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身体で理解すること(その1)

海外で研究するようになって、英語を真剣に勉強をするようになり、驚いたことがある。自分が、なんと英語を話せない、聞けないことか!まあ、なんとかなるだろ、と思って飛び込んだ環境で、ひたすらあたふたするという経験をしました。この危機は「知識として知るだけでなく身体を通して学ぶことが大事」という当たり前のことを知るきっかけになりました。そしてそれは、英語だけではなくあらゆる勉強で大事なのではないかと思うようになりました。そんな話をします。

英語はスポーツ

「英語はスポーツ」。これが僕が海外に出て最初に経験したパラダイムシフトでした。おそらく留学をしたことがある全ての人が納得すると思う。英語で話す勉強を始めると、これまで10年以上(小学校〜大学まで)信じてきた、日本の英語教育を忘れろ、と言われます。なんてこった、と思うのは僕だけでしょうか?

もうあらゆるところで言われていることなので、詳しくは書きませんが、日本の英語教育(僕が学生だった頃なので10年以上前の話)は話せるようになることを目的としたものではありません。文法と語彙だけを教える教育は、水に浸からずに泳ぎ方を学ぶようなものです。教師も学生も水に浸かったこともないのに、真剣な顔をしてクロールの手の角度は、30度か32度か!みたいな議論をしている集団って笑えますね。しかし、そういう授業だったんだなと思います。「HUNTER×HUNTER」の流星街の長老達を、日本人は馬鹿にできないのです。

ここで最初に理解したのは、英語(を話すこと)を学ぶことが、実は数学を学ぶこととは全く異なるものだということです。1+1を10000回繰り返すことに意味はないけれども(やった人を見たことがないので、多分ですが)、正拳突きを10000回繰り返すことには、多大な意味があります。正拳突きと同じで「I have a pen」という文章の作成を繰り返すことには、話すことができるようになる上で大きな意味があります。

話す上で大切なのは過剰な単語や文法の知識ではなく、それらを素早く自在に組み立てる脳の回路だった!その上でキーワードになるのは、反復と継続です。スポーツや武道、音楽をやっている人であれば、すんなりと入ってくると思います。その昔、空海が洞窟にこもって100万回お経を唱えることでご利益をえる、という話があったので、宗教を学ぶ上でも大事なのかもしれません。大仰な言い方ですが、身体を通した勉強、と言ってもいいかもしれません。

数学もスポーツ?

ひたすらブツブツと英語を呟く日々を過ごす中で、やがてもう一つ疑問に思うことが出てきました。

科学の分野では身体を通した勉強は重要か?

先ほど英語と数学の勉強は異なると書きましたが本当だろうか?科学、というのは、自然や世界でおこっていることを「数字や論理」といったデジタルな情報に変換し説明することです。そうすることで、科学者は時代や場所を超えてアイデアを伝え合い、アイデアの山の上にアイデアを足していくということを可能にしました。レオナルドダビンチやアインシュタインをはじめとした古今の研究者が、巨大なスクラムを組んで行進している様を思い浮かべると、科学って面白いなと思います。職人集団がもつ技術と比べて考えると違いが分かり易いと思います。科学者は「桁違いに群れること」に最大の強みがあります。

少し話がずれました。科学が数字や論理を扱うものであれば、「身体で覚える」ということとは全く外れたもののようにも見えます。10000回くりかした後の正拳突きは、元の正拳突きとは異なるでしょう。しかし、10000回繰り返した後の1+1は元の1+1とは異なるのでしょうか。

この疑問を考える上で、漫画「ドラゴン桜」がブレイクスルーになりました。とても面白いので、知らない人は是非見てください。漫画だけでなくドラマもあり阿部寛がかっこいいです。

これまで全く勉強してこなかった学生を東大に受からせるという話。数学を勉強する上でまず最初に彼らがやったことは、簡単な計算の「反復」でした。数字を扱う際に最初に必要なのは、実は細かい数字や計算に関する知識でなく、それを素早く自在に組み立てる脳の回路だった!同時にそれが大事なのは簡単な計算だけではない。微分積分を初めて習った時は、だれしも一つの計算を理解するだけで脳をフル回転させていたでしょうが、慣れてくると反射的にできるようになります。僕が理解したのは、数学もスポーツであるということでした。

次に続く...

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