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ねぇアベちゃん。ボクは元気でやっています。

あの頃のボクは25歳だった。雲の上の存在とはいえ第一印象は特別なものでは無かった。少々気難しそうなオッさんだと思ったよ。偉大なレーサーに失礼かと思うけど。

独りはいいよ。気楽で」

ニヤって笑ってたね。レーサーを引退してから漁師になって、家に月一回くらいしか戻らないってさ。まるで浮き草のような船上生活は自由に見えたよ。そして、ビールとタバコを愛する「漁師姿」も似合っていた。

その頃のボクは会社員で、いつも「何か」の板挟みになっていた。クライアントと社内スタッフだったり、上司と現場だったり、会社と外部スタッフだったり。「訳の分からん」モメごとも日常茶飯事だった。もちろん楽しい事もあったけど、つらい事も同じ量以上にあったのは間違いない。

あの頃「何か」を掴もうとモガいていた。モガいても、モガいても先は見えない。そのうち手に蕁麻疹が出たり、原因不明の咳が止まらなくなったりした。残業時間は月120時間は当たり前で、ヒドい時は180時間を超えた。大型のイベントやプレゼンが重なると、月200時間に達する。そうすると、だいたいの場合「心身全部」が壊れる。翌月は「ぼぉーっと」して、ほとんど使いものにならなかった。

そんな時「アベちゃんは、今頃どこで漁をしてるのかなぁ」と思って、ビルの隙間から空を見ていたよ。アベちゃんは、ボクにとって「自由の象徴」で尊敬する先輩だったしね。だってもの凄く歳の離れたオートバイ・レースの英雄を、友人と思うには憚られたから。

GWの頃になるとカツオ漁の季節。黒潮にのって太平洋側をカツオが北上してくるから。アベちゃんがカツオを追いかけて行く。ボクは有給をとってアベちゃんを追いかけて行く。

アベちゃんは船舶電話やケータイ電話がキライだった。だから漁協に電話して探したよ。「カツオ」←「アベちゃん」←「ボク」の追いかけっこ。ボクが追いかける事はあっても、逆は無かった。今考えれば、アベちゃんなりに気を遣ってくれてたのだと思っている。

アベちゃんは「ケンケン漁」という手法を師匠から学んだって言ってた。紀伊半島の小さな漁港から四国沖まで一緒に漁に出たのは忘れられないよ。夜明けに吹く陸風にのって、エンジンはかけずに帆だけで静かに沖へ出て行く。港を出ると、波は船よりも大きい時もあった。

漁師は「運・根(気)・勘」だと言ってた。素人のボクからみても、あまり上手では無かった。大漁旗を立てるほど釣れる時もあったけど、まるっきり釣れない「坊主」の日も多かった。

自分たち用のカツオをさばいて船の上でビールを飲みながら、擦った生姜と一緒に食べる。船の上で食べるカツオは、都会の空気で食べるのとは全然違う「本物のカツオ」でした。あれ以上のカツオはまだ食べたことがない。

アベちゃんはボクの愚痴を「バカだねぇ」と言ってニヤニヤしながら聞いてくれた。そしてボクが酔った時に限ってポロっと「名言」を言う。だけどボクは気持ちが緩んで潰れて船倉の小部屋で寝てしまった。起きた時にその良い言葉が「何か?」思い出せないんだよ。そんなボクの事をいつも笑い飛ばしてくれた。だけど、そんな長閑な時間も長く無かったのが残念でならない。

何度も倒れたね。肝臓がんと糖尿病を併発しているから中々治療が難しかったって聞いたよ。でも見舞いに行くと、いつも通りにケタケタと笑いながら元気そうだった。

かりんとうを食べていたら、怒られた」

ベッドの下に隠していて、夜に食べていたら看護婦さんに見つかったんだよね。病室を勝手に抜け出してパチンコ屋にも行ったって聞いた。やっぱりアベちゃんは漁師じゃなくて、死ぬまでレーサーなんだ。うわべの言葉じゃなくて「本当の死」と隣り合わせに生きていた。アベちゃんの生き様はボクには真似できないし、どんな表現も嘘くさくなってしまう。

「本当の絶望を超えるから、本当の希望が見える」

その言葉は忘れられないよ。最後にお見舞いに行ったあと、ケータイ電話が繋がらなくてもあまり気にならなかった。だってまた元気になって会えると信じていたから。でもね。ボクは仕事に忙しかったから気づかなかっただけかもしれない。いや本当は「何か」を追いかけるのに夢中になってたんだ。それは今でも後悔している。もっと話したい事が沢山あった。大事なものを見失っていたんだよボクは。その事に気がつくのが遅かった。まぁ。今なら笑って許してくれると思うけど。

お通夜は満員だった。でも親族席の向かい側へ「この列に座ってください」って奥さんに案内された時はビビったよ。だってその席は往年の名選手ばかりで、隣はタイヤメーカー開発部長だったから。

忙しかったからお通夜から一回東京まで戻って、翌日また本葬に出た。本葬は、漁協や町内会と親族の方々ばかりで静かでした。アベちゃんが灰になるまで待っている時に、独りでぽつんと座っていたんだ。そしたらさ。奥さんが横にきて話してくれたんだよ。

「ねぇ。あなたの事ばかり言ってたのよぉ。まだ来ないのかって。ずっと、ずっと」

その時に全部わかった。亡くなる直前に何故ボクのケータイに電話してきたのか。アベちゃんごめんね。もっと早くに行けばよかった。ケータイに電話がかかってきたのなんて初めてだったから「あれ?」とは思ったんだ。

その話を聞いた後もう何も見えなくて、ボロボロと涙が落ちてたのに気がついたのは、ずいぶん後だった。

「走ってみればいい。走ればわかる。走るだけだよ」

ねぇアベちゃん。ボクは馬鹿だから、走らなきゃわからないよ。だからまた走ろうと決めたんだ。今も走り続けている。バイクを自転車に変えて自分の脚でね。

天国でもパチンコ屋に行ってるのかな。ボクがお墓参りに行くときくらいは戻ってきてね。ケータイは繋がらなくても、天国からなら見えるでしょ。だから「あの世で待ってる」なんて言わないで、お墓でお会いしましょう。大好きなビールを持っていくから。そして最近の世相を伝えるよ。天国にもネットが繋がってメールが届くかもしれないね。まぁこちら側からは、わからないけど。

年号は令和に変わったんだ。世の中も随分変わっちゃって、若者は口で喋らないでスマホに文字を入力して会話をしている。チャットっていうんだ。代りにお風呂とか、湯沸しポットとか、機械がお喋りになってる。

それから、オートバイに乗るのは中年ライダーばかりで、若者はネットに夢中なんだよ。本もマンガもスマホで読むんだぜ。あ。そうか。知ってるかな?ガラケーの後にスマホってのが出て来たのです。「嫌な時代になった」ってアベちゃんなら呟くかな。

そうそう。今は「つぶやく」のもSNSってスマホの画面でやるんだ。みんな忙しそうにしている。目も見ないで会話するのも普通になってるしね。アベちゃんなら、ドついてるかな。

それで、大切なものが消えて行ってしまいそうなんだ。ネットには、匿名だから呟ける「罵詈雑言」が溢れていて、ヒトは傷つけあっている。ハックと言って短く全てを伝える事が「良い事」なんだ。なんせ、読み切れない程の情報が溢れていて、誰もそれを止めようがなくてさ。

高度成長期の夢ばかり見せてもらったボク達には考えさせられる事ばかりだよ。だって混乱がずっと繰り返されているんだ。ヒトはあんまり成長しないね。ボクもなんだけど、なんだか複雑な気分です。

ここで過去に戻って懐かしんでみても、アベちゃんは喜ばないだろうと知っているから、出来る事からやってみよう思ってるんだ。こういう時代だからこそ。

それから報告です。最近若者達とまた一緒に働くことになりました。あの頃のボクと同じこと、色々考えてるんだよ。学ぶ事がいっぱいでね。やっぱり若いってイイね。お互いをリスペクトすれば『何か』は分かち合えると思った。だから大丈夫、安心してください。カツオの季節になると思い出すよ。色んなことを。

ねぇアベちゃん。ボクは元気でやっています。

だから、天国から見守っていてください。まだそっち側に逝くほど老いぼれちゃいないから。そして、やっぱ優勝した日のアベちゃん。ホント最高だぜ。

じゃあ、またね。


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