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湧き上がる同学年の強み

存在しない日本人の会


14万人の小さな街に住んで、8年が過ぎた。

この街に、14人しかいない日本人とは、
半年に一度出会うくらいで、ほぼ見かけない。
コミュニティもなければ、日本語学校もない。

コロナ以前は、友だちとその友だちと一緒に、
モーニングに誘われることがたまにあった。
これも半年に一回のペースで、
ただダラダラ喋って、情報交換して
一緒に時を過ごすというもの。
思い切って日本語を話すことで発散できた。

もうしばらく会っていないし、
元気にしているかどうかさえ知らない。
snsで繋がっているのも、ひとりだけ。
そこに寂しさはなく、この距離感でちょうどいい。


友ストーリーは突然に


先週、ひとりの日本人女性からメッセージが来た。
「初めまして…」と始まる。
イタリアのブランドバッグ転売を手伝う仕事の依頼か、
怪しいビジネスの類いかと思ったが、
写真を見る限り若そうだったので、開いた。(失礼)

すると、
半年前に、この街に引越ししてきたとのこと。
たまたま入ったパニーノ屋で、日本人である私の名を上げ、
「連絡してみなよ!」ということで送ってきた。


海辺に、パニーノ屋は数えきれないほどあり、
この日本人女性が入った、隣にも、その先にも並ぶ。
なのに彼女は、偶然にもこのお店を選んだ。

ここは、夫が独身時代から知る、
アフリカ出身の友だちの、彼氏が営むお店。
このカップルとは、何度となく食事しているし、
会っているし、私の勤めるレストランにも来てくれるし、
私たちもパニーノをよく食べに行くほど仲がいい、
何かあれば、お互いに助け合っているカップル。

いろんな偶然が重なったこともあり、
連絡をもらってすぐ会うことを決めた。


偶然は濃い縁へ


出会いは、偶然の方が長続きする傾向にある。
これは私の持論だが、いつだってそうだ。

インストラクターとの出会い
会社員時代に、先輩と通い始めたジムでのこと。
女性インストラクターにマシンの説明を尋ねたら、意気投合し
もう一人のインストラクターも加わり、さらに会話が弾んだ。
その後、ジム以外で会うことが増え、
ある夏には、友だちの帰省にみんなでついて行った。
もう一人とは、ラジオ局で仕事をしてもらう仲になり、
この二人とは、今でも連絡を取り合っている。

フィレンツェマニアとの出会い
フィレンツェ留学時代に、旅行で訪れた人を
貸しアパートで出迎えるというサポートをしていた。
そこで、親くらいの年の女性がやってきた。
ただ迎えた一人旅の旅行客のつもりだったが、
街を案内したくなり、彼女との交流が盛んになった。
それから、毎年、イタリアか日本で会う時間を設けた。
コロナの影響で来れていないが、手紙のやりとりを毎年行っている。

イタリア人画家との出会い
イタリア人の友だち作りには苦戦している。
彼らが持つ、いくつもの外国人友だちの一人ではなく、
一個人として付き合いたかったが難しいものだった。

数年前、家の近所を歩いていると、
着物の女性を描いたキャンバスを持った女の人がいた。
珍しい絵画に、思わず声をかけてしまった。
すぐに連絡先を交換し、また会おうと言ったが、
日本に帰国したり、バカンスに行ったりで時間が過ぎた。

半年ほどして、連絡を取リヴォルノ、カフェで会って話をしてみると、
とても気さくで、拙いイタリア語でも耳を傾けてくれ、話しやすかった。
ここから彼女とは頻繁に連絡を取り合うようになり、
子どものアートスクールを主宰していることから、
折り紙先生として、活動する場を設けてくれた。

そして、最大の絆は、
かつて私が流産をした時に、夫が付き添えない日は、彼女が来てくれた。
送り迎えも、先生に話を聞く時も、辛い時もそばにいて慰めてくれた。
「私は、あなたの姉だと思っているから、何でも話してね♡」と
何度も愛情をもらった。この恩は、常に返していきたいと思っているが、
それ以上に、彼女は私を楽しませてくれる。


歳を気にしないイタリア


学生の頃から、年上の人と接する機会が多かった。
高校生で市民吹奏楽団に入ったことや、
ラジオ局の同僚も皆年上で、それが自分でも心地良かった。
上記した人もやはり、みんな年上。

イタリアへ語学留学にくると、20代でやってくる若者は多く、
社会経験を積んで来ていたのは、私を含め数人と少なかった。

少し年上であるだけで、きちんとした振る舞いをしなくては、
と、誰にも求められてもいない試練を、自分に課していた。
同期生なのに、先輩ヅラも甚だしい。


イタリア人夫と結婚して気づいたことがある。
夫の友だちは、みんな歳がバラバラだった。

日本なら、子どもの頃は、友だち姉妹ともみんなで遊んでいたが、
学校へ行きだすと、同級生以外とは付き合わない。
そのまま大人になると、まず歳を聴いた上で、
敬語を使ったり、敬う文化がある。


が、イタリアにはそれはない。

レストランで接客している時、少し年上だからと言って、
敬語を使うと ”失礼”  に当たることと注意されたこがある。
正確に言うと、あんなちゃらけた年上の人たちに、
敬語を使う必要はない!敬語を使うのは、親世代の人以上。

だから、少し年上だから使うと、「年寄り扱い」されたと気分を害する。
彼らは、フレンドリーを重要視する。
もちろん、接客をしてくれる相手には、基本的に敬語を使う。



夫の友だちのように、年齢を気にせず話しができると、とても楽。
音楽・スポーツ・バイクなどの趣味によって、意思疎通できることが
最高な休日の過ごし方なのかもしれない。
彼らにとって、年齢は二の次だった。


同学年という事実


連絡をくれた日本人女性のことは、名前と住所を伝えるくらいで、
多くは語らず会うことにした。
その理由に、年齢も基盤も何も知らない人と会話するのが
面倒だったからとも言える。日本の尊敬語や言葉選びは、
意図せずして傷つけることがあるから。

待ち合わせに行って、実際に顔を見てみると、
同じくらいの年齢かな?と感じた。
イタリアにいることだし、「敬語はなしにしよう!」と伝えた。
でも、話をしていく上で、年代に差がないことが分かり、
彼女が質問をしてきたので、年齢を答えると、
まさかの同学年だった。

そこから、隔てていた先輩かもしれないという
見えない壁が取っ払われ、どんどん話が進んだ。
アメリカに住んでいたことを聴いて、イタリアとの比較を教えてくれた。
それから、医療のこと、子育てのこと、住いのことなど、
尽きることのない話題に声が枯れそうになった。

どうして、歳が同じというだけで、
安心感のような気楽さや
知り合いに近い感覚があるのだろうか。
もっと、誰もが持つべき感情なのに。


今年の占い


近年、もっと金運がよくなるようにと、
新年になると占いをチェックしている。
今年は、下半期の運勢が下がるらしい。
その分、前半に「良い出会いがある」と書かれていた。

これだ!

しかも、向こうからやってきた!
まだ会って一回目だけれど、次に会う約束もしたし、
一緒に家族ぐるみで出かける予定までしたほど。
お互いに好感を持てたのが伝わる。

成功する人は、レスポンスが速いし、行動も素早い。
その言葉を思い出させた縁に、すぐ返事をして良かった。

何でも話あえる人に出会える機会は、
大人になると、そうあるものではないと思う。
彼女が滞在するイタリアの歳月が明るいものになるよう、
できるだけサポートしたいと思う。
まるで同級生が遊びに来た時のように。

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