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いつだって心に、小さな怒りを

「あの時、池野ちゃん珍しく怒っていたわよね」といまだに言われる出来事がある。つい最近も言われてしまった。長年一緒の部署で働いていた同僚が異動すると聞いて挨拶しに行ったら、思い出したようにそう言われ、私は「そんなこともありましたか〜」とへらへらするしかなかった。確かに私はかつての上司にブチギレ案件をかましたことがあって、多分会社で怒りを露わにしたのはそれっきり。基本的にはおっとりキャラだと思われているようで、だからこそ、その一回のインパクトが凄かったみたいだ。恥ずかしい黒歴史。ほんと、お願いだから思い出さないでほしい。

それはちょうど5年前、当時の上司が一週間くらい平気で仕事を休んだ挙句、会社に出てきて残された仕事の山を見た途端、みんなの前で「私のせいで仕事がこんなだ」と言われたのがきっかけだった。当時の私は役職者でも管理者でもない、ただ少しベテランというだけの平社員で、そんなこと言われる筋合いはなかった。そこをちゃんと自分でもわかっていれば、少しは落ち着いて対応出来たのかもしれないが、自分がやるべきことをやらなかったと責められた気分になってしまい、(本来であればマネジメントは私の責務ではないはずなのに)そこで怒りが爆発、それまで「いい子ちゃん」で通してきたのに、上司に詰め寄ってしまった。あの時を振り返って、あの怒りは間違っていなかったと思いながら、それでも怒ってしまったことは恥ずかしい。今はアンガーマネジメントとか、怒りでさえ、自分でコントロールしなくちゃ大人失格なのだ。私は、既に一回バツがついてしまったのである。それ以来、職場で怒りを露わにしたことはない。あの時の反省を踏まえて、である。怒ってもいいことってあんまりない。周りにぶちまけてもスッキリするわけでもないし。残ったのは、思い出せばいつでもついてまわる苦い後悔の味と、「あの人の怒ったところ、私は見たことあるのよ」という天然記念物みたいな扱いと、人様に珍しいものを見たというインパクトと優越感を与えたという、それだけ。

私は怒りのコントロールに一回失敗した。そのせいで今でも「あの時怒ってたわね」なんて言われて、その度にダメ人間の烙印を押されたような気になっていた。でも少なからず、人は怒るんだよって言いたい。それを表に出すか、うちに留めておくか、うまく吐き出せるか。その微妙な差があるだけで。私なんて、常に小さく怒っている。私は、自分が「おっとりしている」とか言われるのは、自分の生来の気質のおかげだと思っていたけれど、きっとそれは違う。これは技術だ。自分の中の小さな怒りを隠すために、今までの人生で培ってきた技術と経験の賜物で、おっとりしているように見せたほうがより良い関係性を築けそうだからそうしている。みせかけのおっとりなのだ。だから、まじ「珍しく怒っていたわよね」なんていうのは的外れだ。私は常に、怒っている。大なり、小なり。

そういうせめぎ合いが私の中にあるように、他人の中にもあるのだ。自分のことばっかりで忘れがちだけど、みんなの怒らないよう見せているその技術力により、世界がそれなりに平和であること、そしてそれに甘えすぎないようにしたいと思っている。自戒も込めて。

一度はサポートされてみたい人生