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「愛と冷静のはざま」から見た #note非公式オフ会

①「執筆オタク」が集まるとどうなるか?
②「note」を使っているから解かる「何か」とは?
③「note愛」の正体とは?
④「note良心」を「つなぐ」とは何か?


自分ごときが言うまでも無いけど、世間では「コミュニティ・マーケティング」とか「ファン・マーケティング」とか盛んに言われています。そして色々な書籍も出ています。コルク・佐渡島さんのWE ARE LONELY, BUT NOT ALONE. さとなおさんのファンベースとか。で。その本質とは何か?ずっと考えていました。

そんな最中に、30数名のnoteユーザーが集まったイベント #note非公式オフ会  に参加させて頂いて、とても興味深い事が何点もありました。ネットでは解かり得ない「リアル」で感じた事。つまり肚でわかった事をいくつかピックアップしてMEMOっておきたくなりました。そして、すこし時間を置いて覚めたアタマで振り返って見たかった。別に評論したいとか、そういう事では無くて「こういう気づき」をメモっておきたくなるほど、清々しく、そして愉快な時間だったのです。


①「執筆オタク」が集まるとどうなるか?

オタクとは「好きな事や興味のある分野に、極端に傾倒する人」を指していて、従来は蔑称の意味も込められていたと思います。アニメ、漫画、映画、コスプレ、ゲーム、アイドル等。ある特定の対象の愛好者、ファンを指す語でした。それとはチョット違うニュアンスの、「noteを使うオタク」もしくは「執筆オタク」が沢山集まるとどうなるのか?

参加者は、「まとめ」とか「即 Tweet」とか凄いんだろうな。どんな会話になるのだろうか?と思って正直言うと「未経験ゾーン」に少しヒヤヒヤしながら出席しました。

答えは、まったく想像とは異なる「イベント」でした。皆さん「執筆専門」という訳では無く「何がしか興味対象をnoteを使って情報発信している」人達なので「それぞれ専門分野」「興味対象分野」があります。それを繋いでいるのは「noteユーザー」であるという点です。

よくある「旧来のオフ会」や、●●さんのトークイベント後「交流会」とは、全く違う時間が流れているように思えましたし、スポーツ趣味やアウトドア系の集まりとも違いました。「誰かの意見を聞いたり、交わしたりする」のが自然な感じで、時間はあっという間に過ぎて行ったのです。自分も含めて、みんなが交流に熱中している事がわかりました。単に「受動的」「享楽的」に楽しいとは違う「能動的」な楽しい時間が流れていました。


②「note」を使っているから解かる「何か」とは?

noteは基本的に中長文なので、何本も読むと「ああ。こういう考え方なんだなぁ」とか「こういう熱を持っているヒトなんだ」と「人柄」や「人相」(文相)のようなものを文章から察する事が出来ます。だからか実際に会ってみると「なんか久々に会った懐かしい」感じが近いのです。これは世代による感覚差が大きいと思いますけどね。まぁ、スマホ・ネイティブ世代にはむしろ自然なのかもしれません。

「note」を使っている事でわかるのは「想い」や、カイゼン等の「取り組み」です。note CXOの 深津さん のお仕事を、それぞれに受けとめて使っているからではないかと思います

とかく「数字」やら「データ」を重視して「ユーザーとの約束」や「大事なもの」を見失いがちな「世知辛い世の中」で、noteは珍しいサービスだと思います。それは「安易なランキングを行わない」とか、サービスの細部に宿っているからではないかと思うのです。

そして、邪(よこしま)な利用についても、はっきりと表明されている事を知っています。課金プラットフォームに、ついてまわる「好まない利用法」について「考え」「行動指針」はしっかり書かれています。

この前提を「なんとなく」も含めて、参加者が「理解している」ような空気が流れているのは、主催者のうすいさん坂口さんの人柄に寄るところが大きいと思います。

両氏は「note愛」と言うけれど、これを「note愛」から来る行為として「軽く受け止める」のはちょっと「照れて謙遜している言い方」かな?と感じるのです。自分としては、「声高に褒め合う偽物」が乱発している「Twitter脳」の世界からは程遠い「希望の一筋」のようなモノを感じたからかもしれません。すこし大袈裟に聞こえるかもしれないけど、そういう感じがしたのですよね。

間違いないのは、「中長文」や「図解付」とか「作り手」を尊重する #note ならではの「世界観」を共有しているからなのかなと。このイベントは、各参加者の所作が「自主的」「能動的」かつ「自律した」空間だった事が印象的だったのです。



③「note愛」の正体とは?

では「note愛」とは何だろう?個人的な感触ではその本質は「note利用者の良心」だと思うのです。それは#noteの良識と置き換えても良いかも知れません。

良心や良識って、自分の事をそれなりに知らないと出来ない事でしょうし、noteに対して何がしかの「当事者意識」をもって「アウトプット」しているのが「note愛」なのではないかと思うのです。



④「note良心」を「つなぐ」とは何か?

会が終わってから、ずっと気になっていた事があります。それは「何を貢献できるのだろう?」という事です。自分の出来る範囲でしか出来ませんが、それが何か?というと、おそらく「つなぐ」事なのだろうなと考えています。リレーのバトンのようなものでしょうか。あえて重たく言えば「世代をまたぐ」DNAのような「つなぐ」ものかもしれません。

「もち屋は餅屋に」と申します。「ハック」したり「効率の良さ」は得意な方にまかせて、すこし違った視点と取組を準備したいと考えています。それは行動を持って「背中」で示したいと思いますので、いずれ近いうちに。


■おわりに

全ての方と話す時間が無かったのが悔やまれるほど、濃密な時間でした。主催者のうすいさん、坂口さんの熱量にリスペクトすると共に、その隠れた裏側を想像すると感謝ばかりです。そして会場がお洒落で、野山を走り回った後の自分には「都会感」を満喫した素敵な日でした。また次回があるとのこと。興味のある方は、今回の下記Linkをご参照ください。


一部Photo #note非公式オフ会 の皆様のより使わせて頂きました。感謝です。


追記(2018年5月15日06:15) #note非公式オフ会 にある素晴らしさについて、他のコミュニティ※を勉強していて感じたのでメモっておく。

それは「文化」だ。自分のイメージする文化とは、そこに参加している「人間感」や「人生観」や「食の好み」や「風土から起因する気性」など様々な要素が含まれている。

そのバラバラな価値観を「糸を紡ぐ」(つむぐ)ようなものが「何か?」で出口が見えてくる。「勉強」でもない。「出世欲」でもない。 #note非公式オフ会 は「note愛」がその役割を果たしている気がする。

これが「正解」かどうかより、「善き心」に根差しているのが素敵だなと改めて思う。もちろん、それは「noteのサービス設計思想」や「noteを日々改善」しているnoteの人達の気持ちがこもっているのをnoteユーザーならわかっているからだ。

他のコミュニティとは違う、ステキなコミュニティになると信頼できる「何か」を感じる。微力ながら少しは「汗をかいて」貢献したいと思う。




参加者の皆さんの素早いアップに敬意を表します。



#note非公式オフ会  メモはここまで。おわり。お疲れ様でした。



★Twitterで感じている事や、notteに書く手前の関心をつぶやいています。


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