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猫を描く。猫は錨。

猫が来て1年半が経った。

8月生まれなので、4ヶ月後には2歳になる。
体重も3キロまで増えた。
PCの前で尻尾を立てられると、もう画面が見えない。

毛玉を吐いた時、体力を消耗したのかしばらく元気が無かった。心配で仕方なかった。家を出ていく時に、置いていかれると分かると毎度びっくりして目を丸くする。帰ってくると拗ねている。

すっかり猫は僕の一部になってしまって、ちょっとしたことで胸が痛くなることが多くなった。大事なものは増えてくれない方がいい。それでも、現に猫はもう、僕の生活の中にいる。

一年間の執拗な観察により家主の行動を読めるようになった猫は、僕が一歩踏み出しただけで駆け出し、先を行くようになってきた。こっちだよ、と得意そうに言い残したようにも見える。気が変わって引き返すと、そっと戻ってきて心外だという表情を見せる。口が三角になっている。底辺が上、頂点が下。白猫の三角。森博嗣のVシリーズ第一作を思い出した。あれは『黒猫の三角』だった。

仕事で、猫を描いてもらうという幸せな与件が、ある案件に加わった。単に偶然のことなのだが、引き寄せられたように感じてしまう。

猫をおもうと私の心はそこに留まって流されずにいられる。

未だに箱に飛び込むし、

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すり鉢状のダンボール(通称ディッシュ)を愛しすぎているし

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仕事を邪魔するのが好きで

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新しく家に来た物をつけ狙い

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振り返れば見張っている。

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Twitterで猫

僕と世界の間を猫は尻尾を立てて横切る。向こうに居てはこちらを見張り、キーボードを踏みつけて向こうへ去っては物陰からまた見張っている。そういう猫の佇まいで、目にして初めて知ったことを僕はいつの間にか短い文章で書いてみるようになっていて、僕は自分の変身を感じることがある。かれは具体的な一個の生物だが、他者ではない。かれが僕と世界の界面にいて、その向こうの他者に視線を送るときの解像度の、上げ下げをする練習に付き合ってくれているような感じがしている。

そうやって時々ツイートしている。

以下、前回のnote記事からの間でつぶやいた猫のこと。

Instagramで猫

Instagramも続いている。開設してから一度も止めずに、毎日、写真を一枚だけ投稿している。実名で、アイコンも僕自身だが、猫の写真しか載せず、猫のことしか書かない。フォローするのもガチの猫アカウントだけ。ガチの猫好きの先輩たちが褒めそやしてくださるし、何か困ったことがあると助言をくれる。

このスタイルで、今日、ついに365枚になった。

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365日連続投稿を達成したら、あとは気の向いた時にやろうと思っていたのだが、日々撮り溜めているものからピックアップしていって、全然現在に追いつかない。たとえば今日更新した365枚目は、まだ2021年8月の写真である。

ということで、現在に写真の投稿が追いつくまでは、毎日投稿するのを続けようという気になっている。朝のコーヒーを淹れながらのルーチンとして完成しつつある。

という、節目でのnote記事をつくったのでした。

猫が幸せに生きてくれますように。

過去の2回のnote記事。

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