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凍結胚を捨てられない私

「もう妊娠を望まない場合は、『凍結胚廃棄願』にサインしてください」
という手紙が、数年前まで不妊治療に通院していた病院から届いた。
届いたのは年明け間もない頃だったと思うが、もう半年以上も家で寝かせたまま、机の重要書類の山の間に紛れている。

不妊治療のおかげで2人の娘を授かり、今年で45歳を迎える私には、
現実を見れば次の妊娠は厳しいとはわかっている。
子供二人授かる前提で建てた家の間取りも、もしあと一人増えたら手狭になるし、年齢的にも体力的にも今からまた妊娠に向けて頑張るという感じにもならない。
でも、なんとなくサインをするのに抵抗があるのはなんでだろう。
「凍結胚」はまだ人間の形状をしているわけではないし、
ただの「人間になるかもしれない可能性を秘めた卵」ではある。
でも、やはり、卵子と精子によって分割を始めた胚ということは、
生きる力を宿しているということであって、
それを廃棄することに対して、罪悪感というか中絶に近い感覚を感じてしまうのは私だけだろうか。

「凍結胚をどうするか決めてください」とかかってきた病院からの電話。
「凍結胚を捨てることに何故か抵抗感があるんです」
と伝えると、
電話口の医療事務員さんと思われる女性は、
「そうおっしゃられる方多いですよ」
という。
「捨ててしまうならいっそのこと子宮に戻して、もしそれで妊娠したらそれが運命だったのかと思って産みます」
っていう人もわりといるのだと。

結婚する、しない決断
産む、産まない決断
不妊治療をする、しない決断
凍結胚を捨てる、捨てない決断

仕事の判断だけじゃなくて、
生殖にまつわる判断とか
人生の岐路となるような判断は
何度も何度もやってくる。
私は何事も俯瞰して見るようにしてるし、心乱されることはないけれど、
なんだかこの「凍結胚廃棄」については
どうも廃棄願いを書いて投函するという行動ができないままでいる。

そんな私が、
今日の朝、「凍結胚廃棄」にサインした。
旦那氏にもサインをお願いした。
ただ、これをいつ出すのかだけはまだ決めていない。


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