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[2023.10.01]密室づくりが仕事のぼくは、鎌倉に閉じ込められて心地がいい

密室づくりが仕事のぼくは、鎌倉に閉じ込められて心地がいい。+-+SUUMOタウン


2019年9月末に鎌倉に引っ越した。引越してすぐコロナがこの世を支配して、その頃にSUUMOに文章をエッセイとして載せてもらった。

何かの媒体に自分の書いた言葉が載るということが初めて、であり今のところ最後で、ものすごくうれしかったし、コロナで起こった、または起こらなくなった、または起こしてはいけなくなった、または起こさねばならなくなったあらゆることに、怒ったり落胆したり困惑したりもしていたはずだが、一方ではかなりワクワクもしていたことが、今振り返ると読み取れる。
決して明朗快活ではないが、無駄に前向き、というか、考えなしな部分があるのだなと思う。
今井さんがつけてくれたエッセイのタイトル「密室づくりが仕事のぼくは、鎌倉に閉じ込められて心地がいい。」が、あの頃の心情を的確に表現してくれていてとても好き。すごい。

それから気づくと4年が過ぎて、4年の間に世界はひどく疲弊して壊れていって、けれど毎日はとても楽しくてそのことがとても気まずい。楽しい時間が楽しければ楽しいほど、こんな時にこんなことをしていちゃいけないんじゃないかという後ろめたさが波寄せる。

明日死ぬかもしれないしずっと死なないかもしれないけれど、鎌倉に住んで4年目、今の家に住める期日が残り1年になる2023年10日1日は日記を始める絶好のチャンスだ。鎌倉での残りの生活を記録しておこう。
と、思い立ってから早半月が過ぎようとしている。ものぐさがすぎる。けどまあどうせ始めたところで怠けるし、気負いすぎず、抜けた日は遡って穴埋めして行くくらいの気持ちで、のらりくらりと記して行こう。

4年前の文章はこちら。
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人々を閉じ込めるための密室をつくる仕事をしている。

閉じ込められた人たちは制限時間内にあらゆる謎を解き明かし、自力で脱出しなければならない。脱出できないとどうなるか。
爆発したり魔王に世界を破滅されたり爆発したり時空の狭間に追いやられたり爆発したり。手っ取り早く制限時間内に危機的な状況をつくれるので、爆発に頼る頻度が高いのはたまにキズだが、だいたいはただでは帰れない、帰さない。
とにかくそんな、人々を閉じ込めるための部屋を日々つくっているのだ。

そのため不動産屋さんには大変お世話になっていて、北海道から沖縄までさまざまな街のさまざまな物件の内見に行っている。人を閉じ込める部屋を探してますというのは当然、なかなか理解してもらえないものだが、趣旨を理解してくれる不動産屋さんやオーナーに出会えたときは、これこそまさに人を閉じ込めるに適した物件!というシロモノに出会えて興奮する。

昨年、そんな仕事の一環で鎌倉湘南エリアを入念に内見していた。まずは何を置いても海、ということで由比ヶ浜、七里ヶ浜周辺を。次いで神社仏閣が有名な街なので長谷や北鎌倉の古民家をひたすら見てまわった。そういう地形だから攻め込みづらく鎌倉幕府が繁栄した、みたいなことは遠い昔、日本史の授業でぼんやりと聞いた気もするが、鎌倉には海岸沿いから広がる平坦な街並みが実はとても少なく、海岸以外の三方は山に囲まれており、とても緑豊かな場所だということを街を知るにつれ痛烈に実感した。

鎌倉駅を起点に、由比ヶ浜に沈む美しい夕陽には目もくれず、山の方へ山の方へと歩くこと40分。あたりもすっかり暗くなるころ、ピッシリと折り目正しく区画整理された、住宅の段々畑みたいな集落にたどり着く。緑いっぱいの山に四方をすっぽり囲まれた盆地みたいな場所にあるその一角は、周りの自然とは不釣り合いな、要塞都市のようにも見える。

築年数から察するに、第二次ベビーブームの時期に一気呵成に開発されたと思われるこの地域には、「昭和建築遺産」と名付けたい、発展真っ盛りの元気な日本!を象徴する、ちょいダサ、だがそこが愛おしい、という日本家屋が建ち並ぶ。一軒一軒チャイムを鳴らして、間取りもお庭も見せて頂けませんか?とまわりたいくらい、昔ながらの家も、最近建て替えたであろうモダンな家も、感じのよい好ましい住宅ばかりが並んでいる。

人を閉じ込めるための部屋を探しに来ていたはずが、この地域があまりにも気に入ってしまい、自らこの場所に閉じ込められてみようと、内見の翌週には自宅として契約を進めていた。5部屋+台所、トイレ2つに小屋付きの緑もりもりの庭。これだけあって荻窪の2DKのマンションより2万円も安いのだ。絶対に喜ぶぞ、猫が!というはやる気持ちが抑えきれなかったばかりか、あ、広い庭には犬じゃんねやっぱり、と引越しの前日に犬を飼うという暴挙にも出た。

渋谷区生まれ新宿区育ち、一人で暮らし始めてからも下北沢恵比寿荻窪と東京の、しかも居酒屋やパチンコ屋なんかがすぐ横にあるような商業地域にしか住んだことのない自分にとって、この地域で暮らすことは大げさでなく閉じ込められる感覚に近い。

これまでの人生、住む部屋の快適さへのこだわりが皆無で、なるべく駅近コンビニ近く。という利便性だけを考えて住まいを選んで来たため、コンビニまで1分、駅からも10分以内のところにしか住んだことがなかった。バス停に並ぶ人を見るたびに、なんで東京にはこんなに建物が溢れてるのに、わざわざバスに乗らないといけないところに住むんだろうウケルー。と思っていた。

それが今では新宿から電車で1時間、駅徒歩40分。バスに乗ったら10分だけどバス停からは12分、バスも20分に一本程度。最寄りのコンビニは山道をのぼり下りして20分先。一度帰宅したら、あれがないから買いに行こうなどと家から出るなんて考えられないし、休日だってそれなりの気持ちの準備がないとおいそれとは出かけられない。買い物は全て駅前で済ませて帰宅しなくてはいけないが、そもそも駅前のスーパーや商店も閉まるのが早いので仕事帰りに食料品や日用品の買い物がしづらい。駅前の西友が24時間営業だった荻窪とは大違いである。
携帯の電波も入らない。最近は地下でも観光地でもこんなにクリアに電波入るんだね、と思うことばかりだったから、まさか神奈川県の誰もが知っているような駅名の街で携帯の電波が入らないなんて思ってもみなかった。

そういった利便性という意味合いでも閉じ込められている感覚があるがもう一つ、家からの景色にも閉じ込められ感がある。2階からの景色は四方を至近距離で山に囲まれていて、前後左右全ての景色が、とてつもなく巨大なブロッコリーみたいにこんもりとした木々の大群。1階からの景色は気味の悪いくらい理路整然と区画された住宅の隊列。しかも周りを囲む山にはフェンスが張り巡らされていてどういうわけか決して入ることができないのだ。ここで生活していると、自分たちは誰かのつくった巨大なハコ庭の中で動かされているコマで、この空間からは二度と出られないのかもしれない、みたいな気持ちになる、こともある。

だがこのハコ庭は本当に心地よい。
東京よりも圧倒的に花が多い。自生しているもの、民家の庭に植えられたもの、市が植えたであろう道路脇のもの、地域の人が植えている花壇、とにかく歩いている景色のどこかしらに必ず花がある。光浦靖子が、ババアになったらみんな花が好きになるのよ、って言ってたけど、なんとなくその感覚が自分にも備わってきていて、思わず写真におさめたりもしてしまう。自分の借りた家にも、梅も柿もキンカンもサザンカもアジサイもリンドウもグミの木も植わっていて、その他名前も知らない野草が刈っても刈っても狂ったように生えてくる。

東京よりも圧倒的に鳥が多い。鳥というか、空を飛ぶものが多い。東京で聞く鳥の声といえばせいぜいカラスとハト、たまにスズメくらいだが、ここではそれ以外の鳥の声が大半を占める。鳥の名前を全然知らなくて悔しいのだが、ホケキョとかピューヒュロロとか、その他なんだか擬音では表現し難い、もう音楽みたいなさえずりがひっきりなしに鳴っていて、見た目も美しい色とりどりの鳥が飛んでいる。
当たり前だが虫もとんでもなく多い。その中でも蝶々の多さが目に止まる。多種多様な色の蝶が舞っていてそれを飼い犬がしきりに追いかけている。

自然のものだけでなく飛行機もやたら多い。都内では聞かないような轟音をとどろかせ、家の真上を飛行機がすぎていく。夜中、他には何も音のない闇に響く飛行機の音で家中のガラスがカタカタと震える瞬間がとても好きだ。

東京よりも風が強い、気がする。風が吹くと一斉に葉が揺れてものすごい音が鳴る。
東京よりも月が強い、気もする。周りが暗いので月明かりがこんなに明るかったのかとギョッとする。花鳥風月とはよく言ったものだなあと感心してしまう。

生まれてからずっと、東京の、東京の中でもさらに狭い部類の部屋にしか住んだことがなかったので。高校の時、友達ほとんどできない中、やっとすごく仲良くなった後輩に、今度家行っていいすかとか言われちゃってうれしくなって連れて帰ったら、え!先輩って苦労してたんすね。俺誰にも言いません、て言われて家に上がってももらえず帰られて、次の日あんな汚い家入れねーよと陰口叩かれるような実家で育ったので。

門があって庭があって裏庭もあって小屋もあって納戸もあって勝手口もある二階建ての一軒家、猫2匹、犬1匹、人間2人が暮らして、それでもまだ部屋が余っている状況に心と体が追いつかない。家の中に使わなくてもよい部屋という余白があって、電気が消えていてしんと静まり返っている、という贅沢な闇、がなかなか体に馴染まず、ソワソワしたりウロウロしたり、急にはたと立ち止まったり。なんだかずーっとよそのお宅にお邪魔してる居心地のまずさがある。しかしこの、自然に囲まれた奇妙なハコ庭にあるよそのお宅、という日常と非日常がないまぜになったような感覚が、なんだかとても心地よい。

今年、突然世界中の人が強制的に家に閉じ込められて、人を閉じ込めるのが商売なのに、閉じ込められに来てくれる人がパタリといなくなってしまったばかりか、自分もしっかりと自宅に閉じ込められてしまった。けれど自分にとってはその期間が、とんでもなく快適で楽しくて心踊る「生活」だった。

毎日山道を歩いて、ときどき海まで行って、近所の子どもと仲良くなって、犬と散歩して猫をなでて犬と庭でじゃれてまた猫をなでて犬と台所で遊んで猫と眠って猫に起こされても起きなくて犬に起こされて起きて。朝には昼の昼には夜のそして夜には明朝の献立を考えながら川にホタルを見に行く。

職場から家まで正味2時間かかってでも、ここで「生活」をしていこう。鎌倉に越してから生まれて初めてそう思っていたのだが、外出自粛のおかげで、その生活というものがより濃くなった。悪いことばかりじゃないなあと思う。

これから先もこのハコ庭に閉じ込められたような鎌倉で生活を営みながら、今までよりももっと激しく人々を閉じ込めて楽しんでもらう場所を見つけてつくっていこう。そう思いながら今もまた猫をなでています。
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