はなれて暮らす母とのお茶時間
コロナ禍の今
帰省できない日々が続いています。
遠距離介護している母の顔を見て
話せるタイミングは
LINEのビデオ通話の時のみ
一緒に食卓を囲んだのはいつだっけ…。
空を見上げながらそんなことに
思いを巡らしているうちに
ふと浮かんだ
「母とこれから一緒に楽しみたいこと」
それは
ささやかな幸せを感じるひと時を
共に過ごすことでした。
母は姪の淹れた煎茶がうれしかった
一人暮らしの88歳の母が
最近おいしいと感じたものは
姪が目の前で
急須から淹れてくれた煎茶だった。
「美味しくてねぇ、元気が出たわぁ」
と何度もその日の夕方に繰り返していた。
わたしとの思い出は
"ペットボトルのお茶"のまま
前回帰省してから9ヶ月が経過
コロナ禍でこの先
いつ帰省できるのかも不透明、
お茶を一緒に飲んだのは
去年の暑い夏の日が最後。
母の認知症が進んでいたのが
発覚したばかりの頃で
かなり荒れた状態だった。
床に散らばっている
モノをかき分けてスペースを作り
はす向かいに
絨毯の上にちょこんと座って
ペットボトルのお茶を
一緒に飲むのが精一杯だった。
こんな部屋で毎日過ごしていたのか…
驚きと切なさと
こんなになるまで気がつかなかった
自分の情けなさに呆然としていた。
そんなわたしを前にして
ただただ嬉しそうに
ペットボトルのお茶を飲んでいる
母の笑顔がそこにあった。
思わず涙が出てきて
喉がギュッと縮まった。
気持ちを落ち着かせようと
ペットボトルのお茶を一口含んで
ゆっくりと喉に流し込むと
抑えていた感情がさらに溢れ出し
それはそれは
しょっぱいお茶のひとときとなった。
あの日二人で決意して
断捨離を決行することにした。
わたしが東京に戻ってから
遠隔で母の断捨離をサポート
ヘルパーさんの応援もいただいた。
おかげで今では
スッキリ片付いた部屋を取り戻す事ができた。
新調したダイニングテーブルの前に座り
紅茶だのコーヒーだの
なんでも淹れたてを楽しめる生活を
送れるようになった。
…でも一人で飲んでも味気ないようだ。
時々電話でそんなことを
こぼすようになってきた。
次は熱いお茶を一緒に飲みたい
もし次に帰省できたとしたら
その時は熱い淹れたてのお茶を
二人で飲んでみたい。
今では当たり前に
食卓に急須が登場しているらしい。
煎茶もいいが
美味しい紅茶もすでに送っている…
ドリップバッグのコーヒーを準備して
丁寧に淹れてもいい…。
互いに元気でいられることのありがたさ
母がわたしをまだ覚えてくれていて
大切に思ってくれていることを感じなが
一緒にほっこりとしたひとときを味わいたい。
きっと二人で囲んだテーブルの思い出は
手のひらで包み込んだ
マグカップの温かさとともに
しばらくの間は蘇って
わたしの心を温めてくれるはずだ。
それまではまだひんやりとした
ペットボトルの感触しかない。
このささやかな思い出をを頼りに
次に会える日を楽しみに待ちたい。
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