見出し画像

【イタリア】坂本龍一逝去の報道で何を伝えたのか…

※ 想いが強すぎです長文になりました。

日本では桜の満開を迎え、春の麗らかとは裏腹に
いたたまれない訃報を聴いてどうも体調がすぐれない。
今朝の澄み渡った青空を見てもただただ心が苦しい。

一視聴者であるだけなのに、ここまで傾倒していただなんて。
あなたにとってはどのような存在だったのでしょうか。

私は1983年生まれなので、YMO全盛期の頃は知りません。
それ以降のテレビに出演する姿を追いかけてきました。

「コンピューターおばあちゃん」(81) を聴いて育ち、
ダウンタウンとのコラボ「Geisha Girls」(94) は衝撃的でした。
中谷美紀と出したCD「砂の果実」(97) もいまだ覚えています。
ウラBTTBの「Energy Flow」(99) は友だちが中学の音楽室で演奏してくれて、
あの時の風景や吹奏楽に夢中になるシーンは、
再び聴くことで鮮明に思い出しました。
インストゥルメンタルでミリオンセラーを突破したことも前代未聞です。

2016年には、レオナルド・ディ・カプリオ主演の
映画『レヴェナント: 蘇えりし者』を見て、
耐え難い悲しい結末に呆然としましたが、
エンドロールで坂本龍一の名前を見つけた時に、
音楽と共に彼に救い出してくれました。



今回の訃報は、日本だけでなく海外で伝えられました。
もちろんイタリアにとっても、縁深い重要な日本人でありました。


イタリアで報じられたこと


各社の記事から気になる部分を抜粋します。

Corriere della sera


Nato a Nakano nel 1952, e considerato uno dei primi sperimentatori tra la musica etnica orientale e i suoni elettronici dell’Occidente…

「坂本龍一がオスカーを受賞した『ラストエンぺラー』のサウンドトラック」

1952年中野生まれ。東洋のエスニック音楽と西洋のエレクトリックサウンドを生み出した最初の実験者…

TODAY.it

… per il suo lavoro come artista solista e come membro della Yellow Magic Orchestra. Il suo primo lavoro cinematografico di rilievo, "Furyo" di Oshima Nagisa…
in questo film Sakamoto ha esordito come attore, rivelando doti non comuni mentre, racchiuso in una maschera gelida e morbosa, si contrappone sul grande schermo a David Bowie (coprotagonista del film).

『ラストエンペラー』でオスカー受賞の作曲家 坂本龍一逝去

YMOのメンバーとしてキャリアをスタートしました。最初に携わった重要な映画は、大島渚監督の『不慮(戦場のメリークリスマス)』。…
この映画では、初めて俳優を務め、異常な才能を明らかにしました。氷のように冷たく異常さを含む表情は、共演者のデヴィッド・ボウイを大画面で対抗させました。

ANSA.it

Sakamoto aveva ricevuto numerosi riconoscimenti in carriera tra cui ilpremio Oscar nel 1987 per la colonna sonora del film L'Ultimo imperatore, diretto dal regista italiani Bernardo Bertolucci.

Fortissimo il suo legame con la Natura e così' lo tstunami e i disastri a catena di Fukushima lo segnarono profondamente, diventando un punto di svolta nella sua vita e nell'arte facendolo diventare un attivista.

E fu proprio durante le riprese del documentario sulla sua vita (mostrato Fuori Concorso alla Mostra del cinema di Venezia 2017), che il grande musicista scoprì di avere un cancro alla gola, l'inizio di una lotta contro la malattia che nel gennaio 2021 aveva colpito il colon nonostante anni di trattamenti.

さようなら 日本の作曲家 坂本龍一

イタリアの映画監督 ベルナルド・ベルトルッチによる『ラストエンペラー』で得た作曲賞のオスカーを含む、数々の賞を獲得してきました。

「自然」への絆が強いことから、津波や福島の惨事は彼に深い傷跡を残しました。ここで方向転換し、芸術家であるとともに活動家にもなりました。

彼の人生を追ったドキュメンタリー映画(2017年のヴェネツィア国際映画祭のアウト・オブ・コンペティション部門)では、中咽頭癌であることを発見。2021年の始まりは病気との戦いでした。

la Repubblica

Ryuichi Sakamoto ha attraversato da compositore tutto lo spettro del panorama musicale, superando confini e generi, una carriera sempre proiettata verso il futuro. Con la Yellow Magic Orchestra negli anni Settanta e nei primi anni Ottanta ha gettato le basi del synth pop e dell’elettropop.

All'inizio del 2023, Sakamoto ha pubblicato 12, un album di pezzi minimalisti, alcuni dei quali contenevano anche il suono del suo respiro instabile durante le cure, una riflessione in musica del suo senso di caducità.

71歳の日本の作曲家 坂本龍一死去

坂本龍一は、音楽史に精通し、脅威の作曲家として国境とジャンルを超え、未来に向け投げかけながらキャリアを築いてきました。70年代から80年代初頭にかけて、YMOによるシンセポップとエレクトロポップの基礎を生み出しました。

2023年になると、坂本氏はミニマルなアルバム『12』を発表。いくつかの楽曲の中には、治療中の不安定な息をする音が含まれ、もろさを反映しています。


テレビのニュースでも、イタリア全土で放送されました。
一部を切り抜きましたので、ぜひご覧ください。


※ Ryuichi という発音は、イタリア語では読みづらく、
リューイキとアナウンサーは言っています。


イタリアにおける坂本龍一


音楽家として

ほとんどの記事でYMOのことが書かれています。
深い説明をするわけでもないのは、
コンピューターゲーム』という音楽の流行に関係しているのかもしれません。
この時代を知らないことと、chatGPT が
イタリアで利用できなくなったので知る由もありません。


1983年『戦場のメリークリスマス』は、
イタリアでは『Furyo:不慮』というタイトルで呼ばれています。
デヴィッド・ボウイとの共演や物語から
話題になった作品と言えます。
同様に使われたサウンドトラックも有名な音楽へと成長しました。

かつて日本では、イタリアからの音楽は「カンツォーネ」と呼ばれ、
日本の歌詞に変えて親しまれた時代がありました。

ですが逆に、
日本の音楽がイタリアで拡散した例はありません。衣服住や文化など様々な文化が行き交う中、
未だ成功していないのが、音楽の世界だと思います。


しかしたった一人、
坂本龍一は唯一名の知れた日本人音楽家です。
「Sakamoto」という名はある一定の年齢層以上なら
聴いたことがあるはず。
田舎町に住む夫でさえも名前と音楽は口ずさめるほど認識しています。


映画音楽家として

また、イタリアにとっては、映画音楽と密接に関係しています。

監督ベルナルド・ベルトルッチと合わせて
各社の記事で紹介されています。
巨匠は「東洋の三部作」を連続で作り上げました。
『ラストエンペラー L'ultimo imperatore (The Last Emperor)』(87年)
『シェルタリング・スカイ Il tè nel deserto (The Sheltering Sky)』(90年)
『リトル・ブッダ Piccolo Buddha (Little Buddha)』(93年)
それぞれの作品で、坂本龍一は音楽を任されました。

いかに、期待・注目された人物だったのかが分かります。


その後、ベルナルド・ベルトルッチ監督が亡くなった時に、
奥さんに当てた追悼音楽のエピソード、
何度となく訪れていたイタリアでの話題も書かれていました。

また、環境や政治にメスを入れる活動家としての一面も綴られ、
偉大な人物が亡くなったことを報じています。

ここまで大きく取り上げられた日本人は、
今までにいなかったでしょう。


いくら才能があっても、世界で通用する人というのは、
別格の運を持ち合わせている。
やはり、坂本龍一は選ばれし人でした。

R.I.P

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?