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[2023.10.19]密室づくりが仕事のぼくは、鎌倉に閉じ込められて熊を想う

いちばん好きな動物は何?って会話自体、そもそもあまり交わされない気がするが、いちばん好きな動物は熊だ。
と、胸を張って言い切れるほど毎日動物園に通って推しの熊を写真におさめたりしていないし、熊牧場に行ったこともないし、学術的に深掘りして調べたこともない、ただのミーハーな顔ファンだ。
今飼っている犬も、子犬の時まんまるで、どう見たってツキノワグマの赤ちゃんじゃんと一目惚れしたのだったが、今ではすっかりしっかり立派な柴犬だ。
結局犬猫の方が好きに決まってるしナマケモノもタヌキも好きだ。けどそれらを好きな理由には直接のコミュニケーションが取れる可能性があるというアドバンテージがあり、やはり見た目だけで言うと熊が好きだ。

ずっと心に残っていて何度も読み返してしまうニュースがある。

「扉が開いたおりの近くに倒れている丸山さんの周辺を、体長1メートルほどのクマがうろうろしたり、おりから出たり入ったりしていて、」
というくだりで何度読んでもじんわり泣いてしまう。
熊は噛むことで親しみを表す、と、以下のHPにも書いてあるが、犬猫含め、わりと多くの動物がそうであるように見える。


「丸山さんは、およそ20年間、このクマを飼っていたということで、丸山さんの73歳の弟は「兄は山に仕事に行った時に、親からはぐれた子グマを見つけ、それからずっと飼っていた。こんなことになって残念だ」と話して」

という感じで、ほかの新聞の記事でも、家族の誰もが、亡くなったこと自体は残念だが、熊を悪者にはしていない点もとても好きだ。

20年熊を檻に入れて飼育することが熊にとって良いのか悪いのかは難しい。それは人間が「飼う」すべての生物について言えることで、自分の飼っている犬と猫への、エサと屋根を与えてやっているのだから、飼い主の意のままにしろと言うのは傲慢が過ぎるのではないかと言う罪悪感は常にある。

けれどこの熊、ペッペが20年、どういう思いで飼育されていたのかは「丸山さんの周辺を、体長1メートルほどのクマがうろうろしたり、おりから出たり入ったりして」いて、山へ逃げたり他の人を襲ったりしていない点からもうかがい知れる気がする。
いや、それも熊の顔ファンとしての都合の良い解釈かもしれない。

死ぬのが怖い。あ、これもう死ぬかもしれない。と思うような痛い怪我や高熱に見舞われても、意外となかなか全然死なない。と言うことは死ぬ時は、今まであんなにしんどかった、どの経験をも超えたとんでもない痛みや苦しみを伴うのでは?と恐ろしくなる。
ペッペに噛まれて死ぬのもきっと一撃ではないだろうし、体長1mほどの熊なら、何度も噛まれるあいだに本当は反撃もできた気もするのだけれど。なんとなく、諦念みたいなものを感じずにはいられず、なんか、なんと言うか、わかる。わかるよ。って思うのだ。
諦念と言うのは、人間の都合の良い愛情の交わし方、飼い方についての諦念であり、もう最後、お前のやり方で存分に愛してくれよ、という気持ちだったのではないか。
いやいやふざけんな熊、痛過ぎるだろ。は絶対あるよなと思いつつ、どうせどう死んでもすごき痛いなら、 20年飼った熊に噛まれて死ぬ。はめちゃくちゃ理想の死に方だなと思う。

ひとつのニュースから、そんなことを延々と妄想してしまうほど熊が好きだし、星野道夫著作はかなり揃えてるほど熊が好きだし、OSO18や知床のヒグマと漁師の話など熊のドキュメンタリーがあったらかじりついて見てしまうくらい熊が好きなので、映画「コカインベア」は、ものすごく期待していたし、ものすごく不安だった。
サメとかワニの映画みたいに、熊と人が戦って熊が始末されるのは見たくなかった。

が、熊版「デスプルーフ」と呼べる最高の作品だった。いちばん好きな映画なに?って会話はめちゃくちゃ苦手なのでお茶濁しも兼ねてジュラシックパークと言いがちなのだが、話す相手の属性によっては、デスプルーフを挙げるくらい、デスプルーフが好きだ。
で、コカインベアは、カートラッセルが人間で、ゾーイベル達が熊なデスプルーフだった。最高。

あと、ケアされない子供の話でもあって、そのヘンリー役が、スイートトゥースの俳優さんだった。かわいすぎるし、彼の存在がよりこの映画を好きにさせてくれたし、その他の登場人物もみんな魅力的。

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