新しい挑戦がはじまるとき何ができるか?
年の離れた友人が連絡をくれました。僕はメチャ嬉しかったです。自分のスキルが微力でも役に立てるというのもあるけど、新しい挑戦の現場に関われることは長く記憶に残るからです。人生は長いようで短く短いようで長い。ヒトの記憶残らないことほど空しいものはありません。「誰の記憶にも残らないのは哀しいよ」そう子供に言われたのですが「大丈夫。挑戦していれば何か残るよ」LINEで返事をしたことを思い出しました。
僕は病気になって入院して離婚もして「これ詰んだな」と思って暫くして放浪に出ました。旅は帰るところがあるのが旅で放浪は帰るところがないことを言います。「そんな映画の寅さんじゃあるまいし」と言われたのですが寅さん以下だなと思いました。一見寅さんLifeは自由そうにみえます。ところが思ったほど自由でもありません。上司がいなかったり嫌いな人と関わることが少ないだけです。まぁフリーランスとは舐められる人生の連続とも言えます。野良犬のようなものです。お前とは挌が違うと言われたり請求未払いとか酷いハナシだってあります。映画・寅さんが劇中で岸壁で侘しそうに佇むシーンがあるように、人生の幸福と不幸は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)しです。だからそれほど気にすることはありません。むしろ酒や女に溺れたりできたらどんなに気が楽でしょう。オトナとはそれでも平然と何もなかったがように生きていくものかもしれません。そして泣き言を晒すような美意識は持ち合わせていません。なんせ昭和の生まれですから。というわけで何時も笑って生きてます。笑っていれば元気も出ます。元気さえあれば何とか生きていけます。そんな人生になりました。
僕が全国いろいろな街を巡ってた辿りついたのが福岡だったわけですが、8年の年月は、自転車ロードバイクと登山とキャンプと温泉の繋がりが期せずして広がりました。そこに加わったのが「果物」のつながりです。僕は「果物」こそ地方の宝だと思うのです。なぜならば「フルーツ大福」や「フルーツサンド」や「ジュース」や「かき氷」にもなるし「カクテル」や「ノンアル・カクテル」にもなります。「果物」は笑顔を生む食べ物。果物は元気のもとだと思います。
検索してアポをとって繋がって毎年春に農園を訪ねるようなったのが小川さんでした。いまから3年前です。そのころはまだブルーベリーは準備中でした。
農園で小川さんと3時間くらい立ち話をしていた気がします。とても謙虚で腰が低いそして聡明な青年でした。耕作放棄地は全国に広がっていますが能古島(のこのしま)も同様です。島内の人口も減っています。それって夏の草を刈るのだって以前だったら3日で終わったのが5日かかったりするわけです。若い世代の人口減は港区にいると見えてきませんが島には日本のリアルがあると感じました。
小川さんは福岡出身で糸島でオリーブオイルのソムリエを経て能古島へ家族と移住されました。能古島は「火宅の人」の著者、檀ふみさんのお父さんの檀一雄さんが終の棲家(別荘)のある島です。福岡の夜景が綺麗で大濠公園の花火があった頃は博多湾のこっち側から見えたそうです。
春には島のアイランドパークでは海を眺めて菜の花に桜が見れます。放浪を続けてますが、こんな景色は能古島でしか見たことがありません。
夏には砂浜のキャンプ場で見る夕陽は絶景です。福岡県の博多湾に浮かぶ能古島(のこのしま)は、人口約700人の小さな島です。本土からフェリーでたった10分の距離ですが、島は都会にはないゆっくりとした時間が流れています。
そんな魅力の溢れる能古島なのですが、小川さんに体験型農園を開きたいと言われたときは何年かかるんだろうと思ったものです。あれから3年半が経ちました。継続はチカラなり。5年の月日をかけてついに7月3日オープンする運びとなったのです。「プレスリリースを出したいんですけど」と連絡があったとき、僕はちょっぴり泣きましたよ。ホント嬉しかったです。
https://nokonoshima.jimdofree.com/
人生は長いようで短く短いようで長い。ヒトの記憶残らないことほど空しいものはありません。しかし新しい挑戦の現場に関われることは長く記憶に残ります。僕は小川さんとご家族皆さんに出会えてよかったです。またお会いする日を楽しみにしています。ではまた。
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