手間に更新できるほど短い内容があれば、そっちを優先します。

大体、記事にするほどの内容となると、深く考えすぎて、毎度深刻になってしまう性質はある
「記事にするほどでもない」を記事にすることを考えなければならんな
マハトマ・ガンジーが助走をつけて他人を殴った時の威力を考えてみるだとか、Instagramでリンゴの咀嚼音を撮ったりカップヌードルの写真を投稿している理由とか

それでは。

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