hatra・chloma・BALMUNG ――③
はじめに「ラグジュアリー」を「有用性」であると定義しよう。印象派以後のアートはその所有権をサロンから市民へと移したように、プレタポルテ以後のラグジュアリーもまたオートクチュールを好む道楽家から洗練された市民の身体へと"市場"を移した。最も才能のあるジョン・ガリアーノも、最も才能のないカール・ラガーフェルドも、身体への丁寧な"マーケティング"から装飾を配置している。依然として華美であろうとテイストとしてコントールされスタイルそのもののバランスを崩してしまうことは無い。服をそれ一