不真面目なこと書かないと死ぬ病

ありがち。もう発症してから数年経ちますが、結局のところ、十分にタスクをこなせないくせに変に頑固で真面目で惨めな自分というのを、せめてネット社会では隠蔽しておきたいという心理の表れなのかもしれない。あるいは、平凡な個性にユニーク性を持たせるための悪足掻きか。

別に義務感で書くわけではないし、備忘録にしようなど一切考えていない(むしろ忘れていいものだと考えている)けど、せっかくnote始めたのに1つもシリアス要素が無いのもどうかと思って(あるいは1つだけでもルーツを知ってもらいたいと思って)、今回は僕の「恥の多い生涯のRTAシリーズ」から話題をピックアップして、少しだけつらつら記述していこうと思います。
最近フォロワーも色々あって深刻なツイートしてることが多くて、便乗するわけでもないけど、この機会にやっておかなければ自分は一生やらないだろうなとも思うんじゃよ

そうですねー最近の話をした方がみなさんも理解しやすいと思うので(誰も興味無いことを書き連ねる前提だが)
長文になりますが、良ければ読んでください。SAN値をすり減らして犠牲にしながら、何日間かに渡って書き上げました。


今回は、中学時代のコミュニティ形成と崩壊

のお話をします。


僕は小学生の頃から、決して友達に恵まれない立場ではありませんでした。ずーっと吹奏楽部だったから、女子の友達も比較的それなりにいたんだけど、この話は今日しません。また今度機会があればという感じ。

それで中学2年生くらいに、新しく仲良いLINEのグループができたんです。同学年生徒の集まりでした。
仲良いと言っても、入った直後だと全然リアルでは会話してない人ばっかりだったんですけど、確か最初は「学年委員会の同志グループがあるんだけど入らない?」っていうお誘いを受けて僕は招待された記憶がある。いややっぱり違うかも…確証が無いので断定はしませんが。
そうです、当時は学校における官僚ポジに所属していたんですね。
同志ってことはその時点で俺がオタク趣味を持ってることがバレてたみたいだ。謎すぎる。

それで後々、メンバー全員で一次創作やらないかということになった。

自分の創作人生はそこから本格的に始まったと言えるかもしれない。小6の頃の自由研究で、なろう小説の風上にも置けないようなクソ展開撒き散らした小説を書き上げて担任に提出したのを除けば、それまで僕は文を書くというのはあくまで勉強に付随する行為としか考えていなかったから。

そのグループでは、リレー小説というのをやることになって
これは簡潔に説明すると、短文を繋げてみんなで小説を作ろう!という企画のことです。TRPGを想像していただければ理解は容易いかも。
それでキャラ同士のやり取りをまとめて、LINEのノートに保存しておくんです。そうしたら、後から小説のような形式でメンバー全員が読み返せる。当時の僕からしたら画期的なシステムだった。

https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%AA%E3%83%AC%E3%83%BC%E5%B0%8F%E8%AA%AC
やさしいから概要のURL貼ってあげますね

当時僕らは中学生でしたから当然あの病気が蔓延してます。厨二病。実在しないとか思ってる?ガチなんですよこの病気は。形はそれぞれ違えど、中学生は何かしら格好つけようとする。

これが割と厄介で、どんな設定組もうがどんな文書こうが少なからず臭くなってしまうんですね。ただ自分としては、日本昔話みたいな説話主体のクソ短ぇストーリーを量産するというよりも、何年もかかるような大作を1つ書き上げようとするメンバーの気質はありがたかった。大いに賛同できた。
最初5人でストーリー回してたけど、途中で1人抜けて、2人入ってきて、2作目からはその6人で回した。

1作目の大まかな設定としては、
・西洋系のハイファンタジー
・主人公達は元々海賊で、航路の途中で何らかのトラブルが発生し大陸に漂着した
・なんやかんやあって、自分達が漂流した原因を探るうちに敵の影が見え隠れし始め、道中ハプニングを起こしながらも前進していく

といった内容。僕は闇・光属性の双剣ジョブやってたので典型的なそれでした。

2作目も興味ある方いるかもしれないので設定だけ一応書いておくけど
・日本をモチーフとした東洋の大陸
・魔法は存在するが基本的には実戦で使えるような強さではなく、ストーリー自体は刀剣主体のローファンタジー
・大陸を分断するほど長く巨大な壁(物理)により東軍と西軍みたいに大きく二つに分かれて闘争が起こっており、主人公達は同じ派閥に所属して片方と対立する

といった内容でした。僕は相変わらず闇属性やってました。好きすぎか。

まあそこまで創作について掘り下げても仕方ないので、あくまでこんなことやってるグループでしたよっていうのだけわかってください。


で、複数人で作る小説だからまあダレる時もあるじゃないですか。誰かが更新速度遅くなるとどんどん後ろのめりになっていっちゃったり。これが実際にグループでも発生してしまって、数ヶ月更新が停止しては動き出して、また停止して…ということもザラにありました。創作家っていうのは締切無いとそんなもん。漫画の休載なんか珍しい話じゃないでしょ?

ただそのペースが大幅に滞ってしまった時があって。
リレー小説という形式だから書く順番って割と大事で、一人滞ると書きたい人が書けないよねっていう問題を抱えてるんです。それを払拭するために、ストーリー本編のフレーバーになる「外伝」なら誰でもいつでも好きに書いていいということになりました。それがむしろ停滞を招いた原因の一部かもしれない。俺もかなりストーリー止めてた時あったから戦犯ではある。

段々そのグループは“自分達の創作を紡ぐ”ための存在ではなく、“推し語りを筆頭としたオタ活”のための存在に成り代わり始めた。元々、目的を持って形成された組織でもなかったから、これ自体別に非難することでも何でもないけど、途中から専らFGOの話題で持ち切りだったので、自分はついていけなかったりもしました。
話に合わせられるようになろうと実際にFGOをプレイするが、無事キャメロットで挫折。正確にはガウェインは倒したんだけど、その難易度に絶望して「ここから先こんな化け物より強いの出るのかよ…」となって終わりを迎えた。マスター達からするとそこが一番の難所だったらしいけど。
いやすごいよFGOやってる人。尊敬してるもん。人理修復とか、ゲームであっても難易度高いもん。やはり並の精神力では世界を救うことなどできない。

つまり何が言いたいかって、自分達を表現するための手段が、小説ではなく通常の文章表現になることで希薄になったんです。組織がそのように変容を遂げた。

簡潔に表現すれば、推し語りというかオタクトーク以外の個人的な悩み、嗜好、思想というのは、その時点で単なる馴れ合いでしか有効にならなくなった。
個人的な悩み、愚痴を話せば「俺は(私は)あなたの気が済むならいくらでも聞いてあげよう」と言われる。基本的に全肯定である。それが何年、何ヶ月も続いたのです。そこに善良な人間の片鱗を感じる人も多いであろうが、これは果たして友人関係として正しいか。

僕達はわかりあった気になっていた。ただ、小説以外での距離というのを考えれば、その限りではなかったのかもしれない。
あくまで自分にはそう感じられました。僕は思い切りあそこの誰かに非難してほしいとすら思った。革命家少年の言葉を借りるわけではないけれど(発言の意図も全く異なるだろうけど)、周りが全部AIに見えた。“私はロボットではありません”を、全員に証明してもらいたかった。

オタクとして他者を、あるいは他のコンテンツを批評するのが主になれば、その分自分達をコンテンツ化することへの目線は薄れていく。
「推しの壁になりたい」という言葉があるように、オタクは推しが優先なのです。自身というのは最悪、コンテンツに加わっていなくてもいい。

その間の性質は違えど、僕は僕が好きです。自分が大好き。だから、オタク文化というのは、推しの概念というのは、正直わからない。自分より好きな人間と出会ったことがないからかもしれない。確かにキリトを推してるかもしれないけど、僕みたいなSAOの原作も読んでないようなにわかが、一体彼の何をどこまで知っているというのか。
「じゃあこれから知ればいいじゃん。推しは推しでしょ」と思う方、違うんだ。僕にとっては推しは「知ってから推し」なのです。だから、それなりに、人に語れるほどの知識を兼ね備えてはじめて推しになる。僕は語れるほどの知識を持ってるのが「自分」というコンテンツだから、実際に今、推し語りをしていると言っても差し支えない。

そうなると、カルチャーの違いが出てきます。みんな推しがいる。シノンや、アイマスのアイドルやら、刀剣男士やら、FGOのサーヴァントやら。今頃続いていれば、ツイステとかいうヲタ媚びディズニーに誰かしらハマっているかもしれない。

僕は「自分が推しです」として、その思考を売るだけの勇気が湧かなかった。特に何も、偉いことをしていないから。だから、自分の分身とも言える存在である一次創作のキャラクター達に全てを託した。自分が歩めない道を歩んでもらえるよう希望したのです。若齢にして、親の気分というのを味わったかもしれない。

さて、ここに書かないだけで、色々やってるんです。醜いことをしでかしている。色々やらかしている。
だから僕は自分が一番好きで、それでいて一番憎いです。
自分が大好きだから自分に不利益なものは徹底的に排除しようとするし、自分に利益のあるものは積極的に取り入れようとします。推しは幸せになってほしくないとかいう性根歪んだ腐敗人間もいますが、僕はなるべく推しに幸せであって欲しい。たまらなく憎いけど。

それで、僕は僕自身の過失によって、グループを離れました。

つい最近の話です。高二の時。
中学から続いていたコミュニティから離れる孤独は、自分をしがらみから解放する快楽と、贖罪の責任を十分に果たさなかったが故の悲嘆に溢れていた。いいや、僕は彼らに対して、一度自分の過失というのを、思いつくだけ並べて提示して謝罪してみせた。ただ告白することだけが贖罪ではない。償ってこと贖罪なのです。だから、自分は正確には償ってはいない。

その他に誰も悪くない。ただ僕がユダだったんです。僕だけが危険因子だった。あのグループが抱えた唯一の爆弾であった。

自主的に、事前に特に宣言もしないで離れた。逃げたのと変わりないかもしれない。どんな過失かは、お教えいたしません。親しかった彼らはそれが具体的に何か知っているけど、それでも全貌を理解できているわけではないだろう。僕ですらわかっていない。高校の部活を退部した時もそうだけど、自分はとても卑怯で、行動の動機を思索すればするほど、言い訳のような弱い文言ばかり思い浮かんでしまうのです。

中学時代、中3の頃、縁切りを主な御利益とする神社に祈祷しに行きました。中学の時の自分というのは、相当に歪曲していた。だから人間関係も、一部を除いては脆弱な土台の上に成り立っていた。
僕は自分を守るために、自分が幸せになるために、誰も自分を傷つけさせないために、誰も自分に近づかせないために、他を拒絶するに至りました。

グループを離れる前に、最初グループに誘ってきた男が僕に対して言いました。「良い意味でも悪い意味でも、お前は自分のことしか見ていない」と。

まさに言い当てられたと思って、僕は嬉しかった。自覚しているのだから当惑することなど今更できないけど、そのような自己愛の悪魔として見られたことが、たまらなく嬉しかった。非難されたというより軽蔑されたように思えたのは想定外で、「俺はそこまでのことをやってしまったんだな」という自覚にも至ったけれど。







ここまで律儀に読んでくれた人にも、残念ながら何を書いているのかさっぱり、というのはあるかもしれない。普段ここまで拙く順序の整わない文は書けないのですが、このことになると、自分のことになると、何か伏せるものが出てくると、どうしても不整合な文章しか書けなくなるのです。それだけこの話題が、僕にとっての核心であることだけはわかってください。
また精神的に落ち着いたら、補足説明をするつもりです。
最終的に、僕という存在を好いてくれる誰かが、内容の中から僕を見つけ出して、真実を突きつけてくれることを望みます。


では。


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