![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/108764412/rectangle_large_type_2_0eab0b9a009bcfea79ae11e9441c6c10.jpg?width=800)
【イタリア】ベルルスコーニ死去2日後の国葬と崇めスポット
6月12日のイタリア元首相の訃報は、
瞬く間にイタリアを揺らしました。
直後のインスタでニュースに対するコメントを見ていると、
大半が感謝、嘆きを表しているのに対し、
残酷にも、やれやれと言う人も少なくありませんでした。
半径5mにいるイタリア人に質問しても、同じような状況です。
しかし、あまり好きじゃなかったからといって、
死を喜ぶべきではないし、笑ってはいけない。
という声ももちろんありました。
テレビをつけると、ベルルスコーニが創設した局やその系列は
こぞって賞賛するスポットを出しています。
CMに換算すると何千万円ほどの額になるでしょう。
ちなみにこのようなものです。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/108647411/picture_pc_3afc66b93d762cc3174b8ba778c1166c.png?width=800)
親愛なる我らの父
人生を捧げてくれてありがとう
愛情をありがとう
常に私たちの中に生き続けることでしょう
イタリアの法律では、元首相は国葬を執り行うことが義務のようです。
反対する意見がそもそもない。国家の行事となっています。
義務でなくても、通算9年余りの任務や政治家としてのあゆみ、
実業家としての功績など、国葬を行うに値する人物だったとは思います。
何より驚いたのが、亡くなった直後に執り行われたこと。
わずか2日後
ですよ。
エリザベス女王の時は11日後、
安倍元首相は2ヶ月後でした。
もちろん、突然のことで何も準備はしていなかったはず。
最短でもこのくらい準備が必要だったことが分かります。
ベルルスコーニの場合
入退院を繰り返していたこともあり、
各メディアでは「Xデー」に向けて予め素材を作っていたことでしょう。
このあたりのことは、かつて勤めていた局の先輩から
ある人物のXデーについて訊いたことがありました。
だから、上記のスポットも事前に作っていたはずです。
壮大な国葬
出身地であるミラノのドゥオーモ: 大聖堂で行われました。
祭殿に向かって右側に親族、左側には大統領や首相など
政治家を最前列に、関係があった著名人など2000人が参列しました。
この模様は生中継が行われました。
私は式が始まる前の、霊柩車が移動する空撮の映像から見ました。
街の中を走り抜ける車両の列は、道路を封鎖し、
両側には見守る人や拍手を送る人々がいました。
そして、大聖堂前の広場には、応援者や会長を勤めたACミランのサポーターら
およそ15000人もが駆けつけたようです。
日本政府からは、岸田総理大臣の特使として、
日本・イタリア友好議員連盟の会長を務める
自民党の甘利前幹事長が参列したようです。
大規模な国葬は、計算され尽くされていました。
大聖堂でもどのような流れになるのか、見せ方、
捧げる歌、座席表など全ての段取りが細かく時間配分されていたはず。
さらに、警備する警察やイタリア軍ももちろん、市役所も全てが
Xデーのために完璧な想定をしていたことが伺えました。
もしかすると、メディア王であるベルルスコーニは、
自分の葬儀をプロデュースしていた可能性も…
あるかもしれません。
2日後に、何があろうと執り行う実行力。
そう考えると、悲しみと衝撃に揺らぐイタリアを
厳かな雰囲気を持って、一点に集中させた…
ベルルスコーニの策略だったのかも。と思える。
いやいや、これで終わりではないかもしれない。
先を見据えたプロジェクトがありそう。
さらなる他局の買収やベルルスコーニ記念館設立なんて
死後もイメージアップに繋げる計画があってもおかしくない。
あくまでも現時点の予想です。
今後、変化がありましたら追記します。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?