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「とことん信じ切れ。」


映画・「ミスト」を観た。

ある嵐の翌日、スーパーへ買物に出かけた父子。

そこで目の前が見えないほどの濃い霧にスーパーが覆われてしまい、父子含めた買い物客と店員は缶詰状態になってしまう。

霧の中からはモンスターが現れ人を襲い、

店内にいる熱狂的な宗教信者は人々の不安を煽ってくる。

極限状態の人間の心理状態を映したホラーミステリー。

鬱になると言われるラストはかなり衝撃的で考えさせられる。




(※いつものようにネタバレ含む。)




俺はこの映画を観て

どんな状況でも希望を持つこと

そして

どれだけ信じきれるか?

が人生を決めると思った。



子どもを家に置いてきて放っていられないと最初に店内から飛び出た母親は助かった。

どうなったのかは映していないけど店内に残り宗教信者側についた人たちも恐らく助かったと思う。



でも、最終的に店内を飛び出し主人公である父についていった4人は死んでしまう。

それも、モンスターに殺されたのではなく、絶望しかない現実に諦めがつき死ぬことを決めてしまう。

しかし、最後に父が残り死のうとしたところで霧が晴れ、救助に来た軍隊が到着し状況が良くなったことがわかってしまう。

そう、父は自分以外の4人が死んだところで現実にはまだ希望があることを知ってしまう。

ここが衝撃のラストと言われる所以。



この映画からわかることは

希望を持てない人間は死んでしまうということ。

さらに、間違ったものを信じる人間も早々と死んでしまうということ。



希望を持てない人間が死んでしまうのは何となくわかる。

そういう人間は生きる気力がなくなり主人公たちのように自ら死ぬことを決めてしまうからね。

もちろん、自殺するまで追い込んだ何かが悪いわけだから自殺した人を責めることはない。

この映画以外にも名著「夜と霧」を読めば、

地獄のような状況でも生き残った人には希望を持っていたことがわかり、希望を持つ持たないの差は本当に重要なことだとわかる。



ただ、間違ったものを信じる人間は早々と死んでしまう。

これは結構難しい。

というか、何かを現在進行系で信じている最中にはわからないことだ。

痛い目をくらった後や死んだ後、若しくは死ぬ寸前に間違っていたかがわかるくらいだ。



じゃあ、何かを信じるときにどうすればいいのか?


少し疑ってかかったほうがいいのか?

中途半端に信じるものをいくつか持って保険をかけたほうが良いのか?

正直、別にどっちでもいいんだけど

それより何かを信じるときはとことん最後まで信じ切ると自分で腹を決めることだ。


だって、上述したように信じるものが間違っていたかなんて今はわからないでしょ。

だったら信じるものを疑うより中途半端に信じるより、思いっきり信じ切ったほうが良くない?

そっちの方が余計なこと考える時間が少ないし、間違ったとわかっても後悔は少ないでしょ。


結局、何かを信じ切れないってことは自分を信じ切れていないってことなんだよ。

何かを信じる自分を信じれないってことなんだよ。


もっというと、結果として何かが間違っていたとしてもそれを信じていた自分のことは信じることはできていたってことでしょ。

そっちの方が良くない?


自分のことを信じれない奴が、ブレた奴が自分の人生を送れるわけないでしょ。


信じるときはとことん信じ切れ。

それは自分を信じることと同じことだ。



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