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かっこわるい私を見つけて

世の中の人のほとんど、平然と生きていてすごいなぁと思う。私なんて、大体いつもカッコ悪い。最近はお昼近くなるとお腹がぐーぐー鳴って仕事に集中できないし、常にお腹が痛くならないかびくびくしているし、咄嗟の冗談に対応できなくてフガフガ空気を噛むだけで気の利いた一言も出てこないし。それに比べて、周りのみんなは堂々としていて小粋なジョークを飛ばし合い笑い合い、トラブルにも平然としていて、なんかかっこいい。不公平である。

でもそんな私も周りから見たら「平然としている人」らしい。ある時上司から「池野さんは、頑張ってるアピールランキングで言ったらワーストに入るね」と言われた。淡々としてて偉いねって意味なのか、ただ損してるよって意味なのかよくわからないけど、私の心の中のゴタゴタは他人には案外伝わっていないものなんだなと思って、ちょっと安心した。

ただ最近、私って実は「察してくれ」と甘えていただけなのかもしれない、と思うようになった。思えば自分から「今、私大変です」と口に出したことがない。そういうことを簡単に言ってしまったら、自分に価値がないと思われるんじゃないか。そう思っているから、仕事は断れないし、自分のキャパがよくわかっていない。自分の大変さを定量化できて自己申告する人と、もう決壊寸前なのに溜め込む人、私は明らかに後者で、どんなに大変でも周りに悟られないようにするのが美徳だと思い込んでいる。

でもその反面「気づいてほしい」のだ。カッコ悪いと思われたくなくて必死に隠しているのに、そのくせ他人から自分が本当はカッコ悪いし頑張ってるってことに、気づいてほしいと思っている。職場で急に倒れたり、急に1年間休みますとかいって休んだらみんな気づいてくれるかな?なんて妄想をたまにしたりして、そんな縁起でもないことを、なんて思いながら、結局今日もごまかしごまかし働いて帰ってきた。

帰り道聴いた星野源さんのラジオで、彼が「自分にできるのは音楽と芝居で、お腹が弱くて毎日通勤電車には乗れないから、サラリーマンになる選択肢は無かった」みたいなことを言っていて、そういう生き方もあるんだなと思った。カッコ悪いところを認めて、それを避けるような生き方。私は音楽も作れないし芝居もできないから、通勤電車に乗る選択肢しかないけれど、カッコ悪いところを自分で認めてあげられてたら、他の選択肢もあったのだろうか。

なんて思いつつも、いや星野源がなれなかったサラリーマンをやっている私も充分すごいよなと思うことにした。自分の頑張りを自己申告できない&察して欲しくても誰にも察してもらえないのであれば、自画自賛するしかないからね。






一度はサポートされてみたい人生