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水の勉強

旅は人生を作る!ー学問は、そんな旅を百万倍楽しくしてくれます。

幕末の志士に詳しくなれば、日本全国どこにいってもその足跡を感じることができて、楽しいです。自然科学はどうでしょうか?自然はどこにでもあります。人の変えた自然も、家の中の箱庭も、圧倒するような原生的な自然も、これら自然を語る言葉をもてば、世界中どこに行っても楽しくなります。

水について

自然を知るには、まず「水」を知るのが第一歩ではないか。自然史、植物・動物・菌類の生態、土壌、地質地理、鉱物、気候、水文、林業、農業、歴史、天文、環境保全、文化、宗教などなど、まったく異なる分野を通して「水が大事」ということは共通しています。なんと驚くべきことでしょうか。地球が水の惑星と言われるように、地球上の自然の中で水の果たす役割は、かくも大きい。生物の世界や人間社会の持続を考える上で、水を避けては通れない。そこで、水について勉強していこうと思いました。

と、思っていたら、その昔レオナルド・ダビンチも水にこだわっていたようだ(以下のnhkスペシャルがおすすめ)。美しい映像、練り上げられたストーリーに魅了されること間違いなしです。古臭いということなかれ。本当に大事なことは、歴史を通して変わらないので、ふるきにたずねるという謙虚さが大事です。

人の生活や文化の中で、なぜ水がそれほど重要なのか?

当たり前のことを言うようですが、水は人にとって必要で、かつ怖いものです。水無しでは人は2、3日で死ぬ。それは人以外の生物も同じで、植物など食べ物を育てるとなれば水は必要です。過去の文明や縄文時代の遺跡(例えばメソポタミア文明、八ヶ岳山麓の縄文遺跡などなど)が水を得やすい川や山の近くに分布していることは、水が人にとって必要だからに他ならない。

その一方で、水は人を殺すこともします。洪水や津波によって人の生活が脅かされる、というだけではありません。流れが止められて淀んだ水は、家、有機物、土地を腐らせてしまいます。戦国時代の武将や空海は、土地を涵養する水を確保する一方、洪水から守り、さらに水が滞らずうまく流れるような土地造作を施してきたようです。さらにいえば、日本全国にある神社と社寺林が水を守るように分布しています(例は日本全国にありふれてますが、例えば、京都の貴船神社、上賀茂神社、下鴨神社の分布を見てみてください)。

人の文化は「水とうまく付き合う」ということが軸となって発達してきているように思います(惑星、岩石、生物の進化など、自然科学の中での重要性は、また別の機会で考えます)。私たちが何気なく暮らしている生活の中には、実は水とうまく付き合う工夫で溢れています。自然を見て、水がどんなふうに流れているか、生物がどのように水を利用しているか、また、水とうまく付き合う工夫について考える。そうすると、いろんな知識が繋がって頭に入ってきます。それを楽しい、と純粋に感じます。

持続可能な社会と水ーなぜ伝統的な社会のやり方を学ぶ必要があるのか?

ここで、少し視点を変えてみようと思います。環境保全を訴える人の中には、伝統的な社会の文化や視点を学ぶことが必要だと言う人がいます。それは、なぜ大事なのでしょうか?

その理由の一つは、水の扱い方が現代と過去の社会で大きな違いがあるという点にあります。例として食料の生産について考えてみます。現代の食料生産の特徴は、集中、効率化、長距離輸送です。例えば全世界で必要とする穀物をアメリカやブラジルなど一部の国で集中して生産し、効率化することで生産力を上げてきました。肥料の使用、機械化などもあいまって食料生産は歴史上右肩上がりで伸びています。しかし、この爆発的な生産性の上昇が、実は地下水という、減り続ける資源を搾取することで成り立っていることはあまり知られていない。資源を減少させる一方の、このシステムは近い将来大きな危機に直面すると予想されています。(下のnhkのドキュメンタリーがこの問題を理解するために有効。みていると恐ろしくなって歯がカチカチなると思います。なので、漫才の動画など自分にとって希望が持てる手段を確保してから見ることをおすすめします)。

遠い国の問題と安心はできません。日本国内でも、工業そのほかによって地下水の減少・質の悪化は問題とされています。全国にある湧き水のポイントに行くと、多くの場所で「昔はもっと水が多かった」「今はもう湧水が枯れてしまった」という話を聞きます。千葉県では、井戸で組み上げた水は農業や工業廃水の影響でフィルターを通さずに飲むのは危険とされています。現代では、水道施設の整備されたことによって、局所的に水が枯れたとしても生活や工場の活動がすぐに影響を受けることはなくなりました。これは良いことでもありますが、問題にふたをしているようにも思います。このように、現代では、技術によって水の安定供給を可能にした一方、深い地下水など、石油のように減り続ける資源に頼り、さらにその質を悪化させ続ける、という「弱さ」を持つようになりました

これに対し、昔の社会ではどうでしょうか?現代のような工業的な技術がないために遠い地域の水や深い地下水を利用することはできません。森や川から得られる水の枯渇はただちに生命と食料生産に影響します。水を運送するのは難しいので、局所的に健全な水を確保することは、そこに住む人の命に関わる問題だったのです。だからこそ水が文化の中心にあったのではないでしょうか。雨が土地表面を通って川に流れてしまわず、土地に浸透し貯留されるように、いろんな知恵や技術が育まれてきました。ここではそれに深く立ち入りませんが、森や大木を守るというのはその大きな例です。

現代では技術によって問題を見えにくくなっていますが、それは、問題を、地球の内側や海外など、外部に転嫁しているにすぎません。だからこそ、昔の視点や技術から学ぶことが必要だと思います。決して、「昔はよかった」という懐古主義ではなく、現代の技術をただ否定したいから言っているわけでもない。人が今後も生きていくための戦略として、過去の文化に学ぶことが必要ではないでしょうか。

漫画や映画では、過去の超文明が現代の技術を凌いでいた、ということがよくあります(風の谷のナウシカなど)。現実の世界でも、少し違う意味ですが、同じことが言えるのかもしれません。それは、なぜかとても嬉しく思います。

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