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輪廻説
生まれ変わると言う概念
私達はどこからか来てどこに行くのだろう。生まれて死んでいくプロセスを誰しもが繰り返している前提に、前世と言う言葉が存在する。
誰も死んだ後の世界や、生まれる前の世界を経験するわけではないが、時たま誰も知り得ない記憶を持ったまま生まれてくる人達がいるのもまた事実だ。
謎に満ちているその世界に強い関心を持って、あらゆる本を読み漁っていた時期があった。主にインドに前世の記憶を持って生まれる子供が多いと学会のデータにも残っていて、インタビューの資料もたくさん読んだし、たまにTVの番組で面白おかしく取り上げられる事もある。
人間は1代を生きる内に、経験したことや習慣などがDNAに組み込まれると言う。その後新しい身体を得て新しい生命として生まれたとしても、言葉を発せない赤ちゃんの時ですら、寝顔で怒ったり笑ったりと色んな表情を見せるのだ。
それはまだ、霊魂は以前の記憶を強く持っていて、夢の中でその記憶を辿っているのだと言う。
その後、1才半から2才にかけて言葉を発する時に、前世の記憶と入れ替わりに新しい情報を学習して行くのだと言う。
だから時たま、喋り始めた幼児に、前世の事を質問すると答えてくれるケースがあると知って、我が家の次男が生まれた時に、おやつを食べている次男に「ママのお腹にいた時のこと覚えてる?どうだったかな?」とさりげなく聞いてみたことがある。
すると、期待もしなかった返事にゾッとして鳥肌がたった。
「ママのお腹の中は暗かったよ、でもね、出てくる時が苦しかった。息ができなくて苦しかったよ。」
臍の緒を2回も首に巻いて出てきた次男の顔は鬱血をしていて紫色に、頭の形が潰れて横長になって、まるでカエルみたいな顔をして生まれたのだった。
あの時は私も力むのに疲れて、もうこれで死ぬんだと覚悟を決めたくらい大変だったので、その様子を知るはずもない次男が話すのを聞いて、あ、この子は記憶を持って生まれたんだと確信した瞬間だった。
何年か後に同じ質問をしてみたら、何のこと?と言うようにポカンとしていたから、記憶が新しい情報と入れ替わり、本人も忘れて行くんだと言う事がわかった。
生まれ変わると言う概念は、様々な宗教の教えの教理でもある。
仏教は勿論のこと、キリスト教にもあるのだ。
特に仏教では輪廻説について、禅の学問にも書いてある。このような事があるのだ。
仏教では生命のある全ての生命体に宿っている「魂」は全てに置いて同格の価値だと教えている。
道端に咲いている雑草も、スズメも海の中の全ての生き物や虫などの世の中の全ての生命体、勿論人間も含めて、魂が宿っている万物は、形はそれぞれ違ってもみんな同じ価値を持っていると説いている。
だから、アリを踏みつけて殺すことは人を1人殺す殺人と同じ罪を犯す事だと教える。人間でなくても無闇に殺傷をしてはいけないのだ。
仏教の教えでは、夏の終わりの立秋が近づくと、たまに見かけるようになる蚊を殺してはいけないと教える。ただでさえ力が弱っていて活動が終息するであろう蚊に、あえて殺すような事をせずとも、情けをかけるようにだ。
弱ってきて死にゆく命に対する憐れみと情けをもつ事は、人間にも他の生命あるものも同じであると言うことだ。
しかし人間は、命を存続させるために生き物から食を頂戴しなくてはならないのもまた事実。だから、人間の食のために犠牲になる生き物に対しては尊厳の念を持って、ありがたく頂く事で、むやみにしない、最後まで残さない、殺めてしまった魂の為に祈りを捧げるなど感謝の気持ちを持たなければならないのと、目的もなく命を殺めてはならないと教えているのだ。
沢山の数を人間の食卓のために摂っている魚の為に川や海などに、稚魚などを帰してあげる放流会など、日本も文化として行われている行事が沢山ある。
外国でも収穫祭や感謝祭など、大地から取った命に感謝して食する文化として繋がれている。
仏教ではこのように全ての命ある生命体はまた別のものとして形を変えって生まれ変わると教えていて、これが輪廻説なんだが、なんと人間だけは7回もの数を人間として生まれる特権を貰えるらしいのだ。
その事については長くなるので、次回の「天才もバカもない」のページでお話ししましょう。
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